もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

チャウドック~ベトナム出国

 

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さあベトナムもいよいよ最後だ。チャウドックからプノンペンまでのスピードボートを利用する。どちらも船着場は街中にあるようだ。

今年のテト(ベトナムの正月)は8日の月曜日から。交通機関は早くから予約が埋まり、また公共交通は不確定になる。サイゴンホーチミンの国際バスなど今週半ばから早くも割高な正月料金になっている。だからこのスピードボートも前日に事務所に来て運行を確認するまでは心配だった。ビザの余裕もない。どうやらテトの期間中も通常運行、料金の変更も無い模様。ひと安心。

7時30分高速船は出発。水しぶきが多いので乗客は皆船内にいる。ほぼ満席だ。窓を開けても高速走行時には水が入ってくる。スピードは速いが情緒に欠ける。出発してしばらく後、船会社の係員がカンボジアビザ代金を徴収にきた。

1時間たらずでベトナム側イミグレに到着。人が多いからか出国手続きに30分以上かかる。皆休憩室で手持ち無沙汰にしているが、水辺のデッキがあったり飲み物や食べ物が売っていたりと、国境にしてはすいぶんとカジュアルな雰囲気だ。

 

 

【移動】
チャウドック→プノンペン スピードボート 560,000VND(≒2,950JPY) HANGCHAU TOURIST EXPRESS
カンボジアビザ代 34USD(HANGCHAU社手数料込)

 

 

チャウドックぶらぶら

 

チャウドックの川沿いの公園を歩いていると、何度もオバちゃんにボートを勧誘される。このあたりの地域ではどの町でもボートツアーがあってそれなりに楽しむことができそうだ。チャウドックには川の中に水上集落があり水上農園とかいろいろ廻るコースがあるようだ。昨日川沿いにぶらぶら歩いていた時に目にした。値切って短い時間だけボートに乗ってもいいかなと思ったが面倒になってやめた。ここはベトナム最後の町、気が急いで思いは既に次の国へと飛んでいる。

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朝は宿隣のカフェのアイスコーヒーから始まる。交通量の多い通りに面していて本当に賑やかというかはっきりいって騒がしいところだが、そんな喧騒でも今は何だか他人事のように眺めることができる。不思議な感覚だ。出国間際になってその国にようやく慣れてきたと感じること、実はよくある。

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町の真ん中にある市場を通って町を縦断しフェリー乗り場へ。この渡し舟は無料。ほとんどがオートバイと車に乗った客で、徒歩で船内に入る客などいなかった。

 

対岸に上陸後左に曲がるとすぐに金曜モスクがある。そう、こちら側はイスラム教の少数民族の居住地域なのだ。今日は金曜日で時刻はお昼前。多くの人がモスクに集まっている。静かな町を川沿いにぶらぶら歩く。不思議と民家が途切れない。

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30分くらい歩くと星と三日月のマークを掲げた家が現れ、モスクや集会施設のような建物も幾つかみられた。ひと気が無いのは礼拝時だからだろう。イスラムの田舎町で金曜の昼といえば、どこでもひっそりしているものだ。

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戻る頃には礼拝は終わりモスクの隣の食堂で皆食事をしていた。行きがけにみた船着場近くのモスクも既に無人で、多くのひとがカフェに入ったり家に帰るべく通りを歩いたりしていた。隣のカフェに入り彼等の中にまじりアイスコーヒーを飲む。ベトナムに来て一番安い値段だった!(6000ドン・約31円)観光客など来ない店、これがローカルプライスなのだろう。

f:id:pelmeni:20160618174010j:plain礼拝時間の終わった金曜モスク

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カントーで水上マーケットに行く

 

 

ミトーからカントーへの移動はぼったくりバスではないか? この区間の直通バスは何故かかなり早朝の1本しかないのだ。それ以外の時間は、街中からはバイタクで街外れの国道まで行き、そこでサイゴン方面からやってくるミニバスに途中乗車するしかない。ところがどのバスにたずねても20万ドン(約1050円)だという。サイゴン~ミトーの中型バスが3時間で3万ドン、それと比べたらあんまりな金額だが、3台続けてそう言われたので最後にあきらめた。どうやら始発から終点まで通しで18.2万ドン(ミトー~カントーなんてその1/3くらいの距離しかない)、その全額を丸めて払わされたのか、もしくは外国人だからボられたのか。そもそもそういうシステムなのか。みな口を揃えて同じ金額ということは、とにかくそういう習慣になっているのだろう。釈然としない。

これまでのベトナム旅行中この種のことが多かれ少なかれ定期的に起きてきた。塵も積もれば山となるのだ。もうたくさんだという気持ちが半分、出国間際だから何とか我慢して済まそうという気分が半分。エチオピア以来久々にこのような感情に陥る。気分が悪い。

 

カントーで宿を決めたが、何をしたいわけでもなく部屋でベットに寝転ぶ。ネットで資料収集を少しの間だけした。その後街へ出ようと1階に降りたところボートツアーの勧誘のオバちゃんが待っていた。多分フロントから外国人が来たと連絡が行ったのだろう。手回しの早さに感心する。でもまあカイランの水上マーケットへの足を探すつもりではいたので丁度良かったともいえる。話をしていろいろ聞きだし金額交渉をしてその場で決めた。食事とか何とか色々なオプションを尽く排して一番シンプルなプランで安く値切った。お互いへへへと笑って交渉成立。

 

 

宿の出発は朝6時にした。ツアーボートが押し寄せる前に動くのだ。個人客を乗せた早起きなボートがちらほら。まだ少し薄暗く感じる。

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すでに商いは始まっている。

一度水上マーケットを通り過ぎ、その先の細い運河に入って行く。

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時々人の生活が垣間見られるが、静かでひっそりとしたところだった。途中でUターンして引き返し再び水上マーケットへ。ようやく明るくなってきた。

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3時間でカントーに戻る。上陸後、川沿いにある市場へ行く。ぼくはどうやら、食べ物でも日用品でも無造作に溢れかえっているところに惹きよせられるようだ。そこに人がいれば尚のこと、磁場のようなものを感じ取る。

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遅い朝食にフォー。今日も飽きずにもやしと草をたくさん載せる。冷たいお茶もおいしい。

f:id:pelmeni:20160617155131j:plainいただきます!

 

 

 

ミトーぶらぶら

 

遅めの朝食にバインセオ。近くの店で食べたので少し高かったが量も多く味も良かった。バインセオは以前から名前は知っていたので、初め北の方で探したが見つからなかった。どうやら南部の食べ物らしい。

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整然とした町並みにはきれいな建物も多く街歩きが楽しい。

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ごみ運搬船にも目玉が描かれている。

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今日は渡し船で川向こうのタンロン島へ行ってみる。

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たった5分の距離。船着場は東南アジアによくある小さな市場と一緒になったタイプ。この薄暗く雑然とした雰囲気が好き。その先には意外にも普通の商店街や住宅街がひろがっている。

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少し歩いたら反対側の岸辺に出た。島は大きな川の中にありこちら側が本流と面している。小さいながらも水上集落がある。

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 1時間ぐらいでもどる。このくらいの長さではたいしたものは見られないが、まあちょっとしたぶらぶら歩きといったところ。対岸のミトーの町ともこんなに近い。

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 町に戻る。

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いや~、暑いので、まずは一杯

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ついでにはしご。

でもこれだけアイスコーヒーがポピュラーな国って他にないだろう。まあ3in1の甘ったるい全部入りなら他の東南アジアでもあるのだが、ちゃんと淹れたコーヒーとなればベトナムの他にあるのかな。おまけにポット一杯のお茶まで付いてくる。コーヒーを飲み終えたら残りの氷の上にお茶をそそいでアイスティーをお楽しみくださいということだ。のんびり時間をかけてお寛ぎくださいといったところか。暑い南部ならではのサービスだろう。

 

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普段からそうなのかテト前だからなのか知らないが、夜になっても町中の人通りは絶えない。特に川沿いの通りには数多くの露店や夜市が立ち並び、多くの人々がそぞろ歩きをして結構な雰囲気である。少し湿った生暖かい風がゆるゆると流れる中、彼らに交じってぼくもぶらぶらと歩く。気持ちが良い。これでもう少しバイクが少なければ言うことないのだが、ここもベトナム

 

 

ミトーへ行く

 

 

猥雑な都会の喧騒が嫌になりメコンデルタに急いだ。中国からベトナムに入り、旅のテンションが上がらない。少なからず相性の良い国悪い国はあるわけで、この国はどうやら後者かもしれない。なんとなくハノイあたりから薄々と感じ始めていた。

ホーチミンシティのミェンタイバスターミナルからミトーまでは3時間だった。乗ったバスはACのない中型バス。料金も安い。地元民で一杯になったバスはひたすら平坦な田園地帯を走る。小さな町、何もない田んぼの中、バスは度々停まる。ごく普通の生活が垣間見られる車窓だ。気が付けばミトーのバスターミナルへ。

ここも街からは離れているのでバイタクを使う。金額交渉中に運転手がつい1キロ5,000ドンということを認めてしまったために、彼は街の中心まで15,000ドンで行くことを渋々認めざるを得なかった。ローカルプライスとそれ程違わない金額の様でちょっとした満足感だ。たまにはこちらも良い思いをしなければやっていけない。金額交渉も毎回のことながら疲れるのである。

ただ運転手は親切にも安宿まで連れて行ってくれた。まだ時間が早かったので他もまわってみたが安宿を見つけることができず、結局始めの宿に戻ってきてしまった。HCMCから近いので皆日帰りツアーで立ち寄るだけの町なのかもしれないと思った。

 

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遅い昼食後街歩き。これは細い米の麺の入ったフーティウという料理。

その後市場へ行く。このとりとめの無さが、好きだ。

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f:id:pelmeni:20160614022137j:plainきれいな、お・な・か

 

歩いていて奇妙な外観の寺院に遭遇した。外見のみならず、中に入っても、怪しさ全開!なのである。何でもカオダイ教という、いろいろな教えをミックスしたベトナム独特の教会だそう。

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夕暮れの水辺には独特の雰囲気がある。最近きれいに改修されたばかりの遊歩道を歩く。

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夕食はナイトマーケットで。ベトナムの料理、安いけど一皿の量が少ない。結局何か食べ足すことになり、極端に安く済ますことはあまりない。毎日腹いっぱいになっていた中国とは大違いだ。

 

 

 

HCMCその2

 

 

クチトンネルツアーに参加する。宿に迎えに来た車は何箇所かで客を拾い旅行会社の近くでマイクロバスに乗り換える。クチまではHCMCから1.5時間。約半日のツアー。

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ガイドによる説明、トンネルへ実際に入ってみる、泥沼のようなベトナム戦線を暗い穴の中で想像する…無理 これを観光資源にしてしまうしたたかさ、

 

 

 

午後遅くからチャイナタウンをぶらぶらする。点在する中国寺院、大きなマーケット、キリスト教教会、路上にあふれる屋台、轟音を響かせるバイクの群れ。中越戦争後に、ベトナムは南部の経済を支配していた華僑や中国系の人を追い出した。昔わずかに記憶にあるボートピープルとは中国系ベトナム人達だったらしい。いや実はすごい国。

 

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HCMCをぶらぶらする

HCMCをぶらぶらする

 

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ホーチミンシティはハノイよりも遥かに大きい都会だ。

宿の近所の小奇麗なカフェに入ろうとメニューを見たらとんでもない金額だったが、多くの地元っ子で賑わっていた。そのコーヒーの金額を彼等に出せて自分に出せないなんて妙な気分だった。でもすぐ横に普通の値段の気楽に入れる小さなカフェを発見して、ほっと一息。こちらでも十分に美味しいベトナムコーヒー。

要は都会なのだ。

 

ぶらぶら街歩きをしながら、ベンタイン市場、ホテルマジェスティック、歴史博物館、戦争証跡博物館などを一日で見回る。大分南に下ったせいか、今迄の町とは違い日差しが強く気温も高い。暑くて汗をかき、大量のコーラを飲み干す。ぼくの知っている東南アジアだ。さすがに東南アジアのパリと呼ばれただけの街並みだ。古い建物も多く並木道も樹木が育ち素晴らしい眺めだ。ハノイが田舎町の様に思えるほどだ。博物館は2つとも良い。

 

 

この国で戦争といえば例のベトナム戦争だけでなく、フランスに対するレジスタンスと独立戦争も含まれる。さらにはもっと古い時代の中国との爭いもその中に入るのだ。一体ベトナムは有史以来どれだけの戦争をしてきたのだろう。おまけにその多くに勝利している。国の歴史は戦争の歴史だ。ただベトナムは特別という程でもない。地球上のほとんどの国はその歴史上他所との戦争を繰り返してきている。平和な島国で生まれ育った人間には気が付きにくいが、それが史実だ。

ハノイの博物館でもそうだったのだが、展示における戦争の割合が非常に多い。ベトナム戦争でアメリカは一方的に悪者にされているが(悪にかわりはないが)そのアメリカに勝てた本当の理由はほとんど説明されていない。武器や資金をどこから得てきたのかということを大きく示すことなく、アメリカによっていかに被害を被ったかという証例ばかりが明示される(まあ確かに酷い内容だよ)。

そもそもベトナム戦争には冷戦下の代理戦争の意味合いがあったのではないか? ベトナムは欧米や中ソの操り人形ではなかったのではないか?… などとここで声をあげたら袋叩きにされるのだろうな。国内の不安定を口実に外野がよってたかってやりたい放題しまくった。それが正直な感想だった。そんなこと思っても口にすることは許されないだろうな。

ベトナムでは小学生の頃からこのような展示をもれなく見学に来るようだ。どこの博物館でも先生に引率された子供たちの一団に遭遇した。正直な所、小さい頃からこのような内容を教えこまれたら、大人になって外国人なんか軽視して幾らボッテも気に留めない人間が普通に存在するろくでもない社会になるのだろうなと思った。と、そこでこの国が共産党独裁政治であることを思い出した。外国人旅行者も気軽に旅行できる程社会は発展したのだが、政治的には真っ赤なのだ。急に現実に引き戻される。この国には表面的な印象で浮かれている場合ではない。真面目に付き合えばタフなことになるのだろう。

 

 

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…などと考えていたら何時の間にかアジアの裏街に入り込んでいる。このねっとり身に纏わり付くような濃くも甘い空気を体は求めている。腹が減ったから何か食おう。