虫の知らせとはよく言ったものだ。漠然とした感情がふっと湧き上がってきて確認をすると恐れていたことが確かに起きていた。カメラが無い。
ボダナートを訪れた時のことだった。帰りのバスがぎゅうぎゅう詰めでまあ大変な混雑だった。デイパックは体の前に降ろしていたがショルダーを一応手で掴んではいた。こんな中で子供が床に座っているのは何でだろうと思ったが深くは理由を考えなかった。後になってみれば気にするべきだったのだが、車内の込み具合に完全に気をとられていたのだ。街の中心に戻り下車した時にふと虫が知らせた。なんか軽い。
デイパックの口が半開きになっていて、確か一番上に入れた一眼レフがなくなっていた。あんなかさばる物は簡単に失くすはずはないので盗まれたと判るまでには時間はかからなかった。とりあえず警察に行くしかあるまい。
外国人の担当部署は「インターポール・セクション」だと受付で言われた。この表記を目にした時には思わず声を出して笑ってしまった。まるで子供の頃にTVでみたGメン75ではないか。まさか本物の支部があるわけないだろう。盗難は頻繁に起こるようで、何人か既に並んでいた。僕の前のウェールズから来た女の子もカメラを盗まれたらしくかなり感情的になっていた。ネパール訛の酷い英語の聴き取りに苦労しながら盗難届を作成し提出。2日後の午前10時に再び来るよう言い渡された。
冷静を装ったが内心はかなり動揺していたのを憶えている。初めての盗難だったからねえ。ダルバール広場のパゴダに登って色々思い返していたが、そんなところにも自称ガイドの若者がやってきてあれこれ話しかけてくるのがウザかった。ほっといてくれ、というのがその時の正直な気持ちだった。釈然としない気分で街を歩いているとハッパ売りに声を掛けられた。気が付くと道端に座って話し込んでいた。 何だか自分を抑制できなくて、相手が拒否した値段までキューッと値切っていた。でもすぐに向こうがおれた。
2日後に再びインターポールセクションに行き警察官が現れるのを待ったがなかなかやって来ない。そのうちとある老人がどこからともなく現れ一冊のノートを差し出した。そこには、「この人に頼んでお金を幾許か払えば盗まれた物が返ってきました。ありがとう!…云々」といった類の言葉が各国語で無数に散りばめられていた。
非常に怪しい。頼めばもしかしたら盗まれたものは帰ってくるかもしれない。でもそれはその人が探すわけではなく、これは推測だが、恐らく裏ですべて繋がっているのだろう。元締めがいて、旅行客の貴重品を盗む手下がいる。被害者はたいていは警察に盗難届を出しに来るのでそこで待ち構えこういった話を持ちかける。盗品はネパール人には高価すぎて売ることができないので盗まれた本人に買い取ってもらうのだ。数日しか滞在しない旅行客は多少金が掛かっても盗品が戻ってくる方を選んでも不思議ではない。感謝の言葉をノートにしるし、そのノートを読んだ新たな被害者が依頼を重ねる。
うまく考えたなと思った。恐らく警察でもそのことは知っている。僕が彼を頼ればこの後の仕事は無くなる。だから時間を過ぎても老人がいる間はやって来ない。
結局僕は彼に依頼をせず、その後現れた刑事と共に宿泊している部屋で荷物を確認した後、夕方盗難証明書は発行された。疑うことは警察の仕事だし、こちらも嘘ついているわけではないのだから、たんたんと事を済ませた。確認中の雑談でその刑事はのたまった。
-----俺も若くて金の無い頃インドを旅行した時、物を盗まれたと偽ろうとしたことがあったよ
誰もオマエのことなんか聞いてないんだよ、知ったことか!
カトマンズの観光自体は楽しみました。バクタプールも美しい町でした。散策にはとても良いところです。
さて帰りのこと。当時の日記には
-----東(ダージリン、カルカッタ)へ戻るのは流れに逆らっているような気がしたので、ヴァラナシからデリーに向かうこと にした。-----
などと書いてあった。当初バンコクからカトマンズインの予定だったので、ネパールからそちら方面へ行くことがまだ頭の中に残っていたのだろう。この時既にネパールはついていないらしいと感じていたので、それは正解である。止むを得ない状況を除き同じ道を往復することに、その後の旅を通してあまり良い思い出はない。
ヴァラナシへ戻るバスは夜7時発である。ネパールは国土が狭いのに道という道がすべからく山道で曲がりくねっているので移動に時間がかかり、多くは夜行バスとなる。この日もそうだった。窓口でチケットの番号と車体に書かれたバス番号を確認しろ言われて、その通りのバスに乗り込んだ。
そう、そのつもりだった。乗り込んだバスは間違いだったことを走り出してから車掌に教えられた。いや、行き先は間違っていないのです。バス番号が違うという。
同じ場所から同じ時刻出発で同じ行き先、それで車体に小さく描かれた番号が 1231と1213 なんてまぎらわしいことを許す国がどこにあるのだ、ええ?
途中の休憩で両バスは出合い、強制的に乗り換えさせられた。 もう、そのままでも問題ないだろう!と暴れたくなったがぐっとこらえた。 往きに寄った食堂にも立ち寄ったが、何も食べたいと思わなかったので水だけ買って星を眺める。01:00 a.m.。
早朝のスノウリは濃い霧の下で眠っていた。その中、国境を越える。やっとインドへ帰ってこれて何だかほっとした気分だった。でも待っていたのはやはり3+2席のボロバス、これでまた9時間も運ばれるのかと思うとガクゼンとする。
途中悪名高い北インドのポリスがバスを止め車内に入ってきた。 僕にはどこから来たのかと尋ねるので日本と答えるとそのまま過ぎていった。 やがて旅行者ではないモンゴル系の顔つきの客の一人を外へ連れ出して、やはりというか金をカツアゲしていた。 戻ってきた客は泣きそうな顔をしていた。
やれやれ、またインドか。前言撤回!