もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

’04南米 その3 クスコ

f:id:pelmeni:20181224191437j:plainこの石をいったいどうやって積んだのだろう ------- 12角の石、クスコ旧市街

 

 

 

例えば二、三人で道を歩きながら話をしていたとする。その道がいつの間にか上り坂に変っていたり、階段になったりする。気が付くと会話が終わっている。そこで話を始めようとするが、何か、く、苦しい、会話が文章にならない…

これが高度3,400mの世界。僕にとっての最初の感想です。クスコの標高はおよそ富士山の山頂に近い高さ、日本での生活圏には存在しない高度です。もちろん人間はそんな環境でも順応できます。人々は普通に生活します。でも一時の旅行者にとってははなかなか厳しい環境ですね。高山病の症状は多かれ少なかれたいていの人に現れます。長期の旅行者なら徐々に高度を上げてきたり、昇ったり降りたりしながら体を慣らしてゆけば何とかなります。僕も最初のキトでは体が反応しましたがその後は旅の体に成ったようです。でもアンデス山中ではどの街でも、空気の薄さにだけは慣れることは難しかったですね。時々深呼吸をして思いっきり空気を吸い込んでも、肺が酸素で充満した気が全くしないのです。

 

 

 

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街の中心アルマス広場 適度なスケール感、取り囲む建物の美しさ、整備された公園、これ程居心地の良い広場って世界を見回してもあまり無いんじゃないかと思う 旧市街の狭い道を歩き回った後にこの広場に出るといつも晴々とした気分になった

 

13-16世紀にわたりクスコは繁栄したインカ帝国の首都でした。その後やってきたスペイン人にインカ帝国は滅ぼされ街は破壊されます。しかしインカの石積は非常に強固だったため残り、征服者が新たな街を築く際はその壁や土台を利用して建物を造りました。旧市街を歩けばその有様がはっきりとわかります。一見スペイン風だけどある意味折衷の様式は、それはそれで興味深いものです。

人類の歴史は弱肉強食の歴史ともいえるので、強いスぺイン人による征服も結局は必然だったのかもしれません。しかし優れた技術や文化は絶やされることなくしぶとく生き延びるものです。形式的な断絶は必ずしも根絶やしを意味しません。異文化の融合はどの地域でも独特の強さを持ち存在し続けます。表面的な審美性だけでなく文化の重層や対立、歴史的な深読みなど多方面から我々の好奇心を刺激してくるということでしょうか。その貴重な例証が目の前にあるわけです。世界的にみれば信仰や文化の併存や混合が少ない日本の日常にどっぷりと浸っている身にとっては新鮮な経験に相違ありませんでした。

 

 

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広場を離れて細い道を入る ふと見上げると2階の窓から可愛いニャンコが!

 

クスコでは、日本人バックパッカーの間で当時の人気を二分していた花田氏と八幡氏の宿のうち、ペンション八幡の方に泊まりました。僕はアジアでもヨーロッパでも(ブダペスト除く)日本人宿に積極的に泊まるということはしませんでしたが、南米では幾つか泊まってみました。まあ玉石混淆な具合はやはり南米なのですが、敢えてそうした理由は主に2つ。一つには情報が欲しかった。その場その時に流される旅をする人間にとって南米では生の情報が重要、他の旅行者との交流や情報ノート目当て。二つ目には南米在住の日本人に対するささやかな興味です。

南米で宿を経営している日本人はたいてい旅行経験者か日系移民家族です。後者について、中南米への移民は確かに日本の近代史の一部であって、資料を探せば史実として幾らでも知ることはできます。ただ古から続く日本人という流れから枝分かれた支流でありながら、そのような認識はあまり共有されることがないように思えます。たいていの人は逆に出稼ぎにやって来る日系の人々くらいしか思い浮かばないのではないでしょうか。ここでは旅を続けて行くと、多くの場所で様々な形を以って地域に溶け込む日系人の姿を目にします。本当にいろいろです。代を重ねるうちに現地に同化し日本らしさが減るようにみえることが多いのも、それは仕方のないことでしょう。ただそんな彼らのうちにも、日本本国の方を常にみている人々が確実にいます。はるばる地球の裏側まで赴き、日本語を話し日本の生活習慣を保ち続ける人々に接すれば、誰でも多少なりとも思うところが生ずることでしょう。

 

ただ今となってみれば、その個人的な興味を満たすためは実際のところ、南米を半年くらい掛けて回ってみないと、判ることも判らなかったのだろうと思います。その点、旅が長期でなかったことには心残りがありますが、当時はそんなことまだ知る由も無く、その興味も小さく漠然としたものに過ぎませんでした。夜更けに中庭にある洗濯機で汚れものを洗いながら、見慣れた位置とは全く違い天頂から更に首をのけ反る様に傾けながら半ば逆さまに引っ掛かったようにみえるオリオン座やカノープスを眺め、確かに南半球の地に立っていることを実感するくらいで満足していたのです。当時の僕は。

 

 

 

 

 

https://youtu.be/tvU6FAj70zk