もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。

'99アジア その11 トルクメニスタン2

当時のトルクメニスタン旅日記です

長かったので2回に分割しました

 

 (承前)

 

●ピクニック

本当はすぐにお暇しようと思ったのだが、翌日の日曜日はグルナースの誕生祝いで郊外にピクニックに行くからぜひ来てくれ、と請われたので滞在が延びてしまった。でも本当は郊外のタルクーチュカ(サンデーバザ-ル)に行きたかった。アシュガバートではこれくらいしか見所はないと思い、そのために日曜日を滞在に含めたのだ。僕がそう言うと、メルダンは午前中に案内をしてくれるという。
彼はとても親切だった。田舎のひとの素朴な親切さ、というよりはもう少し洗練された感がある。一族郎党の頭であり、それにふさわしい人柄は皆に慕われるのもうらやましいかぎりである。

前日の夜は彼の従弟のアナーシュ(化学の教師といっていたがそれらしく少々理屈っぽい)を含め数人の親戚友人が集まり、夜遅くまでウォッカを飲み続け、僅かしか眠らずに当日の早朝家を出る。
やってきたバスは何と貸し切り。途中で友人達を拾い、結局そのバスが満席となるほどの人と荷物を載せて、郊外の山の中に入っていった。場所の名前は忘れた。そこには自然以外何があるわけでもないのだが、ピクニックに来る人達が大勢いた。
場所決めをしてから、僕はしばらくタルクーチュカのことなど忘れていたのだが、メルダンは僕を連れていってくれた。往きのバスが市内に帰るのに便乗させてもらうかたちだったが、このバス途中で客を拾っていた。何だか自由で良い。

 

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タルクーチュカは確かに広く、様々なものが売っていた。メルダンが買っていた靴下などの日用品から化粧品、民族帽、鮮やかなカーペット、はたまたエンジンのピストンにいたるまでの自動車部品、動物は家畜やラクダまで、何でも売っていた。規模は大きく、人々の民族衣装は目が覚めるような華やかさだったが、喧騒や熱気のようなものはあまり無かった。僕は彼に促されてサッカーボールを買い、ピクニックに持っていくことにした。 

 

f:id:pelmeni:20170731142209j:plainこの3倍位の人数はいたね

 

昼に戻ると、火を起こしてプロフをつくっていた。コーラと、もちろんウォッカがある。外で食べるゴハンってなんで美味しいんだろ。その後はバレーボール、サッカー、トランプ(七並べ、憶えてくれたかな)、山登り、料理づくり、大勢の人がいたのでどこかしらで何かが行なわれていて、退屈しなかった。日本の情報などあまり入ってこないと思われるのに、みんなそれなりに日本について興味をもっているのは何故だろう。やっぱり「made in Japan」の力は本当に強いのかねえ。
最後は乾杯の連続、これがウォッカで行なわれるので最後はへばった。僕も日本式のやつをやってみたが、当人のろれつが既に回っていなかったせいか、みんなよくわかっていなかった。
結構疲れたが良い思い出となった。予想もしてないことだったが、だからこそ旅は楽しい。こういう時間の過ごし方もなんか、いい。

 

 

●いつまでいるのだ

実は、僕はこの時家に一つしかないベッドを使わせてもらっていたので、少々気疲れを感じ始めていた。もう去らなければと考えていたのに、翌朝メルダンは昼までちょっと小金を貸して欲しいなんて言ってきたので、また滞在が自動的に伸びてしまった。

バスターミナルでサラフス行きのバスを確認した後、部屋に帰ると、グルナースが料理をつくっていた。小麦粉を練ったものを伸ばして切り、油で揚げて砂糖をかける。もうひとつは、パンと鳥肉とグリーンオニオンを混ぜて油で揚げたもの。どちらも、どこかで食べたことがあるようなないような味と食感だった。

この家にはテレビは無い。その代わりといっていいのか、音楽好きで、トルコで有名なエブラヒム・タトリセスやら昔懐かしのネーナから、ドイツ語や日本語の練習用教材まで、カセットテープをラジカセから常に流している。
食事は絨毯の敷かれた大きな部屋の中央にビニルのシートを敷き、そこで大皿に盛られた料理を囲んで座って食べる。家長が帰宅しないと食事は始まらない。
民族の生活様式は、それをとり囲むハ-ドが変化しても変わらないのだろう。

その晩もメルダンの帰りが遅く、食事は夜遅かった。その前に親戚のダフレットがやって来た。彼はグルナースと同じ学校のアクターコースに通う学生で、自分のことをデイヴィットと呼んでいた。英語は片言で上手くはなく、途中からグルナースが間に入っての会話だった。

 -----僕は日本の家、大きなや、屋根、が好きで、将来そんな家住みたい、建てて住みたいよ

気に入ったので財布に残っていた日本の10円玉をあげたらグルナースが嫉妬をした。ごめん、最後の1枚だったんだ。そんな彼は役者志望だけあってインド映画がお気に入りだが、Miss.Stone があんなもの嫌だと隣で顔をしかめていたのがおかしかった。ここへもインド映画は進出している。

メルダンとアナーシュが帰ってきたのはもう夜中。でもその後1時過ぎまで話は続く。もちろんウォッカ付き。翌朝5時半起床だということはわかっているはずなのに。

 

 

●さらば、アシュガバート

5時半起床、バクバンは昨夜帰って来なかった。メルダンとアナーシュと3人で静かに家を出た。駅まで連れていってもらって、タクシ-に乗り換えるところで、お別れとなった。
別れ際に軽く抱擁。別れはゆっくりと決めたかったが、何故か急いでしまった。急ぐ必要など、特に無かったのに。うまい言い回しが欲しかったが、頭に浮かんで来なかったので、最後はにっこり微笑んだ。さよなら、メルダンとみなさん、ふらっとやってきた闖入者に親切にしてくれて感謝してます。はっきりと言葉では伝わらなかったかもしれないなあ。でも、列車の中で出会えて、よかったよ。
別れは寂しい。僕にできることは、残った思い出を忘れないことだけ。

 

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再び後日談 ; 恩をあだで返すとはこのことか~。実は滞在中借りていた部屋の鍵を返し忘れてしまった。ごめんなさい!テヘランGPOから送りましたが、届いてますか?

 

 

●ビザについて --- 当時の話です

10日有効観光ビザ 31米ドル インヴィテーションレター必要 タシケントの大使館にて即日発行 

レターウズベキスタンのエージェンシー経由で現地のエージェンシーに頼んだ。おかげで手数料がかさんだ。レターが無ければ3日有効のトランジットビザとなるが代金は同じ。入国日(有効開始日)、入出国地点、滞在場所を管理される今となっては古典的なビザ。国内の重要会議開催のため国境が閉まり、おかげでウズベキスタンビザを苦労して延長する羽目になった。

 

 

 

●写真について 

撮り終えたコニカローム(ポジフィルム)をイスタンブールで現像に出したところ、間違ってネガ現像されてしまった。カートリッジに現像プロセスの番号は記されていたのに判らなかったのか? コニカロームは街中で普通に売られていたぞ。
というわけで、スキャン時にどうにか見ることのできるレベルまで色を修復しました。総天然色っぽくみえるのは、だから、悪しからず。 でも SilverFast は有能!