もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'05旅 その14 気分は千夜一夜物語 イエメン1

アラブ3>イエメン1 Sep. 2005

アンマン→入国・サナア←→マナハ&アルハジャラ

 

 

この旅のルートを決めた時に、ぜひとも訪れたいと思った国の第1がイエメンだった。ただトルコやエジプトなどの国と違って、陸路で簡単に入ることのできる国ではないうえ、治安などの状況は安定していなかった。諸々の確認は近隣で情報を仕入れたうえで決める。このような国があった場合、僕は俄然行く気になる。大抵面倒な手続きや多少の苦労が付き物だが、それらのプロセスを含めて全部を旅として楽しむつもりで。

イエメンには、リゾートやショッピング、グルメといったモダンな娯楽が出現する以前の素朴だが少々荒っぽい世界を期待していた。それは確かにそこにあった。ヴァナキュラーで風変わりな外身の印象は強いが、昔から変わらずに続く文化や伝統、風習のかたちは頑固で優雅だ。アラブでありながら石油が無く産業や開発が遅れたおかげで、旅人にとっては天国のような場所がアラビアの端に残されたということなのだろう。

サナアにはどこかの街から飛行機を使って飛ぶことになるので、これまでダマスカスやベイルートの旅行代理店を幾つかあたってみた。良い便が無かったり値段が高すぎたりで結局アンマンから往復することになった。でもこのロイヤルヨルダン航空のフライト、出発が夜遅くなうえ、なんと11時過ぎにフルコースの機内食が出た(でもよくあることを後に知る)。深夜1時半到着、アライバルビザを取得後到着ロビーに出たのが3時。サナアの空港は70年代の日本の地方空港のように(…嘘、知りません)ひなびた雰囲気だった。空港で朝まで過ごすことも考えたが気付いたらタクシーをつかまえていた。当時の日記には「深夜だったので激しくは値切らなかった」なんて書いてある。こんな時でも値段交渉を気にするほど旅ズレしていた自分に苦笑だ。車を降りた大きな広場は無人で、まったく何をやってるんだろうと思いがら近くの安宿に転がり込んだ。

 

翌日、満を持してサナアの旧市街へ歩み入る。誰が初めに考え出したのかしらないが、楽しい意匠である。煉瓦と漆喰で固められた砂糖菓子のような建物が密集してたち並び、狭い通路が入組んだ地上は中世の迷宮のようである。ここは楽しいパラレルワールド、日本のテーマパークなんて比じゃない。作り物ではない現実の世界を彷徨うのである。我々の見知ったものとは少し違う、でも現在進行形で人々に生きられている確かな世界だ。そのリアルさがまた肝銘的で、これほど旅をすることの幸せを感じる場所はなかったと、今でも思う。

 

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イスラム旧市街の中心はスーク(バザール)。サナアでも此処に人も物も集まる。当然の様に足が向かう。大勢の人が、用が有るのか無いのかわからないが、とにかく歩いているという印象。ジャンビーヤ(湾曲した刀、今は装飾品)を腰に帯刀している人も多い。一緒に歩いているだけで気持ちが高揚する。気分はアラビアン・ナイト千夜一夜物語の世界。

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どんどん奥に入ってみる。

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昼下がりのカートタイムに突入したようで、皆さん微睡んでいました。もう仕事をする時間ではありません。カートとは弱い覚醒作用をもたらす成分を含む樹木の葉で、新芽の葉をくちゃくちゃ噛むのです。飲酒をしない人々の嗜好品として男性の間で絶賛大人気です。どんどん口の中に放り込み続けるのですぐに頬が膨らんできます。大抵ごろんと横になったり何かにもたれ掛かったり体をリラックスさせた状態です。頭の中も休憩中みたいでした。僕も彼等に分けてもらって噛み続けましたが効果はわかりませんでした。コカコーラ&カフェイン中毒者にとっては刺激が弱過ぎたようです。水パイプのほうが好きだなあ。ジブチエチオピアでも同じ様な習慣がありました。

 

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サラームアレイコム! かわいい男の子が出迎えてくれた… のかな?

 

別の宿にある眺めの良さそうな屋上カフェに行ってみる。マフラージ(伝統様式の休憩室)で寛ぎ、テラスに出て360度のパノラマを楽しんだ。

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次の目的地は内陸にあるシバームだった。滞在する町サユーンへは10時間掛かるので夜行バスを使い宿代を浮かそうと目論んだところ、なんと出発直前にパスポートをチェックされたあと荷物と共に強制的に車から降ろされてしまった。すぐ近くのオフィスで代金を律義にも払い戻した後にバスは去って行った。説明が無かったのでぽかんとしていたところ、近くにいたサウジアラビア人の学生が窓口で話を聞き英語で教えてくれた。彼曰く、セキュリティの為外国人は夜行バスに乗せないとのこと。じゃあ何で売ったんだという話だが、、、。そういえばムカッラからアデンへ行くバスの切符を旅行者が買えなかったという情報が知られていたが、それも長距離バス。この頃はやはり夜行となる便には外国人旅行者を乗せない決め事だったのだろう。

当時イエメンは治安が必ずしも良くはなく、少し離れた所へ行く際は場所によりパーミッションが必要だった。該当する地域の行先が記入された許可証を10枚くらいゼロックスでコピーして携帯し、道路の検問の度に提出する必要があった。確か、9.11以降の悪者アルカイダに協力する部族が国内にいたため、政府と米軍が協力して掃討作戦が行われた後の頃だったはず。

 

翌朝のバスの席は取れなかったので再出発は翌々日の朝便となり、サナア滞在が二晩増えた。 翌日は気を取り直して後の予定の前倒しをすることにした。サナアからマナハとアルハジャラという町を日帰りで訪れる。マナハまでの山の風景は中東では珍しい山岳地帯。乾燥地帯の段々畑というのも珍しいが、何かさっぱりし過ぎていて少し寂しい。途中通過する沿道の集落はみなゴミに溢れてインドの様だ。乾燥しているので砂っぽくカサカサした印象だが、汚いことには変わりなく困ったものだ。

マナハの町は金曜でもないのにスークも店も開いていない。閑散として寂しかったが、地元の人は幾らか出歩いていたので簡単な立ち話をした。斜面に四角い建物が貼りついている光景が物珍しかった。イタリア山岳都市みたいでかっこいい。

ここからハジャラの町までは緩やかな坂道を約1時間かけて歩く。ピクニックのように長閑な気分。山の中で眺めも良い。

崖の上に建つこの町もピクチャレスクだ。内に入ると建物が綿密に寄添い道の狭さも相まってまるで迷路。時を超える不思議な空間だ。そしてウザいガキかわいい子供たちが集まってくる。しかし彼等は物か金を渡すまでは追い払っても追いて来ようとする。今まで観光に来た旅行者が気前良く物をあげ続けたものだから、当然の様に付きまとい要求するのだろう。子供に罪はないが一人でゆっくり観光できないので多少苛ついた。最後には小石の投げ合いになり(笑)続けても大人気無いので早々に退散した。

 

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マナハ

 

f:id:pelmeni:20200408171102j:plain山道を歩く マナハの町が遠ざかる

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アルハジャラ 城砦のような町!