もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

ブラジルについてふと思うこと

サッカーワールドカップブラジル大会の開幕が近いせいか、TVの番組でもブラジルのことをとりあげることが多い。
日本代表チームのベースキャンプ地、イトゥにも多くの日本人・日系人が応援に駆けつけたという。その数五千人だっけ? ちょっとやそっとで集まることのできる人数ではない。このうち日本から応援に駆けつけた人の割合はどれほどだろうか…はっきりわからないが、多くの日本人や日系人が地球の裏側で生活をしているということだけは確かなことだ。でも国内ではそのような一般認識は無いだろう。
もちろん過去に多くの人が海外に移住していったことは事実として知られてはいる。ただ、その背景や規模、実態についてまで紹介されたり言及される機会は少ない。単に海を渡ったということ以上を理解している人は、それほどいないのではないか。



今回の旅で、カイロの宿で同じ部屋に泊まっていた韓国人との会話中に、ブラジルの日系人について話が及んだことがあった。移民の理由にもいろいろあるが、貧しくて食べていくことのできない人が新天地を求めて地球の裏側まで海を渡って行き苦労したということを話すと驚いていた。えっ日本でも、っていう感じで。
そう、こんな日本でも近い過去にはそのような時代は存在した。

実際に南米に行けば、思っている以上に多くの日系人やそのコミュニティがそれぞれの地域で根を下ろしていることが容易にわかる。各国にある移民資料館のような施設では、日本人移住の歴史がわかりやすく伝えられている。僕も南米旅行時はそのような場所で幾らかの時間を過ごし、少しばかりだが理解が深まった。
資料館の展示内容ひとつひとつはもちろんのこと、そして何よりも彼の地で生活をしている人々の存在自体が、日本人のもう一つの歴史なのである。
でも日本国内では普段から意識されることはほとんどなく、少し残念な思いだ。

我々と同じ見かけの人たちがブラジルやその近隣諸国の町々で、ポルトガル語、スペイン語、そして日本語を話しながら、少し派手なデザインや色彩の服を着て生活をしている。

僕のささやかな願望としては、彼等についてもう少し紹介されて欲しい。
小さな事柄でもよいのだ。知られることがなければ何も始まらない。