もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

バンコクをぷらぷら

 

 部屋から出るといつもの殺風景で少し陰鬱な廊下(笑)

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ホテルの朝食終了時間ぎりぎりに1階に降りたが結構な旅行者で賑わっている。西洋人、中国系も多い…、やはり春節の時期のせいだろう。

何となく無国籍風な味付の食事を済ませて町に出る。

 

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チャイナタウンの露地。ここはまだ先に行けそうだが、あまり奥の方に入り込めない感じのところも多い。

 

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この猫には見覚えがある。同じ場所を歩いた2年前もこの場所にいたはずだ。その時は仲間2匹と一緒に暇そうに丸まって昼寝していたが、今日は1匹のみ。おい、仲間は元気か? うん、よしよし、バンコクの人は優しいか、そうか。再会できたのはとにかく嬉しい。少しの間遊んでもらう。

 

 

 

最近は英語の”Legend”にあやかってか誰もかしこも「伝説の」という言葉を枕詞のように乱発する。本当の伝説は誰もが口にできるようなレベルのものではない。ただ、かつてバンコクで名を馳せたジュライホテルとまでくれば、そう称してもいい…かな。いや、もう既に過去の存在、忘却の彼方かな。

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初めてバンコクの地に降り立ったのは1999年1月のことだ。ジュライは営業を停止してから時間が経っており、旅人の話の中のみでの存在となっていた。だから僕はその実態を知らない。旅先で出会った年上の日本人旅行者の中には時々楽しそうに彼の地でおきた出来事を語る者もいた。その時既に、いわゆる伝説の存在になっていたのだと思う。ジュライサークルの場所を教えてもらい訪れたが、建物はあるもののきれいに塗り直されホテルの痕跡は見つけ難かった。もちろん知っていた人は知っていたのだけど。

 

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ところが、今回あまり期待をせずに訪れたところ、過去の証が露になっているのを発見した。その存在の痕跡をきれいにのっぺりと覆い隠していた薄青色のペンキが、バンコクの汚れた空気と過度の湿気に耐え切れずに劣化し終に剥がれ落ち始め、薄汚れた禍々しい素肌を曝け出しているのだ。この日本語表記こそ紛う事無きジュライの痕跡である。自分には直接の思い出は無いのにもかかわらず、この光景には何かを感じずにはいられなかった。亡霊だか怨念だかよくわからないが妖気の様な「気」が感じられる。ジュライは永久に死なない、のか? 何度でも蘇るゾンビですな。

 

楽宮跡地 入口上の取り外された看板文字跡が物悲しい
北京飯店には一応思い出があります

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台北大旅社も先日営業を休止したという。看板は外されていたが建物上方のものはまだ残っている。無くなるのだったら前回泊まっておくべきだった。

 

身近に存在していたにもかかわらずみすみす逃してしまい、手にすることのできなくなったものが、実は数多に存在する。でもそのうちの大半には結局のところ気付かない方が確実に幸せだ。何と言っても通常の体験からはかけ離れ中毒性がある。旅先での場合はホント二度と遭遇することなどないであろう機会ばかりなわけで、それを追い求めた末に取り憑かれてしまうことが何を意味するかは、同じ経験をした者でなければわからないだろう。

大抵は時間はかかれど雑多な日常生活の中にそれも静かに埋没してゆく。でも心の中にずっと残し続ける人間もいる。そうやって旅の毒魔に蝕まれてゆく人間もいる。

 

通りを歩いていると、反対側にある旅社の入口階段に座っただらしない格好の中年女性に手招きをされた。笑ってそのまま通り過ぎる。幾らなんでも、そんなに物好きではないのだ。

 

あらゆる存在は輪廻転生の途上にある。何か黄昏に似た感情を抱いた。

バンコクでしんみりとした感情に陥るなんて、ガラでもない。

もう一人旅は終わりにしよう。

 

 

その後MBKに行く。以前の如何わしさは訪れるたびに薄れ、信じられないことだが今は明るく健全なショッピングセンターを装っている。嘘つけ! そして何故かロシア人が多い。どこの旅行地でも彼らは物価の安い場所に集まり安物に群がる。旅先で出会うことも多かったが、見掛けはアレでも昔からぼくは彼らを他のヨーロッパ人と同一視できなかった。その理由はこの辺りにあるようだ。

…などとどうでもいいことを考えながら、こんなに携帯売場ばかり増殖してはもう面白くない場所だなと思い、隣の東急百貨店に移動してスーパーマーケットで買い物をする。しかし笑ってしまうのは、ここがバンコクであるにもかかわらず、東京の東急百貨店と同じで垢抜けない印象の内装なのだ。まさか同じ設計事務所が担当した訳ではなかろう。

 

 

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夕食は宿の近くの屋台で。ここは異常に辛い味付けなのだが四川を旅してきた後ではどうやら耐性がついているようだ。何とか食べられた。