もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

’05旅回想 その22 インドその2、バングラデシュ少し

インド2、バングラデシュ Dec. 2005

カルカッタ(現コルカタ)←→ダージリン、→ダッカ

 

 

 

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ダージリン方面へはもう一つのターミナル、シアルダー駅より列車が出ている。機能的な駅だがハウラー駅のような趣きは無い。こちらには床に寝ている人が多数いた。今回も夜行列車、僕のインド旅では定番のスリーパークラス。長大な客車の編成を牽いているせいか出発後なかなかスピードが上がらないのはいつものことだ。街を抜けるまでは窓を開けない方が良いね・笑。

近くの席のバングラデシュ人の家族と知り合い、親父が最近手相に凝っているのでみてくれるという。嫌な予感がしたが、無下に断るわけにもいかない…、というか僕の場合今まで何を見ても大抵同じような事を言われる。この時もやはり予想通りになった。彼曰く、仕事は変わる、結婚は先になる。それらはもう何度いわれたことか。さらに、性格は難しい、が加わるが多分黙っていてくれたのだろう。そもそも日本とインドで手相占いの基準は同じなのか? でも笑うしかない、ホントそれ以外言われたことないですから!

 

翌朝の列車の到着は1時間半遅れた。それはまずい。なぜなら下車駅ニュージャルパイグリ・ジャンクション(NJP)からダージリン迄は楽しみにしていたトイトレインに乗り継ぐつもりでいたからだった。接続時間に元々余裕はなかった。まあカルカッタからの乗り換え客の利便などはそもそも考えていないのだろう。列車が遅れるかどうかは神のみぞ知ること。「ありがとう」同様に「便宜を図る」という言葉もヒンズー語には存在しないのかもしれない。

既に無人のプラットフォームを呆然と眺め、1日待つわけにもいかないので車で行くことにすぐに決める。ダージリン迄の乗合ジープ(4WD車)は近くのシリグリという町から出るので駅からオートリキシャーで移動。チャイで一休みしたのち出発。こちらは地元民の足なので客が集まり次第すぐ出発、山道を3時間半。断然速い。

 

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ダージリンは山の尾根を中心に広がる町。インドらしく小さな建物が無秩序にパラパラ散らばるので町の姿は遠目にはあまりきれいに見えない。 山の町というだけのことはあり眺めはとても良く、見下ろす斜面の紅茶畑の先に青い山々が遠くまで続く。

イギリス領時代の避暑地や紅茶など清々しいと迄はいかなくとも何かポジティブな印象が持たれがちなダージリンであるが、他のヒマラヤ地方の町と変わらずきわめてヒンドゥ的な町だった。美的な秩序はあまり見受けられず、ヒトもモノも過密な集積感がかなりのものだ。イギリス時代のコロニアルな建物は少しは点在しているが、土地のほとんどが斜面のため階段状に建物がびっしり埋め込まれた町の光景は、別の意味で印象的かもしれない。ただ外国人目当てのしつこい客引き等の姿は無く、人々の穏やかな雰囲気に多少は心休まる。

 

鉄道駅前で車を降りると空気がひんやりと冷たかった。高地なのでわかってはいたが寒さは予想以上で、そのせいか困ったことに鼻水とくしゃみの連発が止まらなくなってしまった。カルカッタでは半袖Tシャツ1枚でいられたので気温は多分30度弱くらいだった。そこを一晩で一気に20度位の気温差(降下)に体が対応できなかったのだろう。というか、考えてみたらこの半年もの間ずーっと夏だったようなものだ。体も驚くはずだ。発熱まではいかなかったが体はなんとなくだるかった。更に奥に位置するガントクやカリンポンまで足を延ばしたくてシッキムの入域許可証もとったのだが、迷った末行くのは諦めダージリンに少し留まることにした。もう出国日が近づいていたので無理をして体調を崩したくなかったこともある。結局のところ滞在中ずっと症状は良くならなかった。気温差だけでなく花粉だか煤煙だかに鼻の粘膜が反応したのかもしれない。その後山を降りたら何事も無かったかのように症状は消えた。澄んだダージリンよりも汚れたカルカッタの空気の方が僕の体には合っているということなのだろう。

ダージリンは特別目玉となるような観光場所があるわけでもなく、ゆっくり滞在して独特な山の町の雰囲気を味わう所のように思えてきた(ただのんびりするは寒いし人も多い)。1つの町を肌で感じるにはある程度のまとまった時間が要る。町自体は狭いのですぐに行き尽くしたが、同じことの繰り返しもたまには良いものだ。毎日適当にほっつき歩いた後3時過ぎには町中に戻り、グレナリーズという古くからある店でポット一杯のダージリンティーを飲み読書をするのだ。僕はコーヒー党だがここでは紅茶を飲み続けた。実は何を隠そう雰囲気に呑まれるタチである。食事はチベット料理のモモやトゥクパが美味しく、久々の脱マサラも悪くなかった。レストラン、食堂、屋台、申し分なし。そうそう、ここでは納豆が食べられている。日本の物ほど糸はひかないが大豆を発酵させている。とある日本人旅行者が料理の付け合わせに出てきたソレを豆の腐った奴かと思って味わわなかったらしい。いや、間違ってはいないんだけどな。

泊まっていた宿は日本人女性が嫁いだ宿だった。ダージリンが好きで何度も訪れるうちに知り合ったらしい。父親が経営しているホテルは表通りに面していて、息子(彼女の夫)が任されているのはすぐ裏に隣接した小さな分館のような宿。そのホテルの宿泊客の運転手が泊まるような宿よ、と教えてくれた。とはいっても若いインド人旅行者も普通に宿泊している安宿だった。話によればその一家の宗教はヒンズーではなくゾロアスター教で、よくあるインド人家庭とは少し違うらしい。彼女の服装も日本にいる日本人と変わりはなかったうえに、タマという名の子猫を飼っていた。その時もっと色々聞いておけば良かったと今では思う。町の夜は早く部屋に戻っても寒いだけで相変わらず鼻水とくしゃみが止まらないので、小さなロビーに下りストーブを囲んで他の旅行者と話をした。

 

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カンチェンジュンガ(世界第3位の標高)は町中から眺めることができる。町並みの猥雑さと峰々の神々しさが同居しているところなどインドらしい。

 

f:id:pelmeni:20210218034825j:plain町外れの動物園には猛獣が多く、見ているうちに気分が次第にエキサイトしてきた。レッサーパンダはここヒマラヤ辺りに多く生息している。地元でお馴染みの動物ってところ。


 

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ダージリンヒマラヤ鉄道は、NJPからダージリンまで通しの列車はディーゼル機関車が牽引しているが、部分運行にはこの蒸気機関車がまだ使われていたようだ。一つ手前の駅のある町グームまで1時間半の道のりを歩いてみた。途中バタシアループという眺めの良いヘアピンカーブで下から上がってくる列車にすれ違った。以前NHK教育テレビで見たテンジン・ノルゲイ(ヒラリー卿と共に初めてエベレスト登頂に成功したダージリン出身のシェルパ)の特集番組内ではこの場所は裸地だったが、公園としてきれいに整備され入園に5ルピーもとりやがった。通過する列車を動画に収めるためには入るしかないのだが…。

f:id:pelmeni:20210218040027j:plainカンチェンジュンガも見納め

 

カルカッタに戻りサトシに会いに行った。サトシとは安宿街の一角の路上に土産物の店を開いていて日本語を流暢に操るベンガル人だ。ダージリンに発つ前は会えなかった。「西宮のおっちゃんに教えてもろたんや」「日本人と話しているから忘れない」としか答えないが、どうみても日本の生活で覚えたレベルの会話を普通にする。実は英語が話せない(本人談)というのもそう思わせる理由だ。僕が初めて訪れた6年前、この界隈には日本人旅行者の姿が常にあり、彼の周りには誰かしら入れ代わり立ち代わり現れ話し相手になっていた。ところが今回彼が言うには、徐々に接し方が変わってきて、最近は日本語を話す変なインド人と見られることもあるらしく、敬遠され気味らしい。あまり物も買ってくれないとのこと。旅先で贅沢をしてこそ楽しい、という正論も彼は口にした。ただ正直に言えなかったが、土産物といってもそれほど欲しいと思わせるものが置いてないのだ。『深夜特急』や 『旅行人』に感化された多くの若者が訪れ、インドに来れば何でも目新しく面白かった時代は終わり、今ほどではないが既にインターネットで情報が入手できる時代になっていた。「商売あがったりや」と彼は言うので、別れ際に絵葉書を5枚だけ買った。買わされた、というべきか、商売上手なベンガル人に。

 

カルカッタの国際空港は以前は地名からダムダム空港と呼ばれていた。シャーロキアンならこの名前にピンとくるでしょう。「空き家の冒険」でモラン大佐が使用していた特殊な弾丸がダムダム弾。イギリス統治時代にインド人の反乱の制圧のためにコルカタ郊外のダムダム地区にあった工廠で作られた物だそうです。

地下鉄とタクシーを乗り継いでたどり着くと 、ロータリーがきちんと整備されていた。ああ、ここでも以前の記憶と重ね合わせてしまう。---入国手続きを終え建物から出て、およそ国際空港の正面とは思えない何もない荒地を横切り少し離れた所にある道路へ出る。言われなければバスとは認識できない4輪の付いた継ぎ接ぎの箱に乗り込む。西日に炙り出された道路沿いの光景を見続けた時の得も言われぬ感情。---それが僕のインドの本当にファーストなインプレッション。もう死ぬまで忘れられない印象といえば大袈裟かもしれないが、多くの旅の記憶がいずれ忘れゆく中これは残り続ける、多分。でも、もう無いんだよなあ、気になってしょうがなかったあれらの光景はすべて。6年も経てば当然といえども肯定し難い気分に少し落ち込む。過去を過去として認めぬうちには来るべきではなかったのかもしれない。あらゆることを較べてしまい余計なことばかりに気を取られて頭が変になりそうで、正直言ってこの時は楽しめなかった。でも時が経てばそれらはすべて含めて懐かしい思い出に収束するのだろう。感情の振れ幅が大きかった記憶ほど時間を掛けて確かなものとして自分の一部に取り込まれてゆくはずだ。

 

 

ダッカの空港では乗継便が翌日となるので指定のホテルで一泊することを言い渡された。パスポートを職員に預け宿泊ホテルへ行く小さなバスに誘導される。空港建物から出ると鉄柵にしがみ付く人々の群れ。なんじゃこりゃ、近年流行のゾンビフィルムみたい。

 

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バスの中から眺める通りはサイクルリキシャーで溢れチャリチャリ騒がしい。風鈴のようだと無理に思い込めば風流の欠片くらいは感じられたかもしれない。その数は車より確実に多い。噂の「日本っぽい文字」の描かれた車を発見。当時は日本の中古車がステイタスだった模様。

 

ダッカの街中のどこかにあるホテルで降ろされ翌日の集合時間を言い渡された。結局昼食にありつけたのは午後4時半。部屋を宛てがわれ食事も出されるので後はもう何もすることはないのだが、じっとしていても手持ち無沙汰だ。陽は傾いているがまだ暗くはなっていない。僕の部屋は表通りに面していたので外を眺めていると、同じ便に乗っていたドイツ人が建物の入口を出たり入ったり様子を伺っているのがわかった。すぐに行動に移す決心がつかないのだろう。僕も下に降りたくなってきたところだったので、考えていることは皆同じなんだなと思った。入国手続きをしていないうえにパスポートも預けて手元には無いので、我々は正式にはホテルから外に出ることはできないのだが、多くの人で賑わう街を目前にしてじっと留まるなんて無理な話。ちょっとだけなら出歩いても構わないだろう、なんて考えてしまうのは旅行者の性だ。ロビーには外国人旅行者が何人かウロウロしていた。ホテルの受付も何も言わないのだからいい加減なものである。

素知らぬ顔でふらっと建物から出る。にやけるのはその後だ。印となる商店等を目にとめながら、わかりやすい大通りを高架下の魚市場まで歩くと、珍しい人間がやってきたと歓迎される。以前に訪れた人から聞いた話だが、ダッカでは外国人の周りには直ぐに人が集まってきて放っておいてくれないとのこと、こんな短時間でもその片鱗をうかがわせるものだった。陽が落ちて暗くなったので戻ったが、その間1時間強と少しだけ。今の時代GPSスマホがあれば幾らでも歩けるが、その代わり、道を迷うわけにはいかないというあのちょっとしたスリルを感じることはないだろう。

ホテルに戻り簡素なフィッシュカレーの夕食を済ませ、若い従業員と話をして激甘スイーツ(イスラムの常)を貰った。その後彼は部屋までやってきて僕に職を紹介してほしいと言う。どういう形でもよいから日本に行って働きたいので連絡口になってくれとせがむのだ。おそらくこれまで話し相手の外国人旅行者みんなに同じようなことを言っているのだろう。当時の日記帳に彼の名前や連絡先が残っている。顔は忘れてしまったが元気にしているだろうか。

 

f:id:pelmeni:20210214161410j:plainf:id:pelmeni:20210214161011j:plainスイーツショップf:id:pelmeni:20210214193646j:plainf:id:pelmeni:20210214193811j:plain

 ギョッ

 


***My Secret Walking in Dakka***