コーカサス3 > グルジア(現ジョージア)アルメニア その2 ●Jul. 21-26, '05
→イェレヴァン→ゴリス→
古代のアルメニア王国はキリスト教を国教とした初めての国として有名ですが、その後は東ローマ、ペルシア、トルコ、ロシア等の列強に支配され、現在の共和国として独立したのはソ連崩壊後のことです。首都イェレヴァンの起源は古くからのもので、第一次大戦後の混乱期に人口が増大し、その後の都市計画に基づき現在の街が形成されました。地図をみる限りではこの街の形態にはそそられますね…、でも地上歩いている分にはわかりません。広場や公園が広く街路樹も育ち、ぶらぶら歩く際の気持ち良さは安定のソビエトタウンです。まあ単なる僕の好みですが。中心部には赤っぽい色の石を使った建物がまとまって建ち目を惹きます。
街自体というよりは近郊に見所があるので、それぞれ日帰りで訪れました。
旧約聖書でノアの箱舟が流れ着いたアララト山を背景に、絵になる光景
大アララト山と小アララト山 でもどちらもアルメニアでなくトルコ領
■ガルニ神殿
ヘレニズム時代の建築 大規模に改修されているため少々奇麗すぎるが見事な造形 突き出すように切り立った崖の上に建つのは、元々が太陽神ミトラのための神殿であるためか
■ゲガルド修道院
こちらは岩肌に囲まれた崖の中腹にある
結婚式が行われていた
この日はバスやタクシーを乗り継ぎ、ホルヴィラップ→ガルニ→ゲガルトと一日で回り切りました。こんなに効率良く動くことのできる一日はそれほどありません。スイス人と日本人の組み合わせでなければ無理だったでしょう。多分。
蒸し暑さ100倍の乗合バス
アルメニア正教の総本山。一緒に訪れたフランソワは、入口から中を覗いた途端に眉をひそめて一言、
------- 中には入らない。外で待ってるよ。
-------??
------- 人が多すぎて嫌だ。こういうバチカンみたいなところは好きじゃない。
彼はプロテスタントのスイス人だった。プロテスタントは皆宗教に関わる華美を忌み嫌うのだろうか。そんな彼でもグルジアのとある教会では膝までのショートパンツを履いていたため入場禁止をくらっていた。よくわからないが日本でいう宗教的基準とは異なるものがあるのだろう。はるばる東の果てからやって来た非キリスト者は、バチカンもエチミアジンもリッチで華やかな部分は好きである。宗教的な精神世界から離れて純粋に即物的な興味を持てる。彼らの文脈の外で生きる余所者はある意味自由だが、本質的な理解をできるかはまた別の話。
ちなみに、訪れたなかで一番良かった教会は二人ともサナヒンで一致しました。
宗教の中心地や総本山が、多くの人が集まるせいかあまりストイックでない雰囲気なのは、意外だが世界中多くのところで同様です。ここも大勢の訪問者でごった返していました。
宿近くにライブバーを見つけたので夕食後に二人で入ってみる。しかし演奏が始まると思わず目を見合わせてしまった。特にボーカルものはカラオケ以上ではなく、まったく金をとって良いレベルではなかった。フランソワはギター弾きで音楽にはそこそこうるさい。彼のギターの先生は昔スイスへコンサートに来たジミ・ヘンドリックスの生演奏をみたという。僕もそのあたりは好きなので話が合った。ここも娯楽が少なさそうだというところで二人の意見は一致。
泊まっていた宿は街中の集合住宅の一住戸を利用したゲストハウス。従業員のお姉さんは英語も上手いし性格も楽しいので僕らはファニーガールと呼んでいた。でも管理人のおばちゃんによれば、彼女は大学で外国語を学んで卒業したが就職できずにとりあえずはこの宿に身を寄せているようなものだという。カラバフ戦争は終わったもののアゼルバイジャンやトルコから経済封鎖されロシアも当時はそれほど他国に構っていられない状態、アルメニア社会も不況が続いていた時期でした。確かアルメニア人の60%が国外に離散したディアスポラで、当時から彼らによる援助も含めて国が成り立っていると聞いていました。多分今でも同じでしょうが、少し不思議な、でも興味深い国ではあります。
最後に挨拶をしたかったけど、時間が朝早くてまだ眠っていたので起こさずに宿を発ちました。しばらくの間何だか気になっていた女性でした。
次の目的地はゴリス。町自体は小さく見所は無いが、直線状に行き交う道路の街路樹が青々と繁って気持ち良いところでした。この町も近くのタテヴ修道院へ行くために立ち寄ったようなものです。バス停でやはりタテヴに行こうと車を探していたポーランド人旅行者のピョートルと知り合い、近くに停っていたタクシーを3人でシェアして大きな荷物を持ったまま乗り込みました。
■タテヴ修道院
人里を離れ高い崖の上に建つ孤高の存在。周りは深く切り立った渓谷と山地 教会は当時修復中
周囲を見下ろす高地を車は進む
さてフランソワのバカンスもタイムアップとなり、彼とはここでお別れ。帰りは飛行機を使って帰るということでした。僕の好みは基本的に一人旅ですが、たまには連れがいるのも悪くはありません。時にはコミュニケーションがままならないこともありましたが、まあまあ気は合ったのでしょう。共通の話題もあり、派手好みでもなく金銭感覚も同じくらいだったので、行先や宿探し、飯屋も特に問題無く決められました。そもそも何をするにも選択肢の少ない地域でしたが…。面倒に感じることも互いに(多分)少なく、旅を楽しめたと思います。ただね、彼は背が高いんですよ。歩幅が大きくて歩くの早いんでそれだけは大変でしてね………。
”Keep your mind open ! ”
泊まっていた居心地の良いホステル・ゴリスの前で彼を見送りました。手を振り彼が口にしたのは、今も昔も繰り返し交わされるこの言葉。旅の別れにこれ以上合う言葉は無いでしょう。
Keep mind open していなければ旅する意味ないですね。
Keep mind open でも普段から常にそうありたいものです。
当時のことを思い出すたびに、忘れていないか自問します。