もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

アルマトゥイは大きな町

アルマトゥイ



ビシュケクのさくらゲストハウスで2週間以上同室だったカナダ人のウィルが大学で英語教師をしているアルマトゥイにやってきた。
「アルマティに比べればビシュケクは ”ヴィレッジ” だ」と事ある毎に彼がのたまっていたのが気になっていた。おかげでどんなところだか興味津々。
少し離れたアルマアタ1駅から乗ったバスが街に入って、最初の感想:確かに「都会」ではあるようだ。バスは目抜き通りを走っているが大きな建物はなかなか途切れない。


色々歩いてみた。大きい街なのだが、冬のせいか全体的に無彩色でひと気や賑わいが少ない印象だ。緑は多そうで(冬なので想像するのみ… )、所々でハッとするシーンに出くわすのだが、ソビエトチックで無愛想な建物が街の目抜き通りに建ち並ぶ様には気が滅入る。


1910-30年代、確かにソビエト建築はモダニズムにおいてアヴァンギャルドの極北だった。知っている人にとってはとても興味深い事実だ。思想的にも本当に革命的なのである。建築デザインが社会改革とリンクして新たなステージへと展開していった稀有な証例であった。だからモスクワに今でも残る幾つかの建築はその多くがメンテナンスの行き届かない残念な姿を曝しているにもかかわらず、かつての栄光というオーラを未だ身に纏っているようにみえる。
ただしここで見られる多くの建築はその亜種と、後のインターナショナルスタイルの縮小再生産といったところのようだ。

歩きながら、ギリシア以来のヨーロッパ建築における装飾の重要性について改めて考えさせられた。大仰な表現は好きになれないが、ひとつひとつは物理的には街並を構成する要素であり、その多様性が色々な表情を見せてくれる。多様といっても秩序(オーダー)の範囲内ではあるが、無国籍と呼ばれるよりは統制がとられ多少の厳格さが感じとれるくらいの方が個人的には好ましいと思う。
創造性の無い芸術は退屈なオブジェにすぎない。感情を喚起することのない街並みもまた退屈なオブジェの陳列にすぎない。

夏になれば街路樹の緑がその無表情さを緩和してくれるのだろうが、冬はムキダシの本来の姿が露わにされ、目の当たりにすることになる。

これは少々厳しいな。冬の寒さ以上に体に心にこたえる。



( ※でも、そういった一筋縄ではいかないところが好きなのさ、旧ソ連!)



そんな街の中心から少し離れると、幾分のんびりとした雰囲気となる。
不思議に感じたのは、住宅街と繁華街(というほどでもないが)の境目が曖昧な点だ。というか混ざり合っている。ジベックジョル通りには普通の集合住宅があるし、フルマノフ通りも南の方に上がる途中に急に静かな雰囲気に変ったりする。大きな街にみられる繁華街や住居地域というようなはっきりとした区分けがみられない。
ここでは道路が碁盤の目の様に整然と配置され、その上に街は拡がっている。
でも「都会」というよりは大きな大きな町といった方が、実際のところは当たっているような気がする。


不思議といえばもうひとつ。
髪がだいぶ伸びてうっとおしくなってきたので散髪したのだが、その途端に街中で話しかけられることが増えたのだ。2日で5回くらい。ツムへはどう行ったらよいのかとか、このバスはどこそこへ行くのかとか… 僕はロシア語会話もおぼつかないどころかカザフ語なんかまったくわからないのに。
散髪前は髪が伸びていたのでおそらく外国人旅行者だと思われたのだろうが、元々カザフ人と日本人って良く似た顔つきなものだから、カザフカットにされた後からはこいつはローカルな奴とみなされ始めたのだろう。

そういえば以前トルクメニスタンで列車に乗った時、同じコンパートメント内の乗客は僕のことを最初はカザフ人だと思っていたことを、ふと思い出した。



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ここは、暖かい季節に腰を落ち着けて滞在すれば、また違った印象を持つことができるのではないかな。




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【宿泊】Алматы/Almaty
Hotel Zhetisu シングル4000KZT 
旧ソ連スタイルの鬱蒼とした大規模ホテル(それが好き!) 客室は多いが宿泊客は少ない