もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

’05旅回想 その21 インド再び

インド1 Nov.-Dec. 2005

カイロ→アブダビ空港→ニューデリー→カジュラホー→カルカッタ(現コルカタ

 

この旅はエジプトへ行くことまでは決めていたが、その先は成り行き任せとしていた。金が尽きれば帰ってくればよい。幸いもう少しだけ続けられそうなので、次の行先をエジプト滞在中考えていた。アフリカを南下するつもりはないからアジアかな…、そうだ、ミャンマーがある。この2年前の夏ブダペストの宿で1か月以上もだらだらと過ごした仲のイシイ君がミャンマーに前年行ったことを思い出しメールを送ってみた。すると彼はなんと引き続き旅行中で南米にいるという。ミャンマービザはカルカッタの領事館で簡単に取れることを教えてもらい、次の行先はインドに決まった。インド大使館のビザセクションは宿の近くタラアトハルブ通りのビルにあったので速攻でゲット。カルカッタ行きのフライトは良いものがなかったので、ニューデリー迄のチケットを安い旅行代理店探し回った。

 

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ガルフエアの機内食こんな写真を載せるなんて、まるで旅行ブログみたい!(笑)

実はこのフライトは食事攻めだった。まずカイロの空港で出発が遅れたのでリフレッシュメントの軽食、次がこの機内食、夜中にアブダビで乗り換え、新機搭乗早々の食事、オマーンのマスカット(近所)に立ち寄った後また食事…、みんな食べ終わっていないのにCAが片付けに来て少し混乱していた。僕も最後は食べきれなかった。そんなこんなで眠ることなくニューデリーへ。

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途中乗り換えのアブダビ国際空港ターミナル。イースターエッグみたいというか不思議なインテリアが楽しい。カイロの出発が遅れたため乗り換え時間が数十分しか残ってなく、さっと歩く程度しかできなかった。ぜひとももう一度利用してみたい空港の一つ。

 

リシュケシュへ行く旅行者とニューデリーまで来て、二日ほど滞在しここで別れた。メインバザールやコンノートサークルには一通り訪れたが、必要物資の買出につきあったり、ニューデリー駅上階の外国人用列車予約窓口で時間を喰ったりで、あっという間だった。僕は一度訪れているので、以前と比べてもあまり変わっていないなというのが感想だった。パリカバザール、マクドナルド・ファミリーレストラン、本屋、etc…、かつて好きで通ったシェイク屋が同じ場所で営業していたのも嬉しかった(2012年も健在!)。何の変哲もない普通の定食でも、到着して日が浅いと何でも美味しく感じられる。インドでマサラを毎日口にしていると、体が次第に浄化されて健康になっていくような気分になる。何度もインドを訪れているが実際のところいつも体調はすこぶる良い。 

 

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f:id:pelmeni:20210203183850j:plainf:id:pelmeni:20210203184051j:plainチャパティ焼きおじさん。美味しかったです。f:id:pelmeni:20210203183317j:plainインドに来たら何はともあれコレが無ければ始まらない! ♪ レモンライムの青い風~はキリンレモンではなくリムカ !!

 

一つだけ違っていたことといえば、メインバザール界隈で一番安く泊まることができる故に世界中から多彩なバジェットトラベラーが集まっていた(またそれ故に環境は悪い)ホテル・ナヴランが、ほぼアジア人宿?っぽくなっていたことだ。僕は前回泊まってみたが、あまりに暗くて湿った独房のような部屋のせいで3泊で逃げ出した(それでも3泊笑)。1階の食堂に和食メニューが並んでいるのをみて同行者とこれは何だと話しながら先客とチャイを飲んでいたら、後からやってきた日本人カップルと目が合い、微妙な空気がその時流れた。

 ……何処かで会っているはずだけど思い出せない…… 

お互い大方そんな処だったのだろう。でも先に思い出したのは彼等の方だった。

 -----死海、行きましたよね
 -----あ、あの時の!

ヨルダンのアンマンに滞在中5人で車をチャーターして死海に行ったのだが、その時のメンバーだ。二人はその後北上しシリア、トルコ、イラン、パキと経由しニューデリーまで陸路でやってきた。僕はイエメン、イスラエル、エジプトとうろつきニューデリー迄飛んできたばかり。その間2か月半。全く違うルートをたどってもこんなにピンポイントで再会するなんて、旅の偶然には時にそら恐ろしさを感じる。まるで何かに操られているかのような。

 

ニューデリーからカルカッタへ直接行くには距離があり過ぎるし何かもったいない気がしたので、途中に寄る場所を地図で探したところ、カジュラホがちょうど良さそうなので行くことに決めた。バラナシは以前訪れているので今回はパス。あすこは精神的にも色々疲れる場所という記憶がまだざっくり残っていた。10年位経ったら再訪してみたいと思った。

カジュラホへはニューデリーからジャーンシーまで鉄道で行きそこでバスに乗り換える経路をとった。早朝発の特急は以前アーグラーへ行った時にも利用した列車で、車両はそれほどキレイではなかったが上級クラスのせいか客は上品だった。朝食付きで座席毎にミネラルウォーター1本も当然付いていた。僕はいつもの習慣で大きな水のボトルをわざわざ買って持ち込んだがそんな客はいない。重くてかさばる荷物になっただけだ。こういう旅を続けていると貧乏性が染み付いて困ったものだ。

 

f:id:pelmeni:20210204151247j:plainインドではバスに乗車するだけでも何かしら混乱が起きるようにみえる @ジャンシ

f:id:pelmeni:20210205213515j:plainたぶん途中の町のバスターミナル

 

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カジュラホのジャイナ寺院群は美しく整備された庭園の中にある。とても平和な気分。

さてさて細部に寄りましょうか。

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これは現実の世界の描写か、それとも理想の極楽の夢想なのだろうか。

 

出発日朝にバススタンドへ行くとここにバスは来ないと言われた。いや別に禅問答をしに僕はインドに来た訳じゃない。時刻表が掲げてあっても経験上その時刻にバスが来ないことの方が多いことは承知していた。実際のところインド旅ではこの程度のことを気にしてはきりがない。何であれ代替案があれば問題とは言えないと僕は認識している。この地にはインド人にしか理解できない何か別のロジックが流れていると初めて来た頃は思った。よくインドは人を哲学者にすると言われるが、インドの市井に哲学者がいるわけではない。一見では把握できない事象を理解しようとすると、普段しない頭の使い方を要求される。それは面倒だし労力を要することだが、異文化との遭遇そのものであり旅をする本質的な目的でもあると僕は思う。ただここはちょっとハードコアな度合いが過ぎるのだ。まあ無理をしなくても旅はできる。係わり方は人それぞれに。

結局、インドの好き嫌いは、誰もが対応できるわけではないそのような世界から選ばれるか選ばれないかなのだと考えるようになった。多分選ばれている僕でも旅行中は常に愛憎相半ばする感情に苛まされる。突き放すことはしたくないが深入りするには躊躇する。程よい距離を保ち付き合うことが難しい場所だとつくづく思う。ただそれが一部の旅人にとってはインドを旅することの引力にもなっている。

 

その場にいた旅行者3人でバスが出る近くの町までオートリキシャーに相乗りすることにした。そこからパンナ乗換でサトナまで行き、鉄道に乗ることになる。他の二人は韓国人とフィンランド人。そのフィンランド人は日本人と韓国人を見分けることができるというので、試しに訊ねたところ確かに正解した。理由を聞いたが憶えていない。互いになまった英語で会話をしているところを聞けば判るのかもしれない。僕はフィン人とスウェディッシュが話していても絶対に見分けることなんてできないだろう。

駅に着き当日のハウラー行きの列車を予約しようとしたら、出発まで4時間をきっているのでもう予約はできないという。列車内で車掌から買うことになる。インドでは技術がそこそこ進んでいるのに賢く活用されていない事が多いように思えて仕方がなかった。例えば駅の窓口でもコンピュータで発券システムが組まれているのに午後6時きっかりに終了するとか訳がわからない。午後6時ジャストでコンピュータがストップしたにもかかわらずまだ窓口に並び続ける多くのインド人も訳わからない。(昔の話。今は変わった?)

 

一晩車内で過ごし定刻より30分遅れでカルカッタのハウラー駅に到着。目を疑った。なぜなら以前の記憶通りなら床に寝っ転がっていたはずの沢山の人々の姿が全く無かったからだ。これでは普通の大きな駅と違いがない。ほの暗くもいかがわしい雰囲気に満ちたハウラー駅はどこへいったのだろうか。6年前に初めてインドの鉄道駅を利用した時に受けたあのショック-----夜の駅の薄暗いホールや構内に伺い知れない理由により滞在している無数の人々の姿を目にした時の強烈な印象、自分の思考を纏めることのできない不安定な感情はまだ覚えていた。

実はこの時は何かの大掛かりな催し物が行われていて、ステージなど設けられ伝統音楽も演奏されていた。そのために何百もの人々(大袈裟かな?)は何処かに追い払われてしまったのか。おそらくは別の場所に移動していたのだろうが、行方も含め彼らの存在が気になってしまうのだった。僕のインドの印象は前の旅のカルカッタから始まっている。

国土の広さ故インドの鉄道は夜行の長距離列車も多く、大きな街の鉄道駅は夜遅くでも利用者で賑わっているのだが、床にずっと寝ている人が昼でも夜でも数多く存在していた。この人たちのすべてが列車を待っているとは思えなかった。常識的な(と自分で思っている)理解の範疇を超えた存在を受け入れるためには、自分の感性を服従させる他ない。現実は理解よりも優先する。インドではこういった感覚で旅をしていることが多かった。

 

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散歩しましょう 昼も夜も 明るい陽の中暗い灯の下

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2度目の訪問だが、再び訪れたくなるような観光場所は特に無かったので、やることをまずやってしまう。お仕事の合間の街歩きでも十分楽しい。

ここでのミッションは前述したとおりミャンマービザを取得することだ。領事館の場所は移転していたが申請は無事に済み取得は8日後、よって計画通りにその間はダージリン方面に滞在することができそうだ。丁寧な対応に一時だが心休まったのは彼らがインド人ではなかったからだろう。帰りがけにビーマンバングラデシュ航空のオフィスに立ち寄り、ミャンマー行の航空券をその場で購入した。ルートは「カルカッタダッカ乗継 → ヤンゴン・ストップオーバー30日! → バンコク」というものである。特にダッカ乗継は翌日出発となるのでホテルで一泊、これも含めて不安と期待に溢れたフライトになりそうだ。