もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

昆明再び

 昆明

 

そこで昆明までやってきた。この街は2年前に訪れひととおり歩き回っている。今回は別の宿に滞在し(といってもまたもや青年旅舎だが)、まずは当時の記憶を元に同じようなルートを散策してみた。以前ネットしに訪れたカフェが潰れていたり(McCafeではちょっと残念…)、暗くなるまで音楽掛けて大勢の人が踊っていた公園が静かになっていたり、地鉄が街中まで開通していたりと若干の変化はあるものの、それほど時間が経っていないので、特に変わったという印象はなく何やら安心したと同時に、当時のことを思い出して多少感傷的な気持ちにもなった。円通寺~北門街~雲南大学~文林街~翠湖公園と今回も辿ってみる。やっぱり気持ちの良い散策路だ。ここまでくると寒さも大分穏やかになっていることもある。

でもまあ中国なので相変わらず何処かしら工事をしていて、老街辺りなど今後どうなってしまうか予断を許さない。幾つか古い建物は残っているものの、青色吐息といった感じで淋しい限りだ。古い建物のある一角がフェンスで囲まれていて、ここもいずれ新しい、昆明老街らしい建物に置き換わるのだろう。でも、幾ら再生しようと試みても、雰囲気を真似て新たに作られたものは単に新しいものでしかない。その訴求力に欠ける薄っぺらな印象は意外と誰が見ても判るものだ。中国は全国であまりにも多くのものを壊しすぎてしまった感がある。一度失ったものは二度と戻らない。その失われたものの価値を知っている人間は日常生活で日々接する地元住民であり(あるいは目の肥えた旅人だったりして)、為政者や役人ではない。

 

昆明の街自体については、変化が無く安心したところと残念なところ、両方に対するアンビバレントな思いが自分の中で交錯している。

そして多分中国全体に対しても同様に簡単に好きとか嫌いとか言う事ができないような気がしてきた。これはインドに対する感情と何だか似てきて妙な気分である。インド同様中国にも虜われてしまったということなのだろうか。