'04'05遊民旅譚
ミャンマー5 Jan. 2006 ニャウンシュウェ→カロー→バゴー(ペグー)→キンプン/ゴールデンロック→ヤンゴン シュウェニャウンからカローまではバスではなくピックアップトラックで移動した。近距離移動ではポピュラーな手段で、後ろの荷台に木製の長椅子が括り付…
ミャンマー4 インレー湖 Jan.2006 マンダレー→ニャウンシュウェ・インレー湖 次の目的地はミャンマー旅行のハイライト、インレー湖。マンダレーの出発は午後6時半、夜行バスというものは乗り続けると体が慣れるのか普通に眠れるようになる。今回は「遠鉄バス…
ミャンマー3 シーポウ Dec.2005 - Jan.2006 ピンウールウィン(メイミョー)→シーポウ→マンダレー ピンウールウィンから次の目的地シーポウまでは鉄道で移動した。今回の旅程ではあまり鉄道に乗る機会がないのだが、ここは乗車したかった。何故なら途中にゴ…
ミャンマー2 バガン、マンダレー Dec. 2005 ニャウンウー・バガン遺跡→マンダレー→ピンウールウィン(メイミョー) 雨はまったく予想していなかった。雨期ではないのに、ニャウンウー到着の午後から出発日まで計4日もの間雨にあたり続けるなんて、運が悪い…
ミャンマー1 ヤンゴン Dec. 2005 ヤンゴン→ニャウンウー 物心ついてから僕が初めて接した外国人は実はビルマ人だ。 僕の通っていた小学校の近くにビルマ大使館があった。近所の人はそう呼んでいたが正しくは大使館員の官舎だ。色の浅黒い子供達が敷地内や近…
インド2、バングラデシュ Dec. 2005 カルカッタ(現コルカタ)←→ダージリン、→ダッカ→ ダージリン方面へはもう一つのターミナル、シアルダー駅より列車が出ている。機能的な駅だがハウラー駅のような趣きは無い。こちらには床に寝ている人が多数いた。今回も…
インド1 Nov.-Dec. 2005 カイロ→アブダビ空港→ニューデリー→カジュラホー→カルカッタ(現コルカタ) この旅はエジプトへ行くことまでは決めていたが、その先は成り行き任せとしていた。金が尽きれば帰ってくればよい。幸いもう少しだけ続けられそうなので、…
エジプト2 Nov. 2005 カイロ→スエズ→アレキサンドリア→カイロ、砂漠ツアー さて、とりあえず言えることは砂色の乾いた光景には食傷気味ということだ。ナイル河デルタでは農業が盛んだと学校で習ったことを思い出し、そちら方面に向かうことにした。アレクサ…
エジプト1>シナイ、カイロ、ナイル上流 Oct.-Nov. 2005 ウェイバ入国→ダハブ→カイロ→アスワン→ルクソール→カイロ ● ダハブはバックパッカーの沈没地として有名な所。僕は初め興味無く直接カイロまで行ってしまいたかったのだが、ヌウェイバ入港はまだ暗いう…
アラブ7>イスラエル、パレスチナ、ヨルダン Oct. 2005 エルサレム←→ベツレヘム→国境→アンマン→ワディ・ムサ/ペトラ遺跡→アカバ出国 せっかくイスラエルまで来たのだから「パレスチナ自治区」へも足を伸ばしてみた。エルサレムの近くにはPLOのアラファト議長…
アラブ6>ヨルダン、イスラエル Oct. 2005 →アンマン←→サルト、ジェラシュ→国境→エルサレム→テルアビブ←→アッコ→エルサレム 昨年の9月にサウジアラビアが個人旅行者に対する観光ビザの発行を開始するというニュースを耳にした時の印象は正直なところ、俄には…
アラブ5>イエメン3 Sep.-Oct. 2005 サナア→タイズ→アデン→サナア←→シバーム&コーカバン 『アデンはおそろしい岩地です。草は一本もなく、良い水は一滴も出ません。蒸溜した海水を飲むのです。暑さは桁はずれで、・・・』 (家族宛の手紙) 詩を捨て当地で交易に従…
アラブ4>イエメン2 Sep. 2005 サナア→サユーン、シバーム→アルムカッラ→サナア←→ロックパレス もうだいぶ昔の事になるがNHKの紀行番組で、アラビア半島奥地の砂漠の真ん中にぽつんと存在する町の、高層住宅がびっしりと建ち並ぶ姿を紹介していた。確か「砂漠…
アラブ3>イエメン1 Sep. 2005 アンマン→入国・サナア←→マナハ&アルハジャラ この旅のルートを決めた時に、ぜひとも訪れたいと思った国の第1がイエメンだった。ただトルコやエジプトなどの国と違って、陸路で簡単に入ることのできる国ではないうえ、治安など…
アラブ2>シリア2、レバノン Sep. 2005 ハマ→パルミラ→ダマスカス→国境→ベイルート←→スール、シドン、バールベック→国境→ダマスカス→ボスラ→国境→アンマン あまりエアコンの効いていないバスだった。トルコと違って小国シリア、それも地方都市ハマ出発の中型…
アラブ1>シリア・レバノン>シリア北部 Sep.2005 アンタキア→国境→アレッポ→ハマ←→クラック・デ・シュヴァリエ 夜行バスは朝の7時半にアンタキアのオトガル(バスターミナル)に到着。トルコのバスは最後まで時間が正確でした。更に言えばこの時乗ったバス会…
トルコ4>トルコ西部~ Aug.-Sep. 2005 →ブルサ→イズミール、エフェス→コンヤ→ (経路内の時間は参考にしないでください) サフランボルからはブルサに行こうとしたところ、珍しく直行バスの便が悪く1日1本それも夜の中途半端な時間しかありません。バスターミ…
トルコ3>トルコ中部 Aug. 2005 →アマスヤーアンカラーサフランボル→ (経路上の時間は参考にしないでください) ほとんどアラブのような乾燥した南東部を脱してアマスヤまで移動しました。アナトリアを一気に縦断したかたちです。夜行バスで一晩を過ごし、目…
トルコ2>トルコ南東部 Aug. 2005 →ディヤルバクル、ハザンケイフ、マルディン→シャンルウルファ、ハラン→ (経路上の時間は参考にしないでください) ヴァンから夜行バスに揺られ、ディヤルバクルのバスターミナルにはほぼ遅れなく朝着きました。この辺りは…
トルコ1>トルコ東部 Aug. 2005 国境ートラブゾン、スメラ修道院ーカルス、アニ遺跡ードウバヤズットーヴァンーディヤルバクル、ハザンケイフ、マルディンーシャンルウルファ、ハランーアマスヤーアンカラーサフランボルーブルサーイズミール、エフェスーコン…
コーカサス6 > グルジア(現ジョージア)スヴァネティ ●Aug. ’05 グルジアの奥地へ 1 話が決まる~遠路はるばる~満点の星空 列車の終点はズグディディという不思議な名前の町だった。夜行列車に乗ると翌朝早く、頭が完全に回り始める前にプラットフォーム…
コーカサス5 > グルジア(現ジョージア)トビリシ ●Jul. Aug. 2005 スマホやデジカメの進化が写真撮影の在り方を変えたということは、自身の体験としてはっきりと実感できるものです。スマホの画質やデジカメ記録媒体の容量の小ささに苦心していた頃は、枚…
コーカサス4 > グルジア(現ジョージア)アルメニア その3 ●Jul. 26-31, '05 ゴリス→ステパナケルト(ハンケンディ)→イェレヴァン→ギュムリ→国境→ 久しぶりに一人旅の再開です。 次はナゴルノ・カラバフへ向かいました。ここはアルメニアとアゼルバイジャ…
コーカサス3 > グルジア(現ジョージア)アルメニア その2 ●Jul. 21-26, '05 →イェレヴァン→ゴリス→ 古代のアルメニア王国はキリスト教を国教とした初めての国として有名ですが、その後は東ローマ、ペルシア、トルコ、ロシア等の列強に支配され、現在の共和…
コーカサス2 > グルジア(現ジョージア)アルメニア その1 ●Jul. 10-21, '05 陸路入国→テラヴィ→トビリシ→国境→アラヴェルディ→デリジャン→ 国境では自分で手続きを終え無事入国。テラヴィまで行く同じバスに再び乗り込みました。でもなかなか出発しない。…
コーカサス1 > アゼルバイジャン ●Jul. 3-10, '05 → バクー → シェキ → カフ → グルジアへ陸路出国 タシケント→バクー・ウズベキスタン航空機内食(昼食) 当時はインスタなんて無かったので食事をいちいち写真に撮る人は少なかったと思います。僕もそうで…
Jul. 1-3, '05 出発 南米を旅したおかげで知見が拡がり、せめて地球半周くらいしなければ自分の旅人生を終えることはできないと考え始めたら妄想が止まらなくなりました。自分があちこちに飛び回り永遠に旅人であり続けることができたらどんなに素晴らしいこ…
さてブエノスアイレスを思うように動けなかったのは、時間が無くなってしまったことのせいだけではありません。 前回プエルトイグアスの川で泳いで問題が起きたと書きましたが、思いもよらぬ事に足をすくわれたのです。それは、、、「日焼け」!。僕は特段敏…
イグアスの滝~~~ブエノスアイレス 僕は元々大自然なるものを求めて旅はしない人みたいです。まあその場に立てば感動もするし結果的には良い思い出として心に残るので否定的になるつもりはありませんが、神が創った世界よりは、人間がそれに抗い作りあげて…
マナウスという街は、現在変わったかわからないが、当時はほとんど陸の孤島と呼んでもよい場所だった。広大なジャングルのど真ん中にあり、道路は北方のベネズエラ方面にしか通じておらず、国内の他の主要都市とは繋がっていなかった。そのため長距離バスの…