もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

ドーハの悲劇

ドーハの悲劇 at アルアーリ・スタジアム




ドーハといえば、ある一定の年齢より上の人にとっては、あのドーハの悲劇に記憶が直結するだろう。
僕もそうです。先に退いていた中山がひっくり返る姿は、今でもはっきり憶えている。
せっかくドーハまで来たのだから、カタール最終日にあのスタジアムに行ってみようという気になるのも、不思議ではない。
アルアーリ・スタジアム。現在でも地元のプロサッカーチームの本拠地として使われている模様。


バスターミナルからは10,11,12番のバスで行くことができます。スタジアムは大きな交差点の角にあり、照明灯が見えたら少し手前のバス停で降ります。10番は手前で曲がってしまい、11,12番は交差点まで行くものの、近くにバス停は見当たらないです。


周囲をぐるっと一回りしたあとゲート1とサインのある入口から入ってみる。クラブハウスの入口は開いており、中に2人いたものの何をしているかわからない。試合がある日は賑わうのだろう。グッズを売っている売店があったが無人。ちなみにホームのユニフォームは中村俊輔のいたセルティックと同じ緑と白の太い横縞。トロフィーが多いので強豪ということだろう。写真を撮ったので外に戻る。



そこで警備員のおっちゃんに呼び止められる。暇で話し相手が欲しかったのだろう。小屋に招き入れられ暫く話をする。名前を聞いたはずだが忘れたので仮にアーリ氏とする。スーダンから働きに来て3年。家族は国に残している。カタールは生活費が高いので良くないという。もう一人同僚がやってきて、2人でしきりにバーレーンはいいと薦めてくる。特に酒と女がいいという。ははは。同じ湾岸諸国でも戒律はバーレーンが一番緩いらしい。写真をとってもいいか尋ねるとプロブレムだと拒まれる。少し残念。

もう一度一緒に中を案内してもらう。競技場に入ってもいいというので、一人でスタンドに上がった。 
思ったより小さいスタジアムだった。予選とはいえこんなところで国際試合をしていたのか。
例のコーナーキックが蹴られた方をじっと眺める。
不思議な感慨にとらわれる。あれは一体何年前のことだろう? 
松永はほとんど動けなかった。津並が出ていれば… いろいろな記憶が脳裏をよぎる。

現在はもっと大きな競技場が市内にはあるようだ。

アーリ氏は、ブラザー、と呼ぶので、最初妙な顔をしたら、逆に、俺の肌が黒いから嫌いなのかなどと言い出す。もう習慣の違いは面倒だなと思いながら、でもアフリカ人と話をする機会など滅多に無いからなあと、これまた不思議な感慨にとらわれる。何故か話の流れから彼の似顔絵を描くことになっていたが、彼はそれを気に入らず(リアルだからか?)、俺はこんなだ(だった)と言いながら描いた自分の顔はアフロヘアーだった。
でも今のあんたのアタマには毛なんか無いじゃん!!



2人に別れの挨拶をして大通りに出る。向かいはザ・モールというショッピングモール。夕方の出発まで時間があるので寄ってみる。陽が高い午後は、ここいら辺の国の人々は活動しないようで、ここもガラガラ。あまりおもしろくないのでコーヒー飲んで時間をつぶす。ショッピングモールに行きすぎて、もうちょっとのことでは感動しない。帰る頃になって幾らか人が増えている。彼らと入れ違いで僕はモールを出た。ホテルに帰り荷物を受け取り、タクシーで空港に向かった。


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2011年のアジアカップの時のユニだろう。選手のサイン入り

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例のショートコーナーが蹴られたあたりを眺める

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アーリ氏(仮名)は写真を嫌がったので残念ながら下手な似顔絵にて