もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。

'98ヨーロッパ その3 

f:id:pelmeni:20171110190932j:plain建物の中庭に設けられた小さな市場

 

 

とか何とかいろいろ書いたが、この街、宿にやってきた理由は以下の2つだった。

 1)国際学生証

ヨーロッパでは学生は優遇されていて、あらゆる場所で料金の割引が受けられる。外国人がその恩恵を受けるための唯一そして絶大なるものが国際学生証だ。大げさな言い方ではなく、小額の割引きも積もり積もれば長旅においてはかなりの金額になるはずである。

宿泊者に教えてもらったとおり近くの鉄道駅(東駅/ケレティ・プー)構内にある旅行会社へ行き、簡単な手続きで入手した。これ以降も数回国際学生証を入手したが、カード自体はバンコクのカオサンで冗談半分で購入したもの以外は本物だ。既に学生は卒業していたため入手方法が違法だっただけである(笑、学生時代は正規につくりました)。

 2)情報ノート

この頃既に『地球の歩き方』はバックパッカーに限らず自分でいろいろ決めて旅行するスタイルには必ずしも合致しない内容のガイドブックだった※。ロンプラやラフガイドといった英語のガイドブックを携帯する人も多かったが、何だかんだいって現地では生の情報というものが一番役に立つのだ。律儀な日本人は情報をノート記して共有する習慣がいつの間にかできたようだ。異国での小さな助け合いといった感覚だろうか。

内容はあまり知られていない有益な情報や予め知っておいたほうが良い事項、旅のTipがメインなのだが、もちろんそれだけではなく、暇つぶしにちょうど良い話や、どうしようもなくくだらない内容、単なる伝言、旅に関係有ること無いこと何でも有りのごった煮状態。それがまた良いのだ。日本を離れながらも現在何処に居るとも判らない多くの旅行者と幾許か繋がっているという感覚は、個人的には心強く思えた。

 

 

ブダペストはヨーロッパのほぼ中心にあるからして、北から南から西から東から、あらゆる方向から集まり、あらゆる方角へと旅立っていく。人だけでなく情報も集まりやすい場所なのだ。僕が滞在したこの時もシベリア鉄道経由で東欧まで来た人や英国の語学留学帰り、ヨーロッパぐるぐるとか様々な人が集まっていた。ここで同行を募ってルーマニアやバルカン方面へ出発する人も多かった。

当時の最大のトピックは、サラエボだったかな。ノートにある情報のページはよく持ち出されてコピーされていたし、サラエボ経由で辿り着いた学生君には皆いろいろと尋ねていた。日本にいる限りではサラエボの現状を知ることは殆どない。しかし中欧まで来ればもう眼と鼻の先。行ってみようという気分になる人は多かったと思う※。欧米人は日常的に内戦の情報に接していたであろうから、そう簡単に行く気にはなれないのは想像に難くない。日本人はよく知らないおかげで純粋に好奇心のみで動いていた。

そんなこと予定に入ってない。主だった場所の観光を終えた後はチャイナマーケット辺りでだらだら過ごし、既に予定をオーバーしている。でも結局、サラエボには行こう、この先のチェコ方面は大幅に変更するしかないという気になっていた。

 -----ぜひ行くべきです。危険じゃありませんから。今見るべきですよ!

当事者の話ほどリアルで説得力のあるものはない。

 

当初の予定通り終えていたら、単なる普通の旅行だったと思う。この時の移り気が、結果的には、予定も期限も無きに等しい長旅という世界に飛び込む引鉄になった。ちょっとした偶然で、旅の素晴らしさも知ることなく違った人生を送ることになった可能性もある。

 

 

 

※ 観光地の紹介は詳しいが、アクセスや移動、宿の情報といった実用的な内容に乏しかった。そういうことを重要視しない編集方針に変わりつつあったのは、創刊当初の個人旅行者からツアーを含めた幅広い旅行者へと購買者の対象範囲を拡げたからだろう。雑誌旅行人がバックパッカー御用達の情報源と代わっていたが、ガイドブックである旅行人ノートが発売されるのはこの少し後のこと。

※当時のボスニアヘルツェゴビナには95年の内戦終結後SFORが展開していた。でも実際何がどうなっているかを尋ねても誰もあまりよく知らなかった。ノートに記された幾人かの旅行者の話だけだった。

 

 

(写真)

そのまま持って帰った情報ノートのコピー