もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

シンガポール

シンガポール



大きな街では何故かその住民と同じように忙しく動き回ることになる。
始めからそんな事するとは考えていないのだが、いつも結局そのような時間の使い方をしている。
まあ、これが自分のスタイルということなのだろう。

ドバイやアラブの国では途中からショッピングモールに執心することとなったが、ここシンガポールでは最初からやることは決まっている。

屋台でひたすら食べ続けることだ。

一日5食。屋台で一皿食べるくらいなら5回くらい訳無いだろう、と考えた。→まあ不可能ではない。

ただしこの世界、人が集まっているからといってその店の味が格別美味いというわけでもないらしい。
ホーカー(屋台?)で食事をするということは、家で料理をあまりしないこの地の人々にとっては、ここは知り合いだからとか、今日は安くあげようとか、そう、彼等の日常に組み込まれているのだ。
よそ者とは別の次元の理由が存在する。グルメの対象となるとは限らない。

とはいえ、美味しいところには人は集まるようです。でも、その逆は必ずしも真ならず、といったところか。


そういうわけで、常に満腹の胃を抱えながら、メトロを駆使し足早に効率的にまわった。3日の滞在だからすべてを見ることはできないのだが、それでも、楽しかった。人が大勢いて、その中に紛れ込むと、僕は気分が落ち着くのだ。


最後の晩、日没時はマリーナベイサンズの展望デッキにいた。あの林立する高層ビル群が目の前にある。それも結構な量だ。
考えてみれば、ここシンガポールもそういう意味では超近代都市にはいるのだろうが、実感はそれほどない。昼間のあまりにベタな都市住民の生活の印象が強く(香港で感じた同種の印象よりもう少し洗練されている)、その姿が徐々に夜の闇へと紛れつつあるビル群を眺めながら、その中に本当にビジネスは存在しているのだろうか?などと考えていた。


そういえば確か3ヶ月前にも同じような言葉とともに、目の前にそびえる高層ビル群を眺めている自分がいた。
それはドバイのブルージュ・カリファの展望台から眼下を見下ろし、またドーハのコーニッシュから対岸を凝視し、クウェートシティーのひと気の無い街の中心を一人歩いている時だった。

あの時は本当に、ビルの窓に灯る明かりの全てにリアルなビジネスが存在しているとはとうてい思えなかったのだ。旅をしている皮膚感覚がそう思わせたのだろう。あれはフェイクだ。おまえらここで皆本当に働いているのか?
本当のところは判らない。地上の庶民の生活とあまりにかけ離れている姿がそう思わせたのか。ただしその地上の庶民のほとんどはアラブ人ではない。ああ、何たる矛盾。何が真実なのだ?

そういう意味ではこの街にはリアルが感じられる。多くの民族が紡ぎ出すエネルギッシュな日常は、アジアのビジネスセンターとしての格式にまでなにか繋がっているようにみえる。
天井でファンがブンブンまわる蒸し暑いホーカーセンターから緑あふれる広い道路と林立する超高層ビル。愛嬌のある宿のおばちゃんや寡黙な屋台のおっちゃんから、スーツを身にまとい足早に交差点をわたるビジネスマン。
これらすべてが一緒くたになり、どこを切ってもシンガポールとしかいいようのない味わいが滲み出る。
それはまやかしでなく、真摯で、豊かな味わいだ。

そんなこと考えていたら、日が落ちてずいぶんと経ってしまっていた。
マリーナベイサンズの展望台から見下ろす夜景は、最高に美しい。

この旅もあと数日で終わってしまうので、少し感傷的になっているようだ。

不思議な形をした建物を後にし、最後の屋台へと足が向かった。





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