もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

チュニスへ戻る

チュニジアへはモロッコから入国、最初はチュニスに到着。
その後、チュニス(⇔カルタゴ、シディ・ブ・サイド)→カイルアン→スース(⇔エルジェム)→チュニス(⇔ドゥッガ)と戻ってきた。

意外と観光が容易な国だ。



実は失敗したと思っている。途中でもう少し南の方へ行きたくなったが、時間が無くなってしまったのだ。
というか、この国を侮っていた。予定が短か過ぎたのだ。

当初訪問を予定していたのがちょうど首都チュニスで野党指導者が射殺された頃で、BBCのウェブサイトを覗いている限りでは街は騒然となっていたようにみえた。様子見を兼ねて訪問時期を後にずらしたのだが、そんなこともあって長居することなく適当な期間で切り上げようという気持ちが最初はあった。それで早めに出国のチケットをとった。
でも、実際に降り立ってある程度時間を過ごしてみなければ、その地の雰囲気などはわからないものだ。

次の国へ陸路で抜けることができればビザとった後好きな時に出国すればよいのだが、そうしたくても、この地ではアルジェリアリビアという最強(凶)の組み合わせ。北は海、南は砂漠。

フライトの予約をした後しばらくしてから激しく後悔することになった…



そんな割り切れない思いと共にチュニスへ戻ってきた。
前と同じ宿にしてもよかったのだが、今回はメディナ内のユースへ。ユースなんていう歳じゃあねえよなあと独り言をいいながら。
 
この時の滞在者はほとんど外国人、そして意外にも高齢だ。そう、なぜか親父が多い。
宿泊者はいつもながら多様だ。普通の旅行者が大半。その親父たちは何のための滞在か不明だが、この手の西洋人はこの手の安宿でよくみかけるアレな人たちだろう。
語学留学生も幾らかいる。ここチュニスにはアラビア語の学校があり全国から学生が集まるようだが、フランス語も学校で教えられているせいか、フランス本国より授業料も滞在費も安いこの地に学びにくる人もいるようだ。
ここで会った日本人学生O君はアラビア語を学びに来てほぼ1年、先日予定していたコースは終了して今日帰国していった。当初ユースに滞在した後アパートを借りて移ったが、寂しいので数ヶ月で結局ユースに戻ってしまったという。ごく普通の20歳の青年にはこの雰囲気がいいのだろうなあ。

ユースにくると、色々な人と夜までたわいない話をし、そのまま2段ベッドであまりきれいでない毛布にくるまって眠りに入る。まあ、いつもの通り、である。
手軽に利用できるユースが南アジアやアラブに少なかったためか、こういう場所の滞在の機会は今までほとんど無かった。
この旅の思い出を振り返る際に、何か寂しさみたいなものをたまに感じるのは、そのせいかもしれない。

建物はメディナ内の伝統的な住宅。モロッコのリヤドと同じく中庭を囲む形式。雰囲気は良いが、部屋内は所詮ユースホステルだ。水回りがもう少ししっかりしてほしいが、値段が値段だし、そんなでもまあ許してしまうのはユースだから。




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新市街へ出る。フランスっぽい。
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