Feb. 1998 サラエボ
サラエボは周囲を丘陵や山に囲まれ、ミリヤツカ川沿いに市街地は長く展びる。西洋と東洋が微妙に入り混じり、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教それぞれの特徴が街を形作りアクセントになっている。僕はそもそもがこういった異文化混在の場所が好きであるが、今思えばこの街がきっかけだったのかもしれない。町中にはモスクが点在し多くのミナレットが景観のアクセントになっている。高台に上がり眺めたらそれがよくわかった。美しい光景だと思った。でも騒音がしてきたので振り返るとなんと戦車が2台やってきてすれ違った。オイルの臭いが強い本物の国連軍SFORの戦車だった。夢現な気分でいてもそうやって現実に引き戻される。
旧市街は石畳に瓦屋根の木造建築が並び、こんなに遠く離れた所で、妙に安らぎや懐かしさが感じられる不思議な町並みだと思った※。京都の町家にみられるばったり床机と同じような作りの仕掛けもみられる。趣があってよろしい。
※トルコの影響を多分に受けているものだが、バルカン半島では結構共通のようだ。
この街の住人は心底明るい性格のようだ。生活もまだ色々大変なはずなのだが、そのような素振りはあまり感じられなかった。
町中ではふとしたことから始まる会話も多かった。総じて人懐っこく話好きな人が多い印象をもった。例えばカメラを構えて写真を撮ろうとすると、こちらが何も言ってないのに皆ポーズをとりたがる。勝手に笑顔でフレームに入ってくるのだ。
---ヘイヘイ!写真取ってよ!
---こっち、こっち!
銀行へ行けば話が始まる
---ようこそ、ここは現在のサラエボでは唯一の外貨両替のできる銀行なんですよ!ところで……
冬の寒空に耐え切れず幾度となくカフェに飛び込みトルココーヒーやエスプレッソで暖をとる。その日に眼にした光景だったり人々の温かな笑顔などを思い返しながら暗い気持ちに落込んだり気分が緩んだりと悲喜交々な時間を過ごす。
正直おっかなびっくりでやってきたサラエボで、予想以上の重苦しい現実に混乱したのは事実だ。日常から遠く離れたこの地でこんなに感情を揺さぶられる経験をするなんて、まったく思いもよらぬことだった。
これが旅をするということなのか。
隣り合わせになったオッチャンやオバチャンと他愛無い会話が始まる。
---元の生活に戻るのが一番。以前の様に多くの観光客で賑わうサラエボに早く戻ってほしい。だから今来てくれて嬉しいよ…
そう言ってくれる人もいた。
復興を願う彼らにとって少しでも役にたったということなのだろうか。それはわからない。僕にはそういった自負も無ければ単なる物見遊山以上のことをしたという認識も無かった。
以前の様な状態に戻ることはそう簡単なことではない。かつてのマルチカルチャーな豊かさが本当に脆い基盤の上に成り立っていたものであることを、帰国後に色々調べた過程で知った。時間の流れを巻き戻すことはできない。彼ら自身が築き始めた新しい社会を僕らは遠くから見守ることしかできない。でもずっと気にかけていたい、とその時思った。