もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。

ナイロビの宿、その他

ナイロビの宿、その他

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1)ワイルドビースト エコキャンプ
ドミ1250シリング。朝食付き。ナイロビの郊外カレン地区にあるキャンプ場。部屋はすべてテント。水周りは別棟。2012年に移転したばかりで新しくきれい。ゆったりした敷地はかなり広くてのんびりするには最適。でも市街からは離れていているので(車で渋滞の中だと45〜90分位)ナイロビを観光したい人には不向き。交通量の多い表通りからは何もない田舎道を歩いて20分位入ったところにあるので、日没後は外出できない。だから逆に言えば、何もせずに数日過ごしたい人向け。僕も厳しいアフリカ旅の小休止のつもりで3日間滞在した。犬や猫もいて癒されます。ブッフェディナーは1000シリングで正直高いが、僕はここで出される生野菜や温野菜のサラダも目当てに来たようなものだった。アフリカに来て以来炭水化物ばかりの日々が続いていた身にとっては涙が出るほど嬉しかった。Wi-Fiが飛んでいるが弱く不安定。サファリも申し込むことはできるが金額が高かったので申し込まなかった。

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2)ホテル エンバシー
シングル2000シリング。トイレ・ホットシャワー、蚊帳付き。建物内2階に食堂あり。シティマーケット向かい。隣は小洒落たオーガニックレストラン。弱いがWi-Fiあり。セキュリティは信頼できると思う。
ワイルドビーストで野菜を十分に摂取した後は移動の便を考え市内に来たのだが、安宿の多い「危険地帯」は敬遠して少しは安全そうに思える場所にあるホテルに泊まった。このあたりにはスーパーや銀行、レストランもあり、夜も遅くならなければそこそこ人通りはある。


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某ガイドブックに絶対に行ってはならないと書かれている「危険地帯」だが、僕が昼間に数日ぶらついた限りでは、それほど危険な雰囲気は感じなかった。買い物もしたし、人と普通に話もした。妙な視線を感じることなど無かった。ただ他所と比べれば何処となく荒んだ空気は感じられ、常識的な注意を怠ることなく気を付ける必要はある。

まあ某ガイドブックとなれば、普通の一般旅行者向けなので、記述はこんなものとなるのだろう。それにしても、在留邦人も行ってはならないとまで書ききるところは、もう単に何か起きた時の責任逃れにしかみえない。それではまるで無法地帯についてだ。ソマリアにであればそう書いてもよろしい。僕が見た本は少し古い版なのだが、当時は実際そんなに酷かったのか? 新しい版でもこのような記述はあるのだろうか。
もちろん注意を喚起する必要はあるし、何も書かないよりはマシではあるのだが、物事を正確に調査・判断して適切な記述を行うということは、ガイドブックとしての信頼性に関わる問題である。
いきなり話をシリーズの全般的な性格についてまで拡げようとしているが、我々はいつでも英語の「奴」との比較ができる。何が正しくて何が違うのかは自ずと判ることだ。 



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ひとつ思うのだが、今あるラインナップを整理して7割くらいに減らし、出版を2-3年おきとし、その分リサーチに手間暇、予算を掛けられるようにして、信憑性の高い旅行書のシリーズとしたほうが良いのではないだろうか。これだけ手広く展開をしても小さな日本語書籍市場の中では採算が合うとは思えない。出版社は情報の内容ではなくラインナップの広さと数がシリーズの信頼性を裏付けると考えているのかと勘繰ってしまう。
また、書き手によるあまりに主観的な(事実とは異なる)形容や表現が散見されるのには、苦笑を通り越して腹が立つこと…これも何とかしてほしい。日本語って表現が多彩なだけに時々オーバーだったり少しズレていてもまあまあ認めてしまうことがある。日常会話だったらそれでも構わないが、金払って購入する情報にこれはナイだろうと常々思ってきた。
さらに言えば、実質乏しい取材内容の補足のために玉石混合な読者投稿を載せ続けるのも無責任だ。最近は大分減ったようだが。

もしくは「歩き方」というタイトルをヤめてしまうことだ。「地球の眺め方」とでもすればよいのだろう。発足当初の様に、「自分で鉄道・バスを使って一日○○○○円以内で旅をする」層をもはやターゲットとはしていないのだから。当時の彼等にこそ「歩き方」というタイトルはふさわしかった。
そうだ、「歩き方」は返上すればよい!

そんなことを、1998年に初めて日本語のガイドブックを持たずに海外に旅に出て以来ずっと考えている。当時もひどかった。あんなもの持って長旅している日本人など少数だったし、持っている本人たちですら自嘲的でアテにはしていなかった。何処そこに「歩き方」に載っていない良い所がある、という情報を互いに教え合ったものだ。
僕も初めから英語のガイドブックを携帯したかったわけではない。でも、比べてしまえばそっちの方が断然使えるので、必然的にそうなった。

※今は中国など一部のアジアに関してはこの限りではないと思う。



最近薄々感じ始めている、日本語の世界とはかくもいい加減な世界なのだろうか、という懸念の裏付を指し示す一例が、ここにも在る。