もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

雪が降っていた

雪が降っていた




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前日の夜にそれまでの滞在の支払いを済ませ荷物の整理を終えたのに、朝起きてみると、雪。
細かい雪はどうやら止みそうにも無い。おまけに寒い。こちらは防寒着どころか手袋すら用意していないのだ。


やめた。


いつもながら意志薄弱。でも裏を返せば、寒さには無抵抗主義を貫いているということ。ははは…

実はイシククルを見て、その後どこか温泉にでも湯治(今の僕にぴったりではないか)気分で行こうと考えていた。せっかくその気になって早起きしたのに、コレだからもう。

結局ベッドに戻り、前日にアマゾンから大量に購入?した無料の書籍をiPadminiで読み始める。そして気がついたらうつらうつら…

怪我をした箇所は、かさぶたとなり時々かゆみを感じるので、まあ順調に回復しているといえる。ただ、まだ一部が薄赤黒く腫れていて触ると少し痛みを感じる。皮膚が切れる程の打撲だったのだから、完全回復にはもう少し時間が掛かるのだろう。




この宿はコモンルームが実質的に半屋外にあるキッチンとダイニングのため、もう今の時期は寒くて外で長時間の談笑などしたくてもできない。とはいえシーズンオフで宿泊者は少なく、夜のドミは比較的静かだ。よくある日本人宿とは雰囲気は異なる。だから僕は長く滞在できた。

ロンプラがとある日本人宿を「コミューンライクな」と評したが、それはいい得て妙だと思った。
かつてのカイロやイスタンブールやバラナシ等の某宿など現在はどうなのか知らないが、それらの宿にもこの言葉をあてはめてみれば本当にそのとおりで、思わず笑ってしまう。

人それぞれではあるが、そういうに宿が居心地良く感じるかはその時の気分や状況に拠ることも大きい。
しばらくの間日本語を話すことなく旅した後に滞在して、気分が落ち着いたりすることなど、確かにある。

ただ、たいてい人口密度が異常に高かったり水周りが貧弱だったりあらゆるところが狭かったり古かったりボロかったり薄暗かったり、滞在環境としては明らかに劣る、というかはっきり言って金払っても泊まりたくないようなことの多い部屋に挙って集まるのは何故だろうとか、いくら英語での会話が苦手で気楽に日本語で話ができる環境を求めるといっても程があるだろう、等と自分の記憶も含めて昔のことを思い出し始めると、どうしても愛憎相半ばする感情が沸々と湧き上がってくる。

「いいじゃないですか日本人だけでかたまっても」と言ってもそれは皮肉交じりでいっているのではない。僕は日本人宿を無下に嫌っているわけではなく、それなりに楽しかったからこそ計3ヶ月近くも滞在した宿だってある。

ただ、自分の知らない世界と遭遇するせっかくのチャンスをみすみす逃してしまうことが多いのは何か非常にもったいないなあという、あまりに古典的な感想を持つことがある。

歳を喰ったのだろう。



枕元で自分だけに聞こえるような小さな音で音楽を流す。

就寝前のまったりとした時間が好きだ。

ここでは翌日の打合わせの内容や締切りの近い仕事の進捗状況や部下にまかせた作業の是非を気にする必要などまったくない。原発問題の処理や尖閣諸島やザックJAPANの戦い方について気を揉む必要もない。
自分の時間を自分自身の思考により自分だけのためにゆっくりと惜しみなく使う。意識が薄れてきたらそのまま眠りに入ればよい。
何て贅沢な時間の使い方なのだろう。旅の時間の中で一番好きな時間のうちのひとつかもしれない。

日本での日常のサイクルは忙しくこのような時間を楽しむ余裕はあまりなかった。
就いた職業を含め好きで選んだ生き方ではあったのだが、自分の人生どこか間違っているんじゃないかと心の隅で疑い続けていたこともまた事実である。
結果自分としては定期的に「休憩」という形で旅に出ざるを得なかった。


それもさすがに今回で終わりだ。
休憩後をいかにすべきか。
実際のところ、この旅の隠しテーマであり、考える時間は、まだいくらでも残っている。






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でも部屋の反対側のベッドで本を読んでいる(アル中から脱出した)カナダ人のウィルがいきなり「それステファン・グラッペリだろう?」と声を掛けてきたのにはちょっと驚いた。判るはずのない音量なんだけどさ。
さすが元ミュージシャン。ウォッカ飲むこと止めたら耳も良くなったのだろうか。