もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

夜の出発

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アジアに戻って来て以来一日が長い。夜遅くまで当所なくぶらぶら散策する楽しみがある。

アフリカではそうはいかなかった。日が落ちて暗くなると、気分は警戒モードに切り替わる。大きな街ならではの夜の雰囲気があるはずなのだが、大きな街だからこそ楽しむわけにもいかなかったのが、アフリカ。夜は自然と早くならざるを得ず、その規則正しい生活のおかげで旅の時間を健康に過ごすことができたのも事実だが、物足りなく思えたことも度々あった。
まあ、それもすべてひっくるめてアフリカさ!と言えなくもないが、そこまで許したらキリが無いというものだ。


今夜乗るバスはこのバスターミナルでは最終から2番目の出発、待合室で待つ客も既にまばらだ。昼間や夜まだ早い時間の賑やかさとはうってかわって、建物内は静まり返っている。窓口で大声で服務員とやり合う御仁もいない。売店も早々とシャッターを下ろてしまった。天井の蛍光灯は青白い光で時々ちらつき、人いきれが無くがらんとした空間にはそれだけでは心許ない照度のように思えた。


出発前の時間は誰でも多少の緊張感を持ち合わせている。
夜遅くとなれば周りも静まり、昼間のように雑然とした雰囲気に気が紛れるということはない。気が付けば自然と何かに気持ちが集中している。それは次の目的地のことであったり、今日一日の回想であったり、または、聴いている音楽や読んでいる本の場合もある。
何も考えずにただぼうっと佇んでいる時も意外と多い。


この雰囲気が好きだ。
周りの人たちは僕の存在など気に留めること無く静かに彼らの時間を生き、その中にいながら周囲とは一定の距離を置き一人静かに自分の世界に閉じこもること。

夜の駅やバスターミナルは、そんな状況にひたるには絶好の場所だ。

地元の人と触れ合う時間もそれはそれで楽しいものだが、人々の中に紛れて独りでいることの寂しさというものを、時々無性に愛おしく感じることが僕にはあるようだ。



とはいえ今は、これから先の時間や空間に対して不安や期待は特に持っておらず、ただ淡々とバスの発車時刻を待っているだけだ。
そして出発の10分前になれば、腰を上げ荷物を担いで車の方に向かって歩き出す。

これまで何十回もやり過ごしてきたことをまた今日も繰り返す。

もうこんなことには慣れてきってしまい、いちいち感想など持てない旅ずれた自分に対して、一抹のつまらなさを感じているのも確かだ。