もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

最近気になったこと

1)
前述のガヤから乗った列車、同じ車両の出入口前に途中から一人の老女が布に包まり座っていた。そんな寒いところに何故いるのか。この車両にはタダ乗りしている客は少なからずおり、コンパートメント内にも結構潜り込んでいる。車掌はほとんどまわってこない。彼女の近くには同じように数人座っていた。
ニューデリーに着き僕が最後で降車しようとすると、彼女だけがまだそこに残っていた。本来なら最初にホームに下りることができるはずだが、布に包まりその場に動かずに丸まっていた。僕としては眠っているものと思いたいが、当然眠りからは覚めているはずだ。
その時、何とも言い知れぬ感情がわきあがって来た。声を掛けようと思ったが、それをして彼女はどうするのだろうか。いずれは車掌か掃除夫か誰かが降ろすのだろうが、その後どこへ行くのだろうか。これは初めてのことではないだろう、普通の旅行者とは思えない。いや、考えすぎか。どのような境遇にある人なのだろうか。考えても始まらないし、僕に何かができることではないと思う。
この国では目の前で起こる事象に、時々、言い様の無い距離感を感じることがある。現実のことなのか理解しようとする思考回路が一瞬固まり焦点がふっと揺らぐ。でも、眼を拭き再び凝視しても、何も変わらない。

2)
ブッダガヤで、宿を紹介してくれたトラベルエージェントと話をしていたところ、彼の友人という若者が2人やってきた。しばらくとりとめない話をしたあと、近くに子供たちのいる学校があるから行くかと誘われた。夜も早い時間ではなかったが近くだというのでついていく。
小さな建物の中に子供がたくさんいて、僕がゲストだということで歓迎の歌を唄ってくれる。その間にノートが回ってきて名前を書き、そんな事は聞いていないが、その後寄付を要求された。ここは学校ではない。
彼らはいう。この子供たちには親が無くここで共同生活をしている。子供たちに食事として肉を買うには1ヶ月7500ルピー必要だという。ついては7500ルピーを寄付してくれないか。
僕は答えた。ノー。僕はここに援助をしに来たわけでも手伝いに来たわけでもなく、単なる旅行者だ。そんな大金を寄付するつもりはない。でも小額なら渡すことはできる。
何を話しているか子供たちには知られていないが皆無邪気に笑っている。僕は部屋を出て外で金を渡した。彼らはサンキューベリーマッチと二回くらい言ったと思う。そのまま外へ出て宿に帰った。渡した金で子供一人に Lay's のポテトチップ小袋3つ分位の食べ物が渡ったと考えることにした。
彼らは常にこういうやり方で旅行者から寄付を受けている。ノートにはおびただしい数の外国人旅行者が名を連ねていた。それだけで維持しているわけではないだろうが、他の方法、運営形態などは考え付かないというより、多分この場所には無いのだろうと思った。


今回のインド旅は南インドが長かった。南インドは観光地が多いし、北部に比べれば気候も良いし、うまくいっている共産主義政権もあるし、貧困が旅行者の目に触れることは比較的少ない。インドといっても場所により雰囲気は本当に異なる。例えばビハール州は誰にでも貧しいことがわかる。当然、楽しいとは思えない経験は他の国を旅行する時よりは多い。それなのに何故インドに行くのか。ただ単にこの国を知りたいだけなのだろうか。それとも自分を試しに行くのか。何のために?よくわからない。インドに来るたびに毎回同じような感慨にとらわれる。この期に及んでも本当によくわからないのだ。それでも惹き寄せられる。いや、だからこそ惹き寄せられるのだろうか。