もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'98ヨーロッパ その1 ミラノへ

これもまた昔の旅の記録のようなものです

 

■旅行期間:1998年2-3月

■旅行箇所:ミラノ、コモ、ブダペスト、ケチュケメート、サラエボドブロブニク、ブルノ、テルチチェスキークルムロフ、ウィーン、

 

■背景:ちょうど2年近く勤めていた建築設計事務所を辞めたところだった。この業界でよくあることだが、毎日定時が終電で家には寝に帰るだけ、時にはそれすらも面倒に思える程。最後には体調を崩し、仕事の切れ目でようやく逃げ出した(弾き出された)。でも仕事の内容は面白かった。体力的にはキツかったが知的好奇心は満たされていた。今振り返れば必ずしも悪い思い出ばかりではないが、さすがに若くなければ務まらない働き方だったと思う。

通勤を止めてしばらくの間は毎日寝ていた。体が動かない。自分で考えていた以上に体に負荷が掛かっていたのだ。そして2週間くらいたったある朝、ようやく気持ち良く目覚めることができた。そのときふと思った。

 -----どこか旅に出たい

無意識の内に体が要求したようだ。でもそれは漠然とした感情であって、具体的に行きたい場所はすぐには思い浮かばなかったが、とりあえず近くのHISへ行きヨーロッパ1ヶ月往復航空券を予約した。

そうなのだ。その頃はまだ長期旅行をするという概念が自分の中になかった。行き先を選び資料と持ち物を掻き集めて2週間も経たずに飛び立った。思えばこれがその後の人生に大きな影響を与える旅立ちだった。

 

■イタリア

ヨーロッパは3回目だがその何れもにちょこっと寄っている国がイタリアだった。やはり好きだったのだと思う。地中海沿いの国は食べ物が美味しいのがアドバンテージだ。何も高級なものに限らない。定食屋でも買い食いでも何食べても美味しいと思える。そのうえかなり割安に感じた物価など、一人当たりのGDPがほとんど変わらなくなってしまった現在とは金銭感覚は少し違っていた。

 

■コモ

まだどっぷりとデザインの世界に浸かっていた時分、イタリアはデザインの国であり、ジュゼッペ・テラーニという建築家に当時少し興味があった。ミラノを中心に活動していたので見学するにはちょうど良かった。モダニズムの中心はフランス、ドイツといったところであり、その影響範囲の周縁にあったイタリア、ロシアという地域には純粋なイデオロギーの範疇のみに収まらない魅力ある建築家が作品を作っていた。

 

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f:id:pelmeni:20171024155112j:plain(カーザ・デル・ファッショ、サンテリア幼稚園、ヴィラ・ビアンカ

 

ミラノと日帰りで行けるコモという街に残る彼の作品を見学に出かけた。

モダニズムの建築言語に、イタリアに連綿と続くクラシカルな規則と感覚、造形の幾何学的操作が絶妙に組み合わされ、多方面からの読み方が可能な奥深さが、まだ頭を使うことを厭わない若さを保っていた自分の嗜好に合っていた。当時はね。

 

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 (ミラノ市内の集合住宅 ジュリアーニ・フリジェーリオ、ルスティチ)

 

この時はあまりミラノの観光をしなかったのか、記憶が少ない。ドゥオモと路面電車と建築見学の間の街歩きくらいかな。そうだ思い出した。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ「最後の晩餐」を観に行ったら修復中で、見学不可の小さな貼紙にひどくがっかりしたのだった。たまたま居合わせたアメリカ人が信じられないくらい ”F◎CK !” を連発していのがおかしかった。当時は見学に予約の必要は無かったと思う。

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今となっては懐かしい以外の何物でもありません。色々なことを、結構憶えているものです。