もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

旅先の年末年始


一人旅にとって休日、祝祭日とは、地元のお祭りなどが催される場合以外は、あまり関係ない。というより逆に面倒なことが多い。店が閉まっていたり、バスの便が減っていたり、なかでも一番やっかいなのが宿をとりにくい時だ。ここインドでは特にそうで、この多くの旅行好きな人間たちが一斉に移動する。ここ数ヶ月でも、ディワーリ、ディセーラ、もう面倒。滞在したプドゥチェリーでも安宿がフルだとか、連泊ができなかったりだとかもう面倒。だから正月は前もって予約。

暇なので、今まで過ごしたクリスマス〜新年を思い出してみた。


2003年クリスマス;モスクワ(ロシア)
この年は暖冬だったので寒さはそれ程キツくはなかった。TVの天気予報によれば確か-6℃で、ここではまとまった降雪にあわなかった。その前に滞在したサンクトペテルブルグのすごい雪に比べれば、数日間だが比較的楽に過ごせた。ロシア正教のクリスマスを本格的に祝うのは何でも2月頃と聞いた。街中には飾りつけや電飾などが一応あったが、それほど盛り上がってはいなかった。25日夜にシベリア鉄道に飛び乗りモスクワを離れた。その後ずうっと一面の銀世界。真冬のシベリアのというもおつな物だ。

2004年正月;ウランバートル(モンゴル)
”世界で一番寒い首都”ウランバートルで年越しするなんて、酔狂なことを考えたもんだと我ながら感心した。例年ならこの時期夜間の屋外は-45度くらいまで下がるらしいが、この年はやはりそこまで下がらなかった。ここも新年を盛大に祝うのは旧正月であり、元旦は単なる休日のようだった。ただし、街の中心の公園(広場かな?)には大きな雪の彫刻がつくられ(雰囲気はミニミニ札幌雪祭り)、新年のカウントダウンとともに小さな雪の築山の滑り台をとりあえず皆で下に滑る、滑る。泊まっていたゲストハウスの滞在者全員(英米仏豪韓と日)とここで新年の瞬間を過ごし、そのあとバーでチンギスハーン・ウォッカなるものを飲んだ。


2004年クリスマス;マナウス(ブラジル)
イブの日は特に盛り上がることなく、クリスマス当日も昼間は閑散としていて商店もほとんど閉まっていた。この街ではクリスマスはまさに祭日で、家で静かに過ごすのだろう。ただブラジルでも地域差があるようだ。他の街では早くからサンタクロースが暑苦しい格好している(ブラジルは夏!)のをよく見かけた。翌日から待望のアマゾンのジャングルツアーへ!

2005年正月;サンパウロ・リベルダージ(ブラジル)
東京とは時差が12時間あるので、紅白歌合戦は衛星中継で大晦日の昼前に見られる。リベルダージの小さな広場にはこのときだけ即席の「南米大神宮」なるものが建立される。お払いをしてもらい、紅白の餅が配られた。お守りも貰った。西洋人旅行者も結構並んでいたなあ。カウントダウンはパウリスタ大通りで。花火がたくさん打ち上げられ、しばらくすると路上ディスコ状態に変わりつつあった。元旦は日伯文化協会で刺身、泊まっていたペンション荒木でも確か巻寿司やお菓子が振舞われた。日本みたいに静かだった。


2005年クリスマス;ミャンマーのどこか
なんと記憶に無い!多分インレー湖かマンダレーか、ミャンマー中央部のどこかにいたはずである。クリスマスの雰囲気など皆無の場所にいたのだろう。

2006年正月;シーポウ(ミャンマー
マンダレーからさらに入った町シーポウはトレッキングをする旅行者が集まるところだが、国が国なのでそれほど数多いわけではなかった。外国人旅行者が集まる宿は多分一軒のみで、新年の瞬間は火を囲んで数人で「ハッピーニューイヤー」と静かに祝っただけ。その後すぐに停電で真っ暗になった。ここも、地元シャン族の新年は11月頃と聞いたし、中国人の新年は例によって旧正月、よって町中は普通の日と変わりはなかった。


そして今回2012年クリスマス;プドゥチェリー(ポンディシェリ
フランスの旧植民地であるにもかかわらず、西洋っぽいクリスマスの雰囲気は5%(当社比)くらいしか感じられない。それよりも、周りは西洋人やインド人のカップルや家族連れ旅行者ばかりで、話し相手のいない寂しさというものを、ここでは実感してしまった…。
 
2013年正月:カルカッタ
いつものことだが、その町の正月の滞在などたまたま経路と時期があっただけにすぎないのだが、インドは休みになると宿はすぐに一杯になるので面倒だ。予約した宿は今回のインド旅では一番快適。カウントダウンは、きれいな(ただしイマジネーションのない)電飾のパーク・ストリートで。ただ騒いでいただけだし、普通の町中には一部をのぞいてそれらしい演出はなかった。これもインドらしい、か。あと、サトシ…