ハルツームを流れる青ナイル
もうほとんどの人とは年賀状のやりとりなどしていない。それでも昔からの付き合いというか同じ職場の一年先輩だったとある人とは、僕がその職場を辞めてからもかれこれ10年以上続いている。
去年はインドからでは面白くなかったので年を越してオマーンから出し、今年はスーダンから出そうと考えた。予定より2週間位行程が遅れているのだがようやく到着し、昨日ハルツームの町を歩きショッピングモールも探したのだが、絵葉書を売っている店がみつからない。国立博物館にさえ、無い。
この街は観光地でないうえにスーダンという国に来る観光客自体も少数なので、需要が全く無いということなのか。
世界的な傾向で、絵葉書というものは以前のようなメジャーなお土産の座から降りつつあるような気がする。(自分のカメラでは写すことのできない景色や展示物、自分の腕では敵わない表現の絵葉書などは、僕は今でも記念に買ってしまうけど。)
確かに本来の用途、実際に旅先からポストに入れることってなくなった。
メールで済むから。普段の感覚で言葉を選び、撮ったばかりの写真も添付できる。
それでも彼とは昔ながらのやり取りを続けたい。実はもう長いこと会っていない年賀状だけの付き合いであって、今更変えたくないという気持ちが強いのだ。彼も同じだろうと想像する。だからお互い意表を突く様な時には奇妙とも思えるかもしれない賀状のやり取りを続けているのである。
何とかみつからないかなあ。でも、たとえみつかったとしても、フッと笑いをとれるようなユーモラスなものでなければ駄目なんだよなあ。
この辺り説明が難しいところなのだが、同じ課に在籍していた当時のコミュニケーションの感覚を忘れたくないのだ。形式的なやりとりをする仲ではないと、今でも思っている。