もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'05旅回想 その26 インレー湖

ミャンマー4 インレー湖  Jan.2006

マンダレー→ニャウンシュウェ・インレー湖

 

 

次の目的地はミャンマー旅行のハイライト、インレー湖。マンダレーの出発は午後6時半、夜行バスというものは乗り続けると体が慣れるのか普通に眠れるようになる。今回は「遠鉄バス」と文字が車体に残っていた。車内は見慣れた乗合バスの雰囲気でまったく長距離バスのものではない。まあそれも慣れる。

朝の4時に運転手に起こされバスを降りたのはシュウェニャウンという町。ここで乗り換え湖近くの町ニャウンシュウェまで行く。シュウェ?ニャウン?何でこんなに紛らわしい地名が近くにあるのだろう。ライトバンが停まっていたが料金を訪ねると2500チャットとのこと。この金額は高すぎるので見送る。まだ暗い中で一軒だけ裸電球が灯っていた店に入り、コーヒーミックス(全部入インスタント)を頼んで時間待ち。やがて別の車がやってきて地元の人が何処からともなく集まって来たのでその車に乗る。料金は1000チャットだったが皆は普通に支払っていたので多分早朝料金なのだろうと推測する(後にわかったが昼間の2倍の金額)。ちなみにコーヒーミックスは500チャット、これも多分通常の倍くらいの値段だろう。それでも50円くらいだけど。

 

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f:id:pelmeni:20210611010534j:plainシュエヤンピイ僧院

f:id:pelmeni:20210611005738j:plain本当にある標識f:id:pelmeni:20210611011448j:plain

ニャウンシュウェはインレー湖の北にある町。街道筋に近く地域の中心の町であり外国人の観光基地なので、のんびりしているがそれなりに物は揃っていた。10分も歩けば長閑な農村地帯だった。標高も高く夜は寒いくらいだ。そして相変わらず停電は多い。蝋燭の炎はもう飽きた。ここへ来る旅行者のほとんどはインレー湖観光のためだろう。朝~夕方までの一日ボートツアーは、数人の観光客とドライバーがのボートに乗って湖を縦断し、湖畔の町や諸々を巡るもの。ボート一艘の金額を客の人数で頭割りするので定員に満たない場合一人分の金額は増えると言われたが大丈夫だった。

 

 

朝の水路や湖面はまだ寒い。陽が昇り少し経つまでは風が冷たく感じられた。とても静かで朝靄がまだ少し残っていた。インレー湖は南北に長く、山が迫っているわけではないが両側に山並みが続いている。やがてどこからともなく小さな漁船が近寄って来て片足で漕ぎ投網をしてくれた。

 

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 片足で器用に櫓を漕ぐ彼は少年だった

f:id:pelmeni:20210615180542j:plainコテージ形式のリゾートホテルも水上にある

 

湖の南西側に人の住んでいる湿地帯があり、水路が縦横に張り巡らされていた。ここでは舟による通行がメインのようだ。また午後に寄るので、まずは素通り。

f:id:pelmeni:20210615181557j:plainf:id:pelmeni:20210615181809j:plainストゥーパも浮島の上に?

 

水路を奥に進みたどり着いた先にあるのがインデイン。ここには僧院があり門前に市が立つ。

中国南部~東南アジアにかけての少数民族が住む山間の地域では定期市の立つところが多くある。同じエリアの幾つかの町の間で一定の期日毎に順繰りに市場が立ち、周辺の村々から色々な人々が物を売りにやってくるのだ。以前ベトナム北部でお目当ての市に行き損ねたことはリアルタイムで書いたが、僕は市場という言葉に弱い。まだナイーブな頃にとある人の「市場があれば国家はいらない」なんて言葉の意味を真剣に考えた身にとっては(笑)、旅先でそこに市が立ち人々が集まれば、足を運ばないとなんだか気が済まないのだ。

ここインレー湖周辺地域でも定期市は開かれ、ちょうど滞在中にボートツアーで訪れるインデインで市が立つ日が重なった。それほど目を見張るというものでもなかったが、売りたい買いたいという人間の根源的な欲望が交差する時間や空間を、僅かではあるが共有できることが、いつもながら嬉しい。

声のするテントは遊技場になっていて男たちが単純な賭事に勤しんでいた。彼らにとっては数少ない娯楽のひとつなのだろう。それに対し野菜などを売っているのは大抵女性だ。東南アジアではどこでも明らかに女性の方が男性よりも働き者である。

 

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丘の上の僧院の周囲には無数のストゥーパが林立する。まだ新しく真っ白な仕上げが美しいものから、風雨に曝され半ば崩れつつあるものまで様々。その中を時間を忘れて歩き廻る。不思議な光景は空想の世界に紛れ込んだかの様だった。SNSの時代はカックー遺跡が有名だが、当時はあまり知られてなかった。外国人に開放されていないエリアも多く、カックーも行けるようになってからまだそれほど時間が経っていなかったと思う。

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再びボートに乗り込み来た 道 水路を戻る。金ピカなファウンドーウーパゴタに寄った後集落に戻り自由時間。といっても水に囲まれているので自由に動くことはできない。遅い昼食をとり建物内の土産物の店をうろつく。隣の工房では銀細工や漆器、葉巻などの作成を実演していたので見て回るうちに時間はすぐに過ぎた。物は悪いというほどでもなかったが、ヤンゴンのアウンサン市場の方が種類も多く色々選べそうだったのでここでは買わなかった。実は土産物店は何か所も寄るので終いには飽きて、ボートのドライバーと一緒にお茶を飲んでやり過ごした。

 

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f:id:pelmeni:20210622153710j:plainf:id:pelmeni:20210626174441j:plain浮島の水上菜園は結構規模の大きいものだった


最後に寄ったところはガーペー僧院、通称のジャンピングキャットモナストリーの方が有名かもしれない。西陽が差し込み御堂の中は黄昏の雰囲気。まったりとしてヤル気無さそうに動かない猫たちだが、一人のお坊さんが来た途端に、、、

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数匹の猫がぴょんぴょんと輪くぐりを披露する。観光客は拍手。暖かな雰囲気となったところで、本日の観光は終了。

 

帰路途中で日没となった。淡々と進んでゆくボートの存在以外は、遮る物の無い広い空と滑らかに揺れる湖面の表情がすべてだった。陽の光の変化と共にそれらがゆっくりと移ろう様を全身で感じながら、もしかしたらこの時間がツアーで一番印象的かもしれないと思った。地球上どこにいても日没は等しく美しいものだ。

 

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