もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

グルミット、フサイニの吊橋

グルミットとフサイニ

 

 

パスーに滞在することにしたのでグルミットは日帰りで訪れることにした。

パスーもグルミットも基本的にはもう少し暖かい時期にトレッキングに出るベースとする場所なのだろうと思う。でも小さな村なりに落ち着いた静かなたたずまいがあり、やはりパキスタン北部は良いところだなと感じた。

 

 

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「グルミットで最も古い家」は、やはりこの地域独特の造りでトップライト、4本の柱、周囲の一段上がった居住スペースの3点セット。柱に細かい文様の彫刻が施されている。この住居形式はアルチットもそうだったが、以前タジキスタンのパミールで見たものとほぼ同じである。宗教もそういえば同じイスマイリア派だったかな。アフガニスタンのワハーンをまたぎ同じ文化のもとに暮らす人々が頭の中で繋がった。峠を越えて人々の交流は今でも行われている。
ここで女性達が機を織っているのだそうだが、訪問時には一人いただけで作業は行われていなかった。

 

 

 

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旧ポログラウンド真ん中ぐらいにあるカルチュラルミュージアムは隣のホテル、マルコポーロインの人に鍵を開けてもらい中を説明してもらった。民俗博物館の類のものは僕は大好きである。その地に根差した独自の生活様式を眼にする度に好奇心が刺激され、いつも楽しみを感じる。でもさ…、埃くらい払ってくれよ、まったく。せっかく良いものが有るのに手入れを怠り放っておかれているのをみると残念な気持ちになる。もうちょっと気を使って欲しいな、金もきちんととることだし。

見終わってからチャイをご馳走になり、しばらく話をしてからホテルを後にした。

 

 

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村を少し歩き回り、時間がまだ早いのでフサイニに移動することにした。KKHへ出て30分くらい待った後に通りかかった車に乗り込む。

 

 

 

道路が高いところを通っているのでフサイニの吊橋の所在は判るのだが、そこまで下りる道がわからない。ヘアピンカーブの所から入ってゆくことまで聞き出したがその後迷っていたところ、ちょうど通りかかった牛を連れた男性の一団が橋を渡るというので一緒についていった。その内の一人は何と日本語を話す事ができるので驚いた。

彼等はあの吊橋を牛を連れて渡るというのだが、まさかそのまま曳いてゆくわけではあるまい。どうするのか判らなかったので、橋の袂で見ることにした。まず牛を仰向けにして皆で押え込み一人がロープですべての足を縛り上げた。そして牛をおとなしくさせてから引っ張りゆっくりと渡って行った、この橋を。

今日は風が強く、河原の砂が白く巻き上げられるのが判るほどだった。それでも無事渡りきった。

 

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