カシュガルをぷらぷら
カシュガルの滞在は2度目だ。大きな街ではないので目ぼしい所は前回に大方訪れたが、何度来ても老城の街歩きは楽しい…、と喜んでばかりいられないことはすぐにわかる。それが中国。
まあぷらぷら歩きますか。
2年前この通り沿いには建物が並んでいたはずだ。特にこの角はむさ苦しい野郎どもが群がる携帯ショップだったが、その痕跡すら残さずに整地されてしまった。
こんな門など無かった!!
この町は意図的に作り変えられている。恐らく5年前と現在では大分変わってしまったのだろう。改変は更に進み、数年後にはおそらく以前とは別の町が出来上がっているのかもしれない。
腹が減ったので市場へ行く。食欲をそそるもの、訳のわからないもの… 何時行っても市場には飽きが来ない。
高台民居は初めて訪れる。無料だったっけ。ここの周囲も整理されて高台のみが取り残され見世物としている様にしか見えない。酷いと思った。
前回の滞在では、目の前で起こる現実に対して色々思うこと考えることが多く、その振れも様々な方に向いていた。今回は二度目のせいか気持ちに余裕があるのが自分でもよくわかる。その分感情の振れは少ない。中国の旅自体二度目ということもあり、この国に対する慣れもある。おかげでもしかしたら大事なものを見逃しているのではないかという不安になる。感情を逆なでされるような出来事は相変わらず起こり、その度に一筋縄ではいかない国だなあという感想を持つ。
ただ、何だかんだ言って中国の旅は楽である。食べ物はひと通り美味い。ウイグル人はともかく漢人とは見掛けが変わらないせいかお互いに初対面時の警戒心が少ない。会話が通じなくても漢字を読むことができるので筆談で意志の疎通ができる(筆談に対する抵抗心はまず無いようだ)。標識や表示の理解も容易だ。その他何となく感覚で理解できたり通じ合ったりする事が多いのだ。これは旅を通して肌で感じ取ることのできる空気みたいなもの。アフリカにはアフリカのノリがあり、南米には南米の重みがある。学生の頃なんかに中国に来たならば、もしかしたら食い足りなく感じたかもしれない。でも今はその楽さ加減が心地よく感じるのである。
食事はやっぱり夜市へ。屋外で食べる食事って何で美味しいのだろう。屋台のハシゴをする。