この国には工芸品に対するような愛おしさを随所に感じる
どこでも子供たちは皆無邪気に集ってくる
ヒヴァ
中央アジアの秘宝。説明は必要無いと思う。今まで訪れた場所の中で五指に入る。
アルクの上部が展望台になっていて壁に囲われた旧市街の見晴らしが素晴らしかった。特に夕方は、傾いた日差しが砂色の町に本当に似つかわしい。
夜がまた魅力的で、暗い中所々ドームやミナレットが薄っすらと浮かび上がりマジカルな雰囲気。今だったら多分ライトアップなんてされているのだろうが、当時はそんな無粋な物など無かった。
宿はホテル・ヒヴァ(旧インツーリスト)が改装中だった為イチャンカラ(壁に囲まれた旧市街)内ではアルカンチ一択だった。当時はチャイハナ以外食事をする所など無かったため宿泊に三食含まれていた。何故か此処だけ実勢レートの米ドル払いだった。1泊3食付25米ドルを3泊50米ドルで交渉したら、すぐにOKが出て驚いたw。
ブハラのムビンジョン・ゲストハウス:元は古い民家、室内は伝統的な装飾で一杯、簡素だが雰囲気のある宿 一泊2000ソム(実勢5米ドル) 床に布団を敷いて寝る
当時の中央アジアはまだ個人旅行者が世界中から押し寄せる以前で、現在のように安くて居心地の良いホステル等は無かった。だからムビンジョンの様な宿は珍しかった。旧来の「ホテル」はクタビレていて共産主義時代の残り香をいたる所で感じ取ることができ、それはそれで興味深いものだったけど(笑)。
ビザサポートを頼んだ現地のエージェンシーがB&Bの提携を始めたというので2軒利用した。タシケントのSam-Buhは当時はできたばかりのきれいな宿。ブハラでは個人住宅の広い居間を宛がわれ実質的にはプライベートルーム(ホームステイ)だった。食べ切れないほどの豪勢な朝食や、言葉はあまり通じなかったけど家族の人たちとのやりとりを楽しんだ記憶がある。でもその5ドルと比べると割高だなあなんて思ってしまう、そんな時代でした。