もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'98ヨーロッパ その6 

Feb.-Mar. 1998 ドゥブロヴニクブダペスト

 

f:id:pelmeni:20171221021410j:plain

f:id:pelmeni:20171221021431j:plain

 

 

サラエボからドブロブニクへバスで移動した。途中の風景には内戦の傷跡も残りいたたまれないものがあったが、内陸部からクロアチアダルマチア海岸沿いの道路に出てからは、もう、広い空! 青い海! 美しい島影! 別世界のようだった。

まだ肌寒かったけど、溢れんばかりの陽の光の中、開放感で気分が一気に弾けた。特異な町の景観も素晴らしい。こう言っては悪いが、陰鬱だったサラエボとは何もかも対照的だった。レストランでワイン飲んだりスカンピを食べたり夜遅くまで海沿いを散歩したり。旧市街を取り囲む壁上の遊歩道は遮る物無く360°のパノラマだ。この町は大きく内戦の被害を受けたわけではなかったが※、旅行者が(恐らく)まだ少ない分、のんびりと時間を過ごすことができた。

 

やっぱり旅はこうでなくては。

いろいろあるから楽しいのだ。そもそも旅行者は好奇心が強い分、移り気だ。過ぎ去ったことはすぐに忘れ、目の前の楽しみに飛びつき、次の訪問地に想いを寄せる。

 

 -----ここは美しい場所だから新婚旅行にぴったりだ、なんて皆言うけど、来ちゃったねー。また来ればいいか-----

なんて話しながら同行者とザグレブ経由でブダペストまで帰った。

(実は2003年に再訪している。結局新婚旅行で来ることは無かったw)

 

※裏山へ登るケーブルカー休止中だったが、内戦の影響は限られたものだった。

 

* 

宿は例のテレザハウス。数日間居なかった間に建物の入口に扉が付いてオートロック仕様となっていたことには驚いた。住人?は2,3人を除いて皆入れ替っていた。こういう宿の場合偶々居合わせたメンバー次第で雰囲気は意外と変わるものである。当然ではあるが楽しかった記憶がいつまでも続くわけではない。先も押し詰まっていたので、名残惜しかったが2泊のみで発った。

 

ブダペスト・ケレティ駅からチェコ行きの列車に乗る。当日は少し早めに行ったはずだったのだが…、一つしかない国際列車の窓口は発券の処理が異常に遅く、長い列ができていた。そして、何と予定の列車を乗り損ねてしまった!! ここが西欧ではないことを忘れていたよ、まったく。でも運が良かった。チェコ方面の特急列車は複数本あり何とか4時間後の列車に乗ることができた。

一人旅が再開したが、残りの日数は僅かしか残っていなかった。急がなければ -----でもこの頃はまだゆっくりと旅をする術を知らなかった。今思えば何か常に急かされていたようにもみえるが、こういう気分で移動し続けること実はそれほど嫌いではない。

ブルノには夕方到着した。

 

 

 

 

f:id:pelmeni:20171226213843j:plainf:id:pelmeni:20171226213852j:plainf:id:pelmeni:20171230025629j:plain時間は前後するがブダペストのカーニバル(2月中旬)。なんか素朴で微笑ましいとの感想を当時抱いたが、ヨーロッパのカーニバルは素朴な所も多いことを後に知る。

 

f:id:pelmeni:20171226214154j:plain最近洞窟ツアーに人気があるようだが、ブダペストでは当時既にケービングツアーがあった。