もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'05旅回想 その27 カローでトレッキング、バゴーの涅槃仏、輝くゴールデンロック

ミャンマー5  Jan. 2006

ニャウンシュウェ→カロー→バゴー(ペグー)→キンプン/ゴールデンロック→ヤンゴン

 

 

シュウェニャウンからカローまではバスではなくピックアップトラックで移動した。近距離移動ではポピュラーな手段で、後ろの荷台に木製の長椅子が括り付けてあるだけなので乗心地は良いはずもないのだが、2時間もかからない距離なので文句を思いつく前に到着した。ぬるい風が吹き抜け気持ちは良いが、時間が長いと髪の中まで土埃が入ってきてベトついてくる。東南アジアではよくあることだ。

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観光の特別な目玉があるわけでもなく旅行者の集まるところは大抵トレッキングの基地だ。といっても外国人旅行者自体がそれほど多くはないので、町自体は静かな普通の町だった。物の本によると、英国統治時代は軍の駐屯、その後米国から宣教師が学校に教えに来たおかげで住民の多くが英語を話せるという。そんな訳で外国人が集まり易かったのだろうか。

小さな町だったのですぐに一通り歩き終えた。夕食に入った食堂で日本語を話す女性に声を掛けられた。それほど流暢ではなかったが、ガイドの仕事をしているという。彼女が言うには日本人相手の仕事は少ないらしい。それはそうだろう。その時はドイツ語かフランス語を新たに学ぶよう勧めた。彼らは1年12か月のうちバカンスで約1か月のまとまった休暇をとることができる。その時間を旅行に充てる人は多く、また時期も必ずしも夏だけとは限らないようだ。1-2か国に絞ってゆっくりと滞在する独語や仏語喋りの旅行者に僕はこれまで多くの所で出会ってきた。年齢層は幅広く普通の常識的な人々も多かった。そうして毎年過ごす事のできる旅の時間は特別ではない人生の一部といえるだろう。羨ましい。日本でそんなことしようとすれば仕事を辞めて出るしかない。堅気の人ならまずそんなことしないので、旅先で出会う日本人(長期)旅行者は自分を含めて何処か外れた人間ばかりだった。

仕事としてやっていくには日本語は割に合わないよ、と伝えたが、彼女は日本のことが好きなようで残念がっていた。気持ちは嬉しいのだが、やがて現実を知ることになる。残念な気持ちが大きくなったり愛想を尽かすようになる前に、他の選択肢を持っておいた方がよいと思った。まあ僕に言われなくともいずれそうなっただろうが…。

泊まった宿の一家はシーク教徒のインド人で、イギリス統治時代に宿主の祖父が軍隊でこの地に滞在して以来住み着いたそうだ。4代目にあたる彼の息子にガイドしてもらい近くの村をトレッキングしに行くことにした。ミャンマーでは結局こんなことばかりしていた。雄大な自然や絶景も悪くはないが、僕にとっては普通の人の生活に接する時の方が異国を旅していることを実感できる。ただガイドの手を借りなければ普通の人々の生活の中に入っていくことは難しい。それがわかってからは必要な際は現地ガイドを雇うことを厭わなくなった。

 

f:id:pelmeni:20210807025816j:plain結構、山道f:id:pelmeni:20210807030237j:plainf:id:pelmeni:20210807030022j:plain

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集落を幾つか回り家の中を見せてもらった。建物はたいてい切妻の細長い平屋で、英語では”Long House”と呼んでいたが、正しく長屋である。寒さや治安、地震に対策をする必要のない造りは、中の生活ともども非常に簡素なものである。

一軒の長屋には複数の家族が共同で住んでいる。身近な家族や親戚同志らしい。

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左がガイド君

 

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軍隊退役後にこの地の住み着いたネパール人家族の家も訪れた。ここから見下ろす風景は僕の記憶の中のネパールに似ていた……気がするだけかな。

 

 

ヤンゴンに戻る前に有名な観光地、ゴールデンロックを最後に訪れる。カローからはずいぶんな距離になり直接行くことはできない。巨大な寝仏で有名なバゴーという町が途中にあるので中継で寄ることにした。それでもバスで一晩かかる。日本の中古の乗合バスで夜行というのも終いには慣れたが今思えばキビシイものがあったが、何時も空いていて席に余裕があったのがせめてもの救いだった。宿のおばちゃんからは、バゴーまで18時間だけど何かあったら30時間かかるよと平然と言われた。別に脅しでもなく良くあることみたいな感じでさらっと口にしたが、こちらももう特に驚かなくなっていた。

 

まだ明るい時間に隣の席に座っていた同年代の女性が頭を僕の肩に乗せたり体を寄せてきたりしてきた。眠っているのだか起きているのだかよくわからなかったが、明らかな外国人に対して積極的であることは確かだった。暫くしてから簡単な会話をして、最後に訊かれた。

 -----一人で旅をしているの?

 -----そうだよ、

 -----それは幸せではないわね…

 

大きなお世話だ。

でも傍から見れば寂しそうにみえたのかもしれない。それは彼女が単に海外を一人で旅するという様な習慣が無いせいか、それとも僕の表情から読み取れたのか。確かに今回の旅はもう終盤だし東南アジアは気が緩むので疲れが出て表情無くぼうっとしていた時もあったのだろうが、そんな気分ではなかった。夜になり車窓に流れる小さな灯りを眺めながら昼間のことを思い出し、日本に帰ることなどあれこれ考え始めると少し寂しくなった。そうなったら旅も終わりだ。一人旅なんて、気持ちがその先の目的地に向かなくなったら続かないもの。帰りのチケットを持たない旅では必ずそういう時が訪れる。夜の移動はどこでも大抵暗くて余計なものが見えないせいか、気持ちが自分に向かい柄にもなく内省的な気分になる。実はそういう時間は、嫌いでなはい。

 

 

バゴー、シュエターリャウン涅槃仏(寝仏) 

当地にあった王朝が滅ぼされて以来、この仏陀は長い間忘れられ去られていたそうだが、熱帯のジャングルはこんな巨大な物でも覆い隠してしまうのだろうか。

f:id:pelmeni:20211013154124j:plain全長55m、高さ16m

f:id:pelmeni:20211013154500j:plain足の裏だけでコレというのもすごい

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夕陽に輝くシュウェモードパゴダ ミャンマー3大パゴダのうちの一つらしい

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バゴー市街地

 

 

バゴーからゴールデンロックのあるキンプンという町へはそれほど遠くない。朝出て昼に着いた。ずっと昼間の風景を眺めて終わる移動なんて久し振りだ。酷い乗心地だった夜行バスにはもう乗ることもないのかと思うと、それはそれで寂しいものだ。

f:id:pelmeni:20211017011620j:plainキンプンの町の中心 観光地っぽい雰囲気だが…f:id:pelmeni:20211017011521j:plain一歩入るとこんな感じ

 

宿を決め遅い昼食をとり一休みをすると、ゴールデンロックで日没の時刻を迎えるにはちょうど良い時刻だった。

ロックのあるチャイティーヨー・パゴダは山の上にあり、麓からはベンチが縦に何列も並べられたトラックの荷台にちょうど45人ずつ詰め込まれ運ばれる。石張りの境内ではここも裸足、水が常に撒かれ冷たくて気持ちが良かった。

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これです、すごいロケーションです 巡礼者が貼り続ける金箔で光り輝いている

ちょっと押せば転がり落ちそうにも見えるが、誰もできない不思議な岩