トルコ4>トルコ西部~ Aug.-Sep. 2005
→ブルサ→イズミール、エフェス→コンヤ→
(経路内の時間は参考にしないでください)
サフランボルからはブルサに行こうとしたところ、珍しく直行バスの便が悪く1日1本それも夜の中途半端な時間しかありません。バスターミナルで尋ねると、イスタンブール行きに乗り手前のイズミットで乗り換えればよいと教えてくれました。それなら本数は多い。イズミットはイスタンブールより少し内陸側にあり、交通の結節点として位置しているようです。ターミナルも大きく乗換もスムーズでした。
ブルサはオスマン帝国かつての首都。モスクや廟が残る古都で緑も多く観光も楽しいですが、イシュケンデルケバブというヨーグルトと一緒に食べるケバブ発祥の地なので、もちろんいただきました。ただこの頃は普段食べつけない羊料理に飽きていたせいか、、、味の感想は憶えていません。トルコで肉料理といえば、簡単な料理なら羊か鶏を選べるのですが、きちんとした店では大抵羊だったような気がします。いやそうでもないかな。ただトルコに行ってまで鶏はないだろうという気概で無理にでも羊を食べ続けていました。ちなみに日本でも少しは名を知られるようになったパンにはさむ軽食としてのドネルケバブは、ベルリンのトルコ人が始めたという説もあるようです。僕はベルリンでわざわざトルコ人街まで食べに行きましたが、実は最初にパリで食べた牛肉ドネルケバブの方が好きだと今でも思っている不届者です(笑)。
やっぱりモスクは居心地の良いところです。トルコでは大抵誰でも自由に入ることができ、静かにしている限りは各人が思いのままに過ごすことができます。端の方では寝ている人も時々見かけます。人が多くても基本的には静謐な場なので、旅行者にとっては心身ともに休まります。ただし祈りの場では男女の区別は厳守、不問なのは猫だけ、、、多分。
モスクにもいろいろあります。
イズミルはトルコ第3の都市。港町で見所はいろいろあったはずですが、気が向かずにあまり歩き回りませんでした。ここはエフェスの遺跡へ行くための立寄りと割り切っていました。僕の場合、長く旅をしていると気分の乗らない時期が必ずやってきます。国が変わると気持ちは大体リセットされますが、広い国を時間掛けて移動し続ける場合バイオリズムのように自分の「ヤル気」が波の様に上下することが何だかわかります。
まあ、そうでなくても僕は大きな街ではただ単に雑踏に紛れて時間を過ごすことが好きです。外国に行ってまでとは思うのですが、習慣というか日常生活に戻ってみたいという気が時々頭をもたげてくるのです。
ということで、大通りを暫く歩きまわり、市場へ向かいお決まりのように猫と時間を潰し、バスマネ駅前のだだっ広い床屋で散髪をしてもらいました。適当に頼んだところ、当時多くの若者にみられたソフトモヒカンっぽい感じに仕上げてくれました。まあ、頂部がちょっと長めのスポーツ刈りみたいなもので、自分ではトルコカットと勝手に呼んでいました。よく見ると似合ってない(笑)。時間を掛けずに値段も安い。多くの客が頻繁に来店してはサッと刈ってもらいすぐに出てゆくのも気軽でいいなと思いました。でもそれをおしゃれだと思っているのか、髪型なんてあまり気にしていないのか、どっちだったのだろう。
野良なのに毛並みが黒光りしていた奴
エフェスの遺跡
程良い広さの敷地内に建物や遺構が散在しています。古代都市の遺跡の場合、大通りを中心に歩けば大抵は効率的に廻ることがことができます。ピクチャレスクな屋外劇場跡や神殿は規模も大きく状態も良いので、前に立つと心が弾み、想像力が飛躍します。遺跡としては一級品です。
地図でみるとわかりますがトルコは東西に結構長い国で、西のエーゲ海沿いから南のシリア国境まで行こうとすると国土の半分を横切らなければなりません。日本でいうと東京~福岡くらい。今にしてみれば地中海沿いを移動した方が良かった様にも思えますが、旅行時は何か魅力を感じなかったのでしょう、多分。国境近くのアンタキヤに急ぐ途中コンヤで逗留しました。
コンヤといえばセルジュク朝の古都ですが、イスラム神秘主義(スーフィズム)、メヴレヴィー教団の中心地です。
「スカートをはいた信者が音楽にあわせて、くるくると回転をし踊るという宗教行為(セマー)で知られる。これは祈りの手段であり、回転は宇宙の運行を表し、回転することで、神との一体を図るというものである。(Wikipediaより)」
教団はトルコ革命時に解散させられましたが、今はその舞踏も始祖ルーミーの命日に披露されており、コンヤを象徴する祭礼となっているようです。なかなか興味深かったのですが旅行時には時期が合わず見ることができませんでした。ただイスタンブールやカイロなどでは観光客相手の舞踏ショーとして続けられており、そのような形ではうかがい知ることはできます。後年訪れたパキスタンのラホールではスーフィーナイトと称する音楽儀礼として、深夜に聖者廟で音楽に合わせながら熱狂的に踊り陶酔状態に陥ったり、まったりしたり(もちろんアレで)していました。(日本でいうクラブみたいな意味合いの場所かも?)
それはともかく、この街も古い歴史を持つのでモスクや博物館が多く、意外と楽しむことのできる場所です。人間や動物を示す具象的なものは何も無く、一切が植物の文様や幾何学、カリグラフィー等による抽象の世界に浸るにも審美的な感覚が必要ですが、毎日接していれば自然と感覚は慣れました。イスラムの世界はこの後も長く続きます。
以下、最後の町なので写真多めです。
▽メヴラーナ博物館(ルーミー廟)
▽アラエッディン・モスク
▽カラタイ・マドラサ 保存され現在は博物館
▽インジェ・ミナーレ・マドラサ こちらも現在は博物館
▽Aziziye Masjid モダンで明るく美しいモスク ここは気に入って長居をした
アンタキヤ行のバスを探す
散々乗りまくった夜行バスも最後です。今回のトルコのバス旅の感想は前回と同じです。あらゆることがスムーズで楽なのです。大抵は流れるように移動できました。それが普通にできない国を旅してきた後だけに、初めの頃は有難みさえ感じました。ボロいバスに揺られ移動するということは、それはそれで得難い体験なのですが、快適なバスの車窓から流れ行く風景をぼうっと眺めるというのも気持ちの良い時間です。あらゆる物事が一筋縄では行かなかった中央アジアやコーカサスの後では、トルコは正直すべてが薄味に感じました。それでも良かった。そう感じること自体に意味があると思ったわけです。ただ心に残る印象としては多少浅くなることは否めません。
あーっ!!!
バスが街から外れて明かりが少なくなってゆく窓の外を眺めながら、突然思い出しました。
-----パムッカレに行き忘れた!
以前タシケントのロシヤホテルで偶然知り合ったU君がその後絵葉書を送ってくれたパムッカレ。水量が減り石灰棚には立入禁止になってしまったが、せっかくだから行ってみようと楽しみにしていた。近くに来ているのに何故だかすっかり忘れていました。う~と呻いてみても後のまつり。せめて町の中で思い出すことができれば、、、戻ったかな?。
ただ、こういうことは長旅の最中では時々あるものです。そんな時は縁が無かったと諦めるしかありません。明日の昼にはアレッポに着くのだから、来たるべき新たな時間に期待をしよう、そう自分に言い聞かせて眠りに入りました。毎日が思いもよらぬ体験の連続なので、次を楽しめばよいのです。過ぎた事、無理な事に拘ることは無くなり、その種のことには無頓着になっていった気がします。あ~、元々の性格に因るのかもしれないですけど。