もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'05旅 その1 出発/タシケント

Jul. 1-3, '05

 

出発

 

南米を旅したおかげで知見が拡がり、せめて地球半周くらいしなければ自分の旅人生を終えることはできないと考え始めたら妄想が止まらなくなりました。自分があちこちに飛び回り永遠に旅人であり続けることができたらどんなに素晴らしいことなのだろう…。でもさすがにそれは妄想で止めておかなければなりません。ひとまず次が最後の旅とすべくプランを考え始めました。

北米や中国オージーには当時興味があまり無かったので、残るはアフリカか中近東。そこで以前すっ飛ばしてあまり滞在できなかったトルコを回った後南下してエジプトまで。その先はその時の気分次第で。トルコの前に地続きのコーカサスを。頭の中でおおまかなルートが繋がりました。

そこでアゼルバイジャンのバクーまでのチケットを探しました。でもそんなマイナーな旧ソ連の国への航空券なんてアエロフロートのモスクワ乗継しかないかな、多分高いんだろうなと思っていたところ、ネット上でコーカサスへ就航しているウズベキスタン航空を扱っている旅行会社を見つけました。嬉しいことにタシケントでの72時間ストップオーバー可でした。料金も安かったのでビンゴ!な気分になり申し込み、上機嫌でウズベキスタン大使館へ観光ビザの申請です。99年に続いて二度目の滞在になります。ウズベキスタン航空の利用も2度目(前回はラホール→タシケント)ですが、日本就航便は止めたり復活したりで長続きしない印象があります。今は具合良いのかな。

当時は国内で正規料金以外の航空券を買おうとすれば、旅行会社扱いの往復航空券しかありませんでした(片道チケットは存在したが非常に割高)。長旅の場合帰国便は捨てる他なく、それはその後問題になりましたが、他にやり様は無かったです。

 

●旅行期間:2005年7月~2006年1月

●行程:出国 → タシケントS.O. → アゼルバイジャン → グルジアアルメニア、ナゴルノカラバフ → トルコ → シリア、レバノン → ヨルダン → イエメン → ヨルダン、イスラエル → エジプト → インド → (バングラデシュ) → ミャンマー → タイ、カンボジア → 帰国

 

 

 

タシケント再訪

 

成田から発った機内には多くの日本人乗客が乗っていて賑やかでしたが、殆どがどうやらイスタンブール行のツアー客だったようで、タシケントの空港でトランジット待合室でなく入国手続きに向かった日本人は数人でした。この空港の利用も2回目なので勝手知ったる何かです。前回はてこずった税関申告も問題無く済ませ無事入国。建物を出て右手のトロリーバス乗場へ。ホテルが集まっているところで下車し、あたりをつけていた宿に空き部屋があったのでチェックイン。無駄のない移動、最初くらいはこうありたいものです。

まずは前回の滞在の追想へ。

 

f:id:pelmeni:20170727093033j:plain前回99年に泊まった懐かしのホテル・ロシヤ すべてはここから始まった

f:id:pelmeni:20190707185853j:plainそれが何とこの様な建物に変わっていた。名前も垢抜けた「グランド・ミール・ホテル」へ変更。外資系でしょう。でもよく見ると建物の建っている場所も規模もほぼ同じ。ということは現地改装の可能性が大ですね。大きな交差点に面していてトラムやトロリーバスの行き違いが部屋から飽きずに眺められたのですが、写真向かって右手奥に向かう中心街へのトラムは既に廃止されていました。新しいホテルはデザインが見れば見るほど残念です。

 

タシケント旧ソ連第4の都市ですが、観光する場所はそれほど多いわけでなく、歩くことを厭わない人にとっては殊更広い街ではありません。前回の記憶を頼りに地図を見ながら歩いたりトラムに乗ったりしました。

 

しかし暑い。日本の様な湿気は無く、乾いた、ジリジリとくる暑さです。

 

 

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街中にある集合住宅の妻面に奇麗なタイルワーク


腹ごしらえに市場へ。中央アジアの常でしたが、街中にカフェと看板を掲げている店があってもほぼ単なる食堂です。メニューは大抵プローフ(昼のみ)、ラグマン、シャシリクのお決まり3点セットが中心。コーヒーを頼んでも不思議な顔されます。何とNESCAFEの看板が出てる店ですらコーヒーなど無かったです。何故だ? ここの飲み物はチャイ≒日本のほうじ茶。それもポット1杯もれなく付いてきます。

昼時なら市場内の食堂が安くて新鮮で美味いのだ。

f:id:pelmeni:20190710013027j:plain青いタイルのドームが印象的なチャルス市場

かつてのタシケントは、ここチャルス市場を中心とした旧市街とボズス運河東側にロシア人が作った新市街が隣接していたが、1966年に起きた大地震後の大規模な再開発で昔ながらの旧市街は大分小さくなってしまった。中央アジアらしく土壁で閉じた旧市街と道路や公園が整然と整備されたロシア的な新市街の対比は、やはりここでも興味深いものです。

 

f:id:pelmeni:20190710021344j:plainウズベクの英雄アミール・ティムール像

 

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ナヴォイ劇場。第二次大戦後に強制連行された旧日本軍の抑留者が建設に参加した旨が記された碑文が取り付けられている。敢えて捕虜という言葉を使わないのは当時の大統領の意だそうです。

 

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f:id:pelmeni:20190713015329j:plain国立応用美術館。古代からロシア支配以前までの伝統芸術品等がウズベク各地から集め展示されている。伝統的な装飾のある邸宅に増築改装したもので、個人的に好きな場所の一つ。

 

 

タシケントは個人的な思い入れのある場所でした。初めて訪れたのは1999年の事ですが、それまで訪れた西欧や東南、南アジアといったある意味既知の情報に担保された場所とは違い、中央アジアは当時はまだよく知られていない所。僅かな情報を頼りに好奇心のみで飛んで行ったようなものでした。その最初に降り立った場所です。旧ソ連地域の旅人に不愛想な諸々の話は当時から知られ、警戒心や猜疑心を持ちながら最初の数日間を過ごしたのも今となっては笑い話です。言葉とか風習とか未知の文化の場所に自らを投げ込み反応を確認するといったリアル版のゲーム感覚に自分の旅の時間を重ね始めたのは、その99年の中央アジアが最初だったと思います。

 

パリやローマを再訪するのとは違った感慨をこの時は持つことになりました。6年経ち、旅ずれした自分にとってはどの様にみえるのか。そんなこと考えていたので純粋な気持ちで歩き回っていたわけではありませんが、面白い経験でした。都会なので多かれ少なかれ変化はあるものだと思っていました。目新しい色鮮やかな看板が増えたことは一目瞭然です。数少なかった商店が小規模ながらも増え、店番の少年が片言の英語を喋るなんて思いもよらないことでした。雰囲気が貧相で寂しかったGUM(国営百貨店)やTsUM(中央百貨店)といった施設は衰退したりショッピングセンターに変わっていたりしていました。新たに作られたスーパーマーケットも短期間で閉鎖されていたり、古いホテルが軒並み改装されていたり、路面電車が部分廃止されていたり、相変わらず娯楽は少なそうで、、、その他にも、まあ細かく見れば新しい経済の荒波を確実に受けた痕跡は見受けられました。外資が入ってきたりこの頃は色々変わって行った時期でしたが、僕は街が変化することについては肯定も否定もしない派なので、そういうものなのだろうと平然を装っていた気がします。それでも相変わらず賑わう市場や旧市街など変化の少ない所に迷い込めば、やはり懐かしさを感じほっとするものです。タシケントの街そのものよりは、前回の未だ初心だった自分の行動やら心の揺らぎやらを思い出すことの方が支配的で、多少感傷的になった滞在でした。ま、最初なのでいいでしょう。

 

旧遊の地を再訪する際はアンビバレントな感情を必ず抱きます。良い面は、以前の楽しい思い出が蘇ること。以前と変わらぬ光景を目前に当時を追想しながら幸せな気持ちに浸ることができます。悪い面は、以前の楽しい思い出が永久に失われてしまったことを知ること。変わってしまった光景を目前にかつて過ごした時間はもう自分の記憶の中にしか存在しないことを知り嘆くのです。たいていはその相反する要素が混ざり合っているものです。どちらも当然といえば当然のことなのですが、非日常の心には受け入れる準備や余裕が無いこともあります。一介の旅行者としてはただ眺めたり受け入れるしかありません。それを楽しむも惜しむも本人の気持ちの持ち方次第なのですが、長く旅をすればするほどそのような機会は増え、次第にこだわりの気持ちは少なくなってゆきます。これは自分の実感です。たいていの場合、ヴォネガットではありませんが「そういうものだ」と心の中で呟くしかなくなります。実は旅の時間なんて程々にした方が良いのでしょう。

 

 

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 前回の旅日記(回想)です。

pelmeni.hatenablog.com