もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

ドーハ

ドーハ



最近何となく妙な違和感を感じていたのだが、ここにきて理由がわかった。

そういえばアラブ人としばらくお話していないのだ。

オマーンはそれほどでもなかった。タクシーやマイクロバスの運転手はだぼっとした服を着た人たちだった。ルウィ地区には確かにインド人ばかりで、南インドで散々世話になった例のレストランの海外支店さえあるのだが、ムトラーのコーニッシュやスークにいた人はアラブの人だった。ホテルの姉ちゃんは、敢えて尋ねなかったが東南アジア顔だった。

その後UAEカタールときて、インド人、パキスタン人、スリランカ人、フィリピン人、インドネシア人、… レストランや商店の従業員、車の運転手、ホテルのレセプションなど、まあこういう旅のせいか、話をする相手というのが、そのようなところから来ている人ばかりだ。俺はいったい何所をうろついているのだ?という気にさせられる。

そこで大きなショッピングモールへ行ってみる。カタールではシティセンタードーハ(CCD)やヴィラッジオ等へ足を運んでみた。
さすがにここらにはいろいろな人々がいる。家族連れ、友人同士、アラブ人、南アジア人、東南アジア人、アフリカ人… 

砂漠の中の小さな町をこの現代社会にフィットさせるために、頭脳と労働力を海外から一気にかき集めて砂上の楼閣ならぬアラブの摩天楼を作り上げたのだから、単なる人口比でもアラブ人よりは海外からの労働者と遭遇する確率が高い。そのことに対して云々いっても、所詮遊牧民族なんだから元々モノをつくることは苦手なわけで…
しかし彼らは何所にいるのだろう?


コーニッシュを散歩し、対岸の高層ビル群の夜景を眺める。闇夜に浮かび上がる姿は文句無く美しい。
僕らくらいの年代の子供時代は、未来都市とはこういうものだと想像していた。ビジュアル的にぴったりだ。当時はそれが日本の未来と信じて疑わなかった。ところがそれは遠くはなれた湾岸諸国に現れた。これが21世紀の最新型だというのに、幾分懐かしさを感じるのは、そのせいだ。

確かに金持ちで豊かだ。でもここに文化があるかと問われれば、必ずしもあるとは思えない。いや現実に存在しているのだから否定しても始まらないのだが、そのあり方ではなく、立ち上がり方に割り切れなさを感じるということだ。

UAEでは、それでも自分達の伝統を忘れずにいようという空気が感じられた。デイラの保存施設周辺には観光目的の商業的なニオイもあるのだが、それでもいいと思う。まあ、そうでもしないと、自分達の出自やアイデンティティが、圧倒的多数の移民たちの存在により吹き飛んでしまう、ということが実際のところの彼らの真意ではと思ってしまう。

ところが、そのような雰囲気がドーハには少ない。コーニッシュとスーク・ワキーフ周辺は見事だ。でもそれ以外は特徴のない平たい普通の街である。この国も金持ちで、いたる所でいろいろなものが建設中だ。これ以上まだ作るのかと思ってしまうほど、何処を歩いても工事現場の仮囲いやクレーンが眼に入る。金にモノを言わせてひたすら建設し続ける。シムシティのように。

街歩きをしていると、少しずつではあるが気が重くなる。

世界で最も退屈な首都、といわれる理由もその辺りにあるのだろう。
もっとも僕はそこまでの感想は持たない。短期間の滞在では、よほどひどい経験でもしなければそれほど悪いものとしたくはないのだけど…ねえ。



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あれこれ言ってはみたが、この光景は忘れられないだろう