もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。

昔の思い出は砂に還る

カイロ




タフリール広場に面する建物にあるイスマイリア・ハウス・ホテルにまずは投宿した。
8階にまで上がるためのこの時代がかったエレベータを目にした途端、懐かしさで胸が一杯になった。
忘れていた。これだよ、これ。
ボタンを押した直後の唐突な出発、緩やかな上昇、そして着床する時の衝撃。



ここは以前2005年秋にも滞在したホテルだ。
当時の人気宿はサファリかスルタンだったが、あのいかにも日本人宿といった雰囲気が苦手な旅行者を含め幾らかの日本人旅行者は常にこちらにも泊まっていた。当時のロンプラに載っていたので各国からの旅行者も普通に滞在していた。僕も最初はサファリに泊まっていたが、アレックスや砂漠ツアー等出かける度に宿替えして普通の安宿のシングルやこの宿に泊まっていた。といってもエジプトに長居していた(ビザ延長もした)おかげで知っている顔も多く、僕を含めて何人かは互いに会うためにこれらの宿を行き来していた。色々賑やかな時間だった。



今このドミには僕一人しかいない。
2晩ほど一緒だった韓国人旅行者はそれぞれ出発してしまい、新たな外国人旅行者が来る気配はない。
エジプトの情勢が情勢なだけに旅行者の数自体が激減している。トルコから陸路でシリアを通って南下しエジプトへという楽しい定番コースが旅行不可となってしまったことも要因の一つだろう。サファリホテルも現在は閉鎖している。
しかし、幾つかあるシャワーがどこかしら具合が悪いとか、客が少なく怠け癖がついたのか朝遅く起きると従業員は朝食作ろうとしないとか(マネージャに命令されれば作る)、チェックアウトした人のベッドを翌日までそのまま直さないとか、雨が降ったら停電するとか… 何だかなあ、落ちぶれたものだなあとしみじみ思った。
眼下の建物の屋上にパラボラアンテナが林立する昔と変わらないバルコニーからの眺めを前に、このかつての記憶とほとんど変わっておらず到着した時には何だか嬉しかったイスマイリアも、時代の流れからは徐々に取り残されつつあるのだなと、少し寂しい気持ちになった。
今はもう少しきれいで設備が整った安宿が他にもある。

時は流れる。




結局4泊して他の宿に移ることにした。
誰でもいいからドミに来て欲しかったが、よく考えればそんなこと期待できないことだ。あのビルにある宿へ移ってもいいのだけれども躊躇してしまった。
タラアトハルブ通りを行ったり来たりしてみた。いつものパン屋でアイスを買う毎日。ビザ申請して、受け取って。それが終わると何となくWiFiカフェでネットに繋ぎ、時間ばかり過ぎてゆく。カイロの街中は午前中は静かだけど午後遅く〜日没にかけて人も車も一斉に出てくる。前回の滞在はラマダン期間が多かったから夜の賑わいはその期間特別の事のように感じていたが、普段からそうなのだということがよくわかった。実は街中には結構軍隊が常駐していて、何だか物々しい。タフリール広場を含め重要ポイントには装甲車も配備されている。メトロのSADAT駅は封鎖されたままで列車は通過となるので不便このうえない。

でも偉大なコシャリの味は不変だ。



宿代を考えれば決して悪い宿ではない。バルコニーからの眺めは気持ちが良い。ドミに拘らなければ表側に面している個室もある。
マネージャーは「○○○サン、…」と、さん付けで僕の名前を呼ぶもんだから、なんだかキュンとしてしまう。今迄の日本人旅行者との結びつきがその一言でわかるというものだ。
おかげで後ろ髪をひかれる思いで宿を発たざるを得なかった。





このままのぎこちなさで構わないから、いつまでも動き続けていて欲しい。
でも、このエレベータに次乗る機会は、もう無いだろうな。




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