もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'05旅 その7 グルジアの奥地、スヴァネティへ

コーカサス6 > グルジア(現ジョージア)スヴァネティ ●Aug. ’05 

 

 

 

 

グルジアの奥地へ

 

1  話が決まる~遠路はるばる~満点の星空

 

列車の終点はズグディディという不思議な名前の町だった。夜行列車に乗ると翌朝早く、頭が完全に回り始める前にプラットフォームにポンと投げ出された気がするのはいつもの事だ。今回は4人いる。自分以外の3人はトビリシのプライベートルームで知り合った日本人なのだが、彼らも長旅の途中でひとりひとり出会ってきたという。

目的地はスヴァネティ谷。周りの地域とは隔絶された谷間に点在する村々は、それ故に中世以来の様式が保たれているという。アクセスは難しく、一人で行くか迷う一方、他人を積極的に誘うのもどうかと思っていた。でも宿で話をしていたら、いつの間にか事が決まっていた。2人はアフガンの未踏の村々を強行突破してきた強者である。1人はイランの屈強な若者を向うにまわしファイティングした短気者らしい。僕の英文ガイドブックに、途中は治安が悪く盗賊が出ると記載されていたことなど、敢えて話すことも無いだろうと思い黙っていた。

 

ズグディディの駅で降りバスの溜り場まで歩いた。旧ソ連の国を今迄幾つか旅してきたが、地方だとバス乗場が適当なことが多い。以前営業していた公営バスが業務を縮小・廃止してバスターミナルはすさび、私営のミニバスや乗合タクシーが近所だったり別の広場から発着する、とか。運行は需要のある朝夕のみだったり、席が全部埋るまで出発しなかったり。かといって看板表示等が立っていることもなく、町の人に教えてもらった場所に悠長に構えて行っても途方に暮れることになる。

この町もそうだったかもしれない。人と車が群がっている中へ適当に入って尋ねると、目的の車は満席で出発間際。周りの人は皆ここで待っていろと言うが、次の車が何時出発なのかは誰も知らない。小雨も降ってきて、気持ちのやり場に困ったが、話し相手がいるので少し楽だった。

結局2時間後に出発できた。列車が早朝着で本当に良かった。この後に次の車があるとはちょっと思えなかった。

 

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とても美しい渓谷を見下ろしながら、ミニバスは山道を登って行く。手付かずの自然というものはどこの国でも美しいが、猥雑な街を抜けてきた後だけになおさら心を動かされる。

途中休憩が何度かあった。少し前に事故が起きた場所では、乗客は皆降りて花を投げ黙祷をしていた。我々は部外者なのでその間手持ち無沙汰にしていたが、喉渇いているんだろ?、と言いながら彼らが差し出したペットボトル、水と疑わずにごくりと飲んだ透明な液体は、そう、水で割ったウォトカだった…、いい国だ。今でも心からそう思う。

 

f:id:pelmeni:20190828014031j:plainちょっと休憩

 

山間なので日暮れは早い。終点のメスティアにたどりついた頃にはもう薄暗かった。予想外に大きいが何もない広場に、さて、はるばる日本人がやって来たものの、宿の情報等ほとんど無い。ここは地域で一番大きな町だが、ホテルと名の着く施設は確か無かった。人の行き来も少ない。さてどうするかね。こういう時は人数がいると余計なことを考えずにすむのが良い。すぐにバスの運転手に尋ね、そのまま彼の知っているプライベートルームに連れて行ってもらうことにした。

がらんとした大きな部屋にまとめて通され、荷物を置きベッドの上に横たわる。やっぱり皆疲れていたようで、しばらくの間まったりとしていた。外は既に暗く周囲の雰囲気がよくわからないせいか、小さな緊張感が続いている気がした。

簡単につくってもらった食事をとった後、中庭に出て夜空を見上げれば、本当にビックリした。何故なら視力0.4の裸眼でも天の川がよく判ったのだ。こんな夜空は初めてで、あわてて部屋に眼鏡をとりに戻った。

改めて見上げれば、満天にちりばめられた零れんばかりの星々。「星屑」とはこういうことだと言わんばかりの夜空を、もう首が上がらなくなるまで飽きずにずっと眺めていた。そのまま宇宙に吸い込まれそうな感覚だった。考えてみれば、この場所には地上に届く星の光を遮るものなど、何もない。

 

 

 

2  メスティアでのんびり~石積の塔に上る~歌唄いおばさん

 

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この地方に有名な石造りの塔の家は、ここメスティアにもまとまった数が点在する。つまりたくさんある。緑の中に塔が幾本も突き出ている集落の眺めは何だか微笑ましい。

ひとり旅の場合は、長い滞在となる場所でなければ結構こまめに動くのだが、僕は、連れがいるとだらけてしまう性格なのだ。この日も昼近く迄皆で部屋でうだうだしていたが、それはさすがにもったいないというものだ。何ていったって、グルジアの山の中まで来ているのだから。でもこういう時間も久しぶりで楽しい。やっぱり、田舎とはゆったりとした景色や雰囲気を味わう場所である。もっとも部屋のベランダに出ても、裏山の緑以外は何も見えないが。

 

f:id:pelmeni:20190828020705j:plainシンプル故に美味

 

昼食をいただき、さすがに外に出ることにした。広場を突き抜け、町外れまでやってくる。道なりに坂を少し上ってゆくと、子供たちが不思議そうに見つめている。それはそうだろう、普段見慣れぬ東洋人が4人もいるのだから。しかし子供というものは、それでも余計な事を考えずに興味津々で話しかけたり、あるいは黙ったままだったりでいながら、いつの間にか仲良くなってしまう。これを純真というのだろう。世界どこでも共通の純真である。

彼らについてゆくと、とある塔の上で女性が歌を歌っていた。

 

f:id:pelmeni:20190828023205j:plainf:id:pelmeni:20190828021714j:plain石造りの塔 内部f:id:pelmeni:20190828021325j:plain僕らの可愛いガイドです

 

世界遺産の対象になっているスヴァン人の伝統家屋の代表例として、石造りの、方形の塔のような多層家屋が有名であり、今まさにその一つに登らんとしている。高さは10m位で、内部は5〜6層になっている。木製の狭いはしごを子供たちについて昇り、屋根の上に出れば、ぱっと視界は360°の大パノラマとなるはずだ。やっとのことで顔を出すと、一人のおばちゃんが本を片手に歌を歌っていた。きれいな服装にハイヒール。どうやってのぼったのだろうか。

 -----こっちにいらっしゃい

おばちゃんは手招きをし、子供たちと僕らが皆上がると、今にも崩れそうな屋根の上は足の踏み場も無い。しかしそんな様子などお構いなしに歌は続いている。歌が終われば話を始める。ただし、僕らの誰も理解できないグルジア語?この地方の言葉? それだのに、まるで普段通りの自分のペースで話続けるこの人がとても不思議で、横顔をずっと眺めていた。その先にはきれいな谷間の村の景色が広がっていた。気が付けば再び歌い始め、透き通るきれいな歌声は村を囲う谷のずうっと先まで届いているような気がしていた。それにしても、気持ち良さそうに歌う人である。

 

 

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腹が減ったので、帰りに食堂でビールとハチャプリを食した。ハチャプリとはグルジア版ファストフード、どこでも食べられる。パイやナンのような(場所により異なる)平べったいパンの中にチーズが入っている。あたためて食べるのでチーズはとけていて、少しくせのある味だがこれは好きな人ははまると思う。アチャルリと呼んでいたところもあった。ビールは「カズベギビール」という銘柄で、確か普通より度数が高かったと思う。しかし、ビールといいウォッカといいワインといい、この国は酒飲みばっかりだな。今思い返しても「グルジア人=酒飲み」の感は拭えない…

ここで不思議な親父に出会った。JUDOのコーチで、あの大相撲の黒海関を小さい頃教えたという。黒海といえばグルジア出身! でも本当だろうか、こんな山の中で? まあ確かに彼はここから比較的近いスフミ出身であるがねえ。まあ、そんなことはどうでもいい。酒飲んで良い気分になり、歓迎してもらえて、楽しいひとときを過ごし、そして明日塔の家がまとまって残っているウシュグリ村へ車で連れて行ってもらう約束をしたから…。

 

 

 

 

 

3  中世の町~グルジア式宴会~別れはあっけなく

 


柔道親父は時間通り待ち合わせ場所に待っていたが、何故か中々出発しない。車が目の前にあるので我々も大袈裟に文句は言わなかったが、少し苛立った。ようやく出発したが久々の悪路を3時間近く。道は整備されておらず、途中水浸しになっているところもあった。アルメニアでもさんざん乗せられたが、旧ソ連製の4WDはたて付けが悪く、悪路で弾んでいるうちにどこかでネジが飛び、果ては車が崩壊してしまうのではないかという悪夢が今回も頭の片隅をよぎる。ただし車窓の風景はとても美しく気が紛れるというものだ。そうこうしているうちに、静かな谷の中に幾つもの塔が見え始め、期待が高まってきた。

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ウシュグリ村にたどりついた。山を背景に塔が立ち並ぶ不思議な集落の光景は、映像や雑誌で記憶していたとおりだった。これら石造りの塔は、アッパー・スヴァネティ地方各所の集落に数百が残っており、地域の中心地メスティア近くのウシュグリ村に多くが残っていることが知られている。写真好きでこだわる一人を村の手前で降ろし、とりあえず道の行き着くところまで行った。橋のたもとで車を降り、一番遠くに見える教会まで緩やかな坂をのぼって行った。とても穏やかな風景だった。

 

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実際に使われているのか怪しい教会だったが、そこからの眺めはすばらしものだった。正面には雪を抱いた力強い山々が連なる雄大な景色。振り返れば谷に点在する集落が一望のもとにあった。あの山の向こうはロシアなのだろうか?

そして、多くの人が集まっていた。人が集まり始まるものといえば、ここではそう、宴会。場所が場所だけに、おそらく地元の人の何か集まりなのだろう。英語のできる人が誘ってくれた。せっかくなので末席に参加させていただくことにした。「タマダ」という音頭とりの様な人が前口上らしきことを述べ、もちろんウォトカの乾杯。あれ、ワインもあったかな? そしてそのタマダが順々に入れ替わり次から次へと乾杯が続いて行くのだった。これが大事。そう、このグルジア式宴会は酒が強い人間でないときつい(笑)。その他には捌いたばかりという茹でた羊肉、パン、チーズが振る舞われた。さっきまで知らない者同士がお互いつたない英語で精一杯のコミュニケート。こういう時間は楽しいんだよね。だから、旅は止められない。

ただし男2人は酒に強くなかった。酔い冷ましに、一人場を離れ、もう一人、、、。集落入口の橋で待っていた帰りの車と写真君に落ち合ったが、残して来た姉さんはすぐには戻って来そうもないので、僕は近くの集落の中へ散策に行った。

 

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時間が止まっているような場所だった。黒ずんだ石積みの壁には本当に長い時間を経てきたことが感じられた。人間の営みを長きにわたり見届けて来た石の壁というものを見るたびに、僕はいつも言い知れぬ安堵感を覚える。日本の木造文化も清潔で気持ちの良いものだが、強固な石の表面に時間というものだけが作用できる微妙で柔らかな風化には、格別な味わいを感じる。寡黙さや、力強さ、安定感、大地との一体感。

デジカメで写真を撮っても水平になっていない。宴会の酔いがまわってきて歩くのが面倒になってきた。道端に蛇口を見つけたので顔を洗おうとして、出て来た水の冷たさに驚いた。グルジアの山の雪解け水なのかしらん。ははは、小さな笑いがこみ上げてきた。

その後ひと気の無い集落の中を時間がたつのも忘れてしばらく歩き回った。塔の根元は意外と太い。何故か犬に後を尾けられたが、距離を空けずに黙って居るだけだった。ただ単に他所者とかそういう観念がないのだろう、か。

 

f:id:pelmeni:20190829205505j:plainコーカサスの子供たち


集落の入口で僕を呼ぶ声が聞こえた。帰りの時間だという。小走りで車に戻ると後ろの座席で姉さんが酔いつぶれて何かぶつぶつつぶやいている。親父がアクセルを踏んだ。

まあ楽しかったなと思いながらの帰路の途中で、またもや宴会に遭遇! おまけに親父の知り合いがいるらしく、ちょっとだけと言って彼は車から降りてしまった。上での宴会に加わらなかった写真君がどんなものか知りたいと親父について行き、そして見事に撃沈、ふらふらになって戻って来た。今日は祝日なのかそれともこれが平常なのだろうか? 

酒の国、グルジア。人々は皆陽気で人当たりが良く親切、そして酒飲みの国。本当に彼らの人生に欠かせない一部分なのだろうと思う。

 

夕食後、今日も無心で星空を眺める。相変わらず見事という他はない。何だか吸い込まれそうな気分になり、一瞬、星空と自分の距離が無くなったかのように感じられる時があった。原初的な宗教的体験かもしれませんね、これは。

 

 

 

僕はもう一日くらいここでだらだらと過ごすのだろうと思っていたが、何となく成り行きで翌朝出ることになった。でも十分楽しんだ感はある。

 

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帰り道はほぼ下り坂だったので5時間でズグディディに着いた。楽しかったことを思い出しながら窓の外を眺めていたら全然長くは感じなかった。でも正に下界に降りてきたという感だ。気温も高い。

 

乗ってきたミニバスはトビリシ行きだったので途中下車のかたち。駅前で客待ちでもして少し時間をとるかと思ったが、ここで降りる僕とウッチーの荷物を下ろすとすぐに動きだした。 えっ。 別れの言葉を交わす間も無く、これには皆驚き、タカシ君もヤマさんも窓から身をのりだし思いっきり手を降ることしかできなかった。

 -----えー、行っちゃうのーっ!?

ウッチーはほとんど半泣き状態だった。こいつらに負けられるかとウシュグリの宴会で地元民と一緒に酔いつぶれるまで飲んだ彼女も、やはり女性。

予想もできなかったあっという間の別れ。でも、これも、旅。

 

  -----また、どこかで!

 

 

 

 

<追記>

僕が今まで訪れた中では五指に入る場所。唯一無二の光景、手付かずの自然と人々の素朴な営み、平和な雰囲気での寛いだ滞在は何物にも変え難い体験となりました個人的には「風の谷」のイメージがパキスタン北部のフンザとともに重なります

当初はまずカズベギの方に足を伸ばしてからスヴァネティへ行くかは考えるつもりでした。再びトビリシまで同じルート往復するのは嫌だったので、カズベギはあきらめトルコに向かいました。この後はみんなバラバラで旅行したようですが、イスタンブールやカイロで再会したりしていたらしい。時々メールがきました。でも僕だけが結局誰にも会えなかったのは、移動のスピードが遅く寄り道も多かったから。カイロまで多分2か月分近く遅かった。

 

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ちなみに当方所有の書籍に掲載されているウシュグリの写真「スヴァネティアの要塞化村落」 撮影時期はわからないがおそらく60年代前半より前と思われる 山々の形や手前の道、建物など変わっていない 塔は少し減り新しい住宅は増えている

それから更に14年、現状はさて…

 

●終了したジオシティーズの自身のサイトに載せてあった旅日記。多少加筆修正しましたが、基本的には旅行直後の文章です。写真は追加しました。