もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

結局行かなかった所1 〜 ’91中国

 

 

長旅をしていると、大抵は予定通りにはいかないものです。大まかにルートぐらいは決めていたり、ビザの関係で縛りはあったりするのだけど、たまたま巡り合せが悪かったり、気が向かなかったり、理由は色々ですが結局行かなかったなあ(行っとけば良かったなあ)という場所が幾つも発生しています。昔のことを思い出しながら、そんなこと懐かしがったりしています。

 

 

当時は大学生でした。1991年の春休みの旅が僕の最初の海外旅行でした。ヨーロッパを高校時代の友人と1ヶ月弱旅したのですが、91年冬といえば、時代は、そう、湾岸紛争の時でした。現在と違ってインターネットで簡単にエアチケットを購入できる訳ではなく、数ヶ月前に大学生協で予約して説明会なるものに出席したのも、今となっては遠い思い出です。

 

湾岸紛争は簡単に終わりそうもなく、友人はビビって僕に電話してきた。

 -----なあ、やっぱ中国にしようぜ。
 -----いや、俺は一人でも行くから。

彼は歴史好きだったので、そんな電話を掛けてきたわけ。結局予定通りヨーロッパに飛び立ったのだが、最初の滞在地ロンドンで湾岸紛争は休戦となり旅は問題なく終えることができた。(コインロッカーが全ての駅で利用不可だったのは痛かったが)

 

ここで行き先を変更していたなら、その後の僕の人生に影響はあったのだろうかと時々思います。何せ暫くの間は旅あっての人生でしたから。中国に行ったほうがよかったのだろうか?

この数十年の間、中国ほど変化の大きかった国はありません。旅先で出会った旅に関しては少しばかり先輩な人達は皆「80年代は今とはぜんぜん違ったよ」とか「どんどん変わって行くから早く行ったほうがいい」などと口を揃えて言うのです。

でも僕自身中国に関心はありませんでした。日常生活からなるべく離れた経験というものに気をとられていたためアジア自体に眼が向いていなかったのです。ヨーロッパ、南米、旧ソ連や中近東あたりに関心がありました。アジアはせめてインド。

また個人的には当初美術・デザインの分野に目的があり、後になって旅をすること自体に関心が移りバックパックを背負うようになったので、普通の人とは少し違うかもしれません。

まあ中国とは関わりが薄かったのです。

 

今となってはその選択は必ずしも間違ってはいなかった思います。後にだらだらと中国を旅するようになりその良さを実感しましたが、これこそは他の地域を旅した後の比較として僕の中に成り立つ気持ちです。人の良さ、親切さとか、食事の美味しさとか、緑にあふれた田舎の風景とか、漢字が理解できるとか… 皆、前述した非日常志向の若い頃には本当には理解できない種類の事柄でしょう。

 

でもやっぱり、当時中国に行っていたらどのように感じていたのだろう。もっと薄汚れた町に質素な服を身に纏った人々が生活をしていた、現在の中国とは違う所謂もう一つの世界にぜひとも触れてみたい(触れたかった)という欲望が時々湧きあがってきます。今が今だけにね。もちろん無い物ねだりであることはわかっています。それも含めこの国には興味はつきません。

 

 

これまでの訪問国

 

 

f:id:pelmeni:20160713040143p:plain

 

これまでの訪問国を世界地図上で塗りつぶしてみました。今回通ったところは7、通算で101カ所となりました。図上では日本が含まれナゴルノ・カラバフが含まれていません。プラスマイナス1ずつ、差し引き0で計101です。ナゴルノ・カラバフだってイェレバンの事務所に行きビザを購入したのだから上記に含めてもいいでしょう!!…?

 

 

※こちらのサイトを使いました ↓ 

matadornetwork.com

 

 

 

 

 

 

トラベル2015-2016まとめ

 

帰国して一息ついたところで、前回にならって今回も旅をちょっとだけ振り返ってみる。
この記事には多分適宜手を加える予定。

 

●インド
主な訪問地 
  ラダック シュリーナガル ダラムシャーラー アムリトサル
強く印象に残っている場所
 ・レー周辺のゴンパ

パキスタン
主な訪問地
  ラーホール、ハラッパ遺跡、フンザ
強く印象に残っている場所
 ・カリマバード
 ・パスー周辺
 

●中国

主な訪問地 
  新疆ウイグル、甘粛、香港、山西、四川、雲南
強く印象に残っている場所他
 ・人民観察(中国全土)
 ・家畜バザール(カシュガル郊外)
 ・兵馬俑西安
 ・平遙古城
 ・麦積山石窟
 ・亜青、喇荣のゴンパ
 ・成都昆明 街歩き  
 ・元陽梯田

 

●東南アジア
主な訪問地
  ベトナムカンボジアバンコク
強く印象に残っている場所他
 ・事有る毎にボろうと試みるベトナム
 ・バクハーのサンデーマーケット
 ・プレアヴィヒア寺院遺跡

 

今回のベスト・プレイス
 ☆中国人民ウオッチング(中国各地)
次点
 ・ラダックのゴンパ
 ・フンザ全域
 ・カシュガル活畜交易市場
 ・ラルンガルゴンパ
 ・四川料理
 ・少数民族(中国南部〜ベトナム北部)

 

通算157日 

滞在国(国と地域)7 うち新規 1カ国(ベトナム

 

 

 

帰国

f:id:pelmeni:20160713011414j:plain

エアアジアX  バンコク・ドンムアン→成田
AirAsiaX  XJ0606  DMK - NRT

 

久しぶりのドンムアン空港。10年振りだ。あの時は確かシェムリアップまでの片道フライトを利用をした。インディアンエアラインの半年オープンの往復チケットで帰国したのもこの空港からだった(これが一番安かった。でも復路は結局使用せず)。現在の新しい国際空港が開港して以来ご無沙汰している。特に変わったという印象はない。中国人旅行者が多いのは春節の時期のせいだろうが、長く中国を旅してきた後でこれまた耐性がついているせいか気にならない。当時は此処の待合ロビーの床に直接痰を吐いている人民がいて驚いたものだ。10年経ち対外的には少しは民度が向上したようにみえる。

 

 

f:id:pelmeni:20160713011430j:plain

機内食はチケット購入時に予約。これがエミレーツだったりするとワクワクモノなのだが、エアアジアでは特に期待も何も無い。鶏肉、糯米。量も少なく軽食程度でしかない。6時間も乗っているのだから何かは食べなければならないわけで、スナック菓子持ち込んで食うよりはまあマシだろう(笑)。こんなに狭い空間の更に窮屈なシートに押し込められても、やっぱり機内食というモノを体が自然と希求しているのだ。不思議と言えば不思議。旅の体になっているんだなあという感想。

 

何度目の帰国だろう。いつもそうなのだが、長旅をしていると、帰国というのはたまたま日本国への入国に過ぎず、多少は他の国よりは長く(あるいは自由に好きなだけ)滞在できるだけではないかという気がしてしまう。まったく完全なる勘違いであって、精神が酷く冒されないうちに早く直して社会復帰しなければならない。さもなければその後の人生に悪影響が甚だしい。

 

 

f:id:pelmeni:20160713011938j:plain

 

ともあれ、無事帰国。長旅もこれでお終い… のつもり。

旅の終わりを実感するのはもう暫く経ってからだろう。

しかし寒いなあ。そうか今2月なのか。

 

 

 

バンコクをぷらぷら

 

 部屋から出るといつもの殺風景で少し陰鬱な廊下(笑)

f:id:pelmeni:20160707013330j:plain

 

ホテルの朝食終了時間ぎりぎりに1階に降りたが結構な旅行者で賑わっている。西洋人、中国系も多い…、やはり春節の時期のせいだろう。

何となく無国籍風な味付の食事を済ませて町に出る。

 

f:id:pelmeni:20160707004705j:plain

チャイナタウンの露地。ここはまだ先に行けそうだが、あまり奥の方に入り込めない感じのところも多い。

 

f:id:pelmeni:20160707005216j:plain

この猫には見覚えがある。同じ場所を歩いた2年前もこの場所にいたはずだ。その時は仲間2匹と一緒に暇そうに丸まって昼寝していたが、今日は1匹のみ。おい、仲間は元気か? うん、よしよし、バンコクの人は優しいか、そうか。再会できたのはとにかく嬉しい。少しの間遊んでもらう。

 

 

 

最近は英語の”Legend”にあやかってか誰もかしこも「伝説の」という言葉を枕詞のように乱発する。本当の伝説は誰もが口にできるようなレベルのものではない。ただ、かつてバンコクで名を馳せたジュライホテルとまでくれば、そう称してもいい…かな。いや、もう既に過去の存在、忘却の彼方かな。

f:id:pelmeni:20160707004806j:plain

 

初めてバンコクの地に降り立ったのは1999年1月のことだ。ジュライは営業を停止してから時間が経っており、旅人の話の中のみでの存在となっていた。だから僕はその実態を知らない。旅先で出会った年上の日本人旅行者の中には時々楽しそうに彼の地でおきた出来事を語る者もいた。その時既に、いわゆる伝説の存在になっていたのだと思う。ジュライサークルの場所を教えてもらい訪れたが、建物はあるもののきれいに塗り直されホテルの痕跡は見つけ難かった。もちろん知っていた人は知っていたのだけど。

 

f:id:pelmeni:20160707004825j:plain

 

ところが、今回あまり期待をせずに訪れたところ、過去の証が露になっているのを発見した。その存在の痕跡をきれいにのっぺりと覆い隠していた薄青色のペンキが、バンコクの汚れた空気と過度の湿気に耐え切れずに劣化し終に剥がれ落ち始め、薄汚れた禍々しい素肌を曝け出しているのだ。この日本語表記こそ紛う事無きジュライの痕跡である。自分には直接の思い出は無いのにもかかわらず、この光景には何かを感じずにはいられなかった。亡霊だか怨念だかよくわからないが妖気の様な「気」が感じられる。ジュライは永久に死なない、のか? 何度でも蘇るゾンビですな。

 

楽宮跡地 入口上の取り外された看板文字跡が物悲しい
北京飯店には一応思い出があります

f:id:pelmeni:20160707004846j:plain

 

 

f:id:pelmeni:20160707004907j:plain

台北大旅社も先日営業を休止したという。看板は外されていたが建物上方のものはまだ残っている。無くなるのだったら前回泊まっておくべきだった。

 

身近に存在していたにもかかわらずみすみす逃してしまい、手にすることのできなくなったものが、実は数多に存在する。でもそのうちの大半には結局のところ気付かない方が確実に幸せだ。何と言っても通常の体験からはかけ離れ中毒性がある。旅先での場合はホント二度と遭遇することなどないであろう機会ばかりなわけで、それを追い求めた末に取り憑かれてしまうことが何を意味するかは、同じ経験をした者でなければわからないだろう。

大抵は時間はかかれど雑多な日常生活の中にそれも静かに埋没してゆく。でも心の中にずっと残し続ける人間もいる。そうやって旅の毒魔に蝕まれてゆく人間もいる。

 

通りを歩いていると、反対側にある旅社の入口階段に座っただらしない格好の中年女性に手招きをされた。笑ってそのまま通り過ぎる。幾らなんでも、そんなに物好きではないのだ。

 

あらゆる存在は輪廻転生の途上にある。何か黄昏に似た感情を抱いた。

バンコクでしんみりとした感情に陥るなんて、ガラでもない。

もう一人旅は終わりにしよう。

 

 

その後MBKに行く。以前の如何わしさは訪れるたびに薄れ、信じられないことだが今は明るく健全なショッピングセンターを装っている。嘘つけ! そして何故かロシア人が多い。どこの旅行地でも彼らは物価の安い場所に集まり安物に群がる。旅先で出会うことも多かったが、見掛けはアレでも昔からぼくは彼らを他のヨーロッパ人と同一視できなかった。その理由はこの辺りにあるようだ。

…などとどうでもいいことを考えながら、こんなに携帯売場ばかり増殖してはもう面白くない場所だなと思い、隣の東急百貨店に移動してスーパーマーケットで買い物をする。しかし笑ってしまうのは、ここがバンコクであるにもかかわらず、東京の東急百貨店と同じで垢抜けない印象の内装なのだ。まさか同じ設計事務所が担当した訳ではなかろう。

 

 

f:id:pelmeni:20160707012041j:plain

夕食は宿の近くの屋台で。ここは異常に辛い味付けなのだが四川を旅してきた後ではどうやら耐性がついているようだ。何とか食べられた。

 

 

 

 

バンコクをぶらぶら

 

 

バンコクに着いたばかりでホアランポーン近くにある宿を探している時、駅前の雑踏の中で一人の西洋人旅行者に声を掛けられた。

  -----ハロー、去年の10月にパキスタンにいなかった?
  -----去年の10月?確かにパキスタンにはいたけど…(でも相手を思い出せない)
  -----ラホールのホステルで一緒だったドイツ人だけど
  -----ああ、あの宿…、

会話が進んだが実はあまりよく思い出せなかった。確かにラホールのホステルでドミに泊まった時同室にドイツ人が居たことは憶えているが、話をしたり○○をやったのはオージーやチリ人の方だった。彼は真面目に観光していたような気がする。僕の顔を憶えているというので嘘をついているわけではないだろうが何か不思議な感じだ。彼、マルティンはパキの後インド、東南アジア各国を回りバンコクにやってきたという。4ヶ月になるのか。別々の場所を旅して思いもよらないところでばったり再会するということは今まで何度か経験しているが、憶えているのが一方というのは珍しい。不思議な感じだ。

 

f:id:pelmeni:20160702012419j:plain

 

 

  *

 

駅前は工事中で落ち着かないのでチャルンクルン通りを南に下る。前回は郵便局から荷物を日本に送った記憶がある。こちらの方向だ。途中で脇道に曲がり、雑然とした町の中に入っていく。小さな自動車整備工場や部品屋が立ち並び、地面は油や錆で汚れ金属っぽいにおいが漂っている。どこからか金属を叩く音がカンカンと聞こえてくる。

この辺りの雰囲気をなんとなく好きなのは、始めてバンコクを訪れた時に泊まったリバービューGHという宿がこの先にあり、当時のことが懐かしく思い起こされるからだ。迷路の様に立て込んだ町中にひっそりと埋没しているという言い方が当時は正しかった。旅先で知り合った人に教えてもらったところなのだが、カオサンを直ぐに飽きてしまった当時のぼくにとってはこの近辺の雰囲気は新鮮かつ強い印象を受けた。ごく普通に密度濃く人々の息遣いを感じることができた。旅の初心者だった時分で観光地ではない普通に営まれる人々の生活の空気に魅力を感じ始めていたのだ(そのうちいきなりそんな所に足を踏み込むようになる)。

時は流れそのリバービューもきれいに改装され外から覗く限りでは当時の感じは見受けられない。まあ、そういうものだろう。TT2はともかく今あるホステル達なんて当時からみれば本当に綺麗な安宿であることを考えれば、必然の変化なのだろう。

 

f:id:pelmeni:20160702013055j:plainf:id:pelmeni:20160701235706j:plain

 

この辺りはチャイナタウンのはずれにあたり、露地の突き当たりにいつも訪れる小さな廟がある。今回もふらっと訪れる。チャオプラヤ川の畔にあるので空は広い。やっぱり誰もいない。でも掃除は行き届き地元の人に丁寧に扱われているのがわかる。時々ボートが走ってゆく音が聞こえる。長閑で静かだ。

 

f:id:pelmeni:20160701235535j:plain

f:id:pelmeni:20160701235042j:plainf:id:pelmeni:20160701235117j:plain

f:id:pelmeni:20160701235547j:plain露地の入口にある看板

f:id:pelmeni:20160701235557j:plain街歩きで猫歩き いい子だね~

 

 

少し歩くと小さな市場地帯があり、その一角にある店で食事をする。ぶっかけ飯とコーラ。暑いバンコクいつもの昼飯。すぐ先にはロイヤルオーキッド・シェラトンがありこの近辺は別世界だ。でもそこだけが別世界なわけで、前を通り過ぎ少しだけ歩いて気がつけば、再びいつもの平常運転のバンコクの真っ只中にいる。

 

f:id:pelmeni:20160702020241j:plain

 

 

 

アユタヤ

 

 

アユタヤという名前だけは山田長政とともに小学生の頃から知っていた。ぜひとも訪れたい場所だったのだが、タイは最初の訪問を除きいずれも短い滞在だったせいか、ついつい行きそびれていた。バンコクから近いし何時でも行くことはできるだろうと後回しにしていた。でも長旅もこれが最後のつもりだし今回逃したらもう一生行けないのではないかとふと思い、日帰りで行くことにした。

往きは早起きして鉄道に乗り込むことにした。そのために駅前の宿に部屋をとった様なものだ。まあいつもの宿でもあるのだが。

バンコク駅(ホアランポーン)は気持ちの良い場所だ。ぼくは大きな街にあるターミナル駅が好きだ。そもそも雑踏に紛れ込むという行為自体が好きだ。理由はわからない。別に何か目的があるわけでも何か考えているわけでもない。一応何かは見ているようだけど。飽きるまで暫くの間歩きまわる。その後どこでもいいから建物内の一角に腰をおろして今度は一点から彼らを観察するのだ。行く人来る人、時間つぶしする人、寝っ転がる人、実に様々な人がここを利用する。暇があると昼夜構わずふらっと訪れてはこのように何をするわけでもなく滞在することが多い。でも今回はうろつきに来たわけではなくちゃんと利用者としてやってきた。初めてだわ(笑)

 

f:id:pelmeni:20160624132837j:plain

f:id:pelmeni:20160624133007j:plain

列車は朝7時発のRapid。2等車に乗る。アユタヤまでは1時間半の道程だが30分遅れた。これは知っておいてよかった。帰国に利用するドンムアン空港へ足の確認も兼ねているので。先日エアアジアの便を予約した。ついに帰国か…

 

アユタヤの駅を出てまっすぐ進み渡し船で川を渡る。貸自転車屋が多いがもっと中に入ってからにしたかったので、しばらく歩き町中で自転車を借りる。観光地図を一緒に貰い行き先に印を付け計画を立てる。結構広いぞこれは。

f:id:pelmeni:20160624133606j:plain

f:id:pelmeni:20160624133908j:plain

f:id:pelmeni:20160624133918j:plain

f:id:pelmeni:20160624134253j:plain

f:id:pelmeni:20160624134432j:plain

f:id:pelmeni:20160624134630j:plain

仏教寺院といっても様々ですね。まったく、ひとくくりのできない、とりとめの無さだ。今回の旅でもラダック、東チベット、中国、ベトナム…それらを我が日本と比較しても何かが浮かび上がってくるわけではない。仏教という枠内だけなのに多様性とその緩やかな結びつきだけが辛うじてみえるに過ぎない。

遺跡自体は以前訪れたスコタイの方が雰囲気があった。こちらは普通の街の内外に遺跡や寺院が点在している。こういう場所は本当はある程度まとまった時間滞在して(1,2泊か)ゆっくり巡る方が正解だろう。平坦な地形なので自転車も快適に乗り回すことができるが、後になってみれば結局スポットを駆け足でめぐってしまった感が拭えない。有名観光地で観光客が溢れているところなので、これもまあ仕方ないかな。昔の事だがスコタイの遺跡は静かでよかったなーと思い出してついつい比較してしまう。

f:id:pelmeni:20160624134759j:plain

f:id:pelmeni:20160624135142j:plain

 

帰りはミニバンでささっとバンコクまで戻る。中心部の渋滞は相変わらず酷いが、車内は冷房が効いているし、この後予定があるわけでも無いし、何も気に掛けることはない。夕暮れの中せわしなく動きまわるバンコクの人や車をぼうっと眺めながら、自分自身の旅の終わりが間近に迫っていることもまた実感しているのであった。