もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'05旅 その12 シリアに入国

アラブ1>シリア・レバノン>シリア北部 Sep.2005

アンタキア→国境→アレッポ→ハマ←→クラック・デ・シュヴァリエ

 

 

 

 

夜行バスは朝の7時半にアンタキアのオトガル(バスターミナル)に到着。トルコのバスは最後まで時間が正確でした。更に言えばこの時乗ったバス会社のサービスは良過ぎです。夜中の3時の休憩直後に飲物のサービスを行うんですよ。寝ぼけ眼でも、ここはやっぱりコーラを一杯!。

同じオトガルからシリアのアレッポへ直通バスが出ているので、その場で9時半発のチケットを購入。すぐ裏のロカンタでトルコ最後の食事、チョルバ(スープ)の軽い朝食をとりました。

アレッポとは英語読みで、アラビア語ではハラブ、トルコ語ではハレプと言うらしい。その ”HAREP” という行先表示を掲げたバスに乗り込みます。国境では特に時間を喰ったという印象は無く、順当に昼過ぎアレッポに到着。バスで一緒だった日本人学生、アメリカのおばちゃん、リトアニアカップル達と一緒に街中の宿へ向かいました。

 

今となっては昔の話ですが、この国境は常に外国人旅行者で溢れていました。トルコ~シリア~レバノン~ヨルダン~イスラエル~エジプトというルートは中東旅行の定番中のド定番で、見所も多く、誰もが楽しむことのできるルートでした。世界中から人々が集まり、長期短期を問わず、多くの旅行者が砂漠の中の暑く乾いた道をバスやタクシーに詰め込まれ、砂煙を立ち上げながら駆け抜けていったものです。

以前の旅先で出会ったとあるオーストラリア人の言葉を思い出すことがあります。彼によれば旅行に良い国の条件は、1)人々が親切 2)社会が安定している 3)物価が安い、だそうです。まあ頷ける内容です。シリアなんてその全てを満たしているうえに観光場所も多く、大抵の人にとっては悪い印象を受けることの少ない国でした。それは僕の実感であり、出会った旅行者にとってもほぼ共通の感想でした。

でもその ”2)社会が安定している” と見えたものは、表面的な様相でした。実際の社会の状況や人々の生活が外から一撫したくらいでは分かり難いものであったことは、後年の時局が全てを語っています。彼らの日常と僕の非日常は同じ時間と空間を共有していたものと記憶していましたが、それは必ずしも交わっていたわけではなかったということです。旅なんてしていても理解できることは限定的なのだと今ではつくづく思います。目に映る物事がリアルな現実のすべてであるとは限らないことも今では知っています。これら皆含めて迄が旅というものでしょう。ただ、知らないで済ますことができればよかったかもしれない現実を思う度に、寂しくも悲しくもなります。

以前にシリアを旅行して良い思い出を持っていながら、現在の状況に堪らない思いを抱いている人も多いのではないでしょうか。だからといって何ができるわけでもなく、暫く膠着状態が続きそうで、気を煩わす日々が延々と続くのでしょう。

 

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アレッポ城 城門は力強いが内部はほぼ遺跡状態 

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小高い丘の上に鎮座する城(所謂チタデラ)から街を眺める。雨が降らなければ勾配屋根を架ける必要はない。いよいよ中東、乾いた大地と砂色の町がこれから続きます。

中央に伸びるスーク 右がモスク

 

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薄暗くも妖しく賑わうスーク(バザール) 時折天窓から斜めに射し込む陽の光が幻想的

不思議な空間に半ば酔いながら彷徨い歩く。視覚、聴覚、時に嗅覚の感度を上げる必要がある。日本の明るくクリーンで均質な商空間とは対極な場所。だからこそ魅かれる。

 

写真を撮っていると片言の日本語を話す店員に呼び止められ、チャイと水煙草を頂く。チャイと水煙草の組合せは、これがまた病みつきになるんですよ。その後はもちろん彼等のビジネスタイム。とりあえずは付き合ってみることにしたが、僕は話が合わなかったら何時でも止める用意はできている。奥から持ってきたカシミア(多分違うだろうが色柄は良かった)が8400→4200シリアポンド(80$)の値下げで「トモダチプライス!」から始まった。これは前口上みたいなものだろうから頭から除外する。25$くらいにしようか話し始めたら簡単に下がる。でもよく見るとそこまでの品質には見えなかったので止めようとしたら、横から彼の叔父という人が出てきて20$という。出方をみながら更にあれこれネゴると15、10$まで下がる。結局550シリポン(10$)で手を打つ。千円程度なら色や柄は気に入ったので悪くはない買物でした。おそらく元値420SPの10倍の4200SPからスタートだったのかもしれないと推測。交渉中は雑談を交えて悠長に構えていましたが、インド人とのタフな交渉と比べれば穏やかに終わりましたね。

旅行中はこんな感じでよく暇つぶしをします。言葉数を多くしたり表情や話し方を変えたり等いろいろ考えて自分のペースは崩しません。まあゲームみたいな気分です。お互い情は無用です。そのせいか話がつかなくても大抵後腐れはありません。日本ではできない遊びみたいなものです。

アレッポといえば石鹸も有名です。地中海沿岸で作られるオリーブ石鹸はアレッポあたりが発祥だそうです。どの店で売られている石鹸も幾つかのグレードに分かれているので、何が違うのか尋ねたところ、成分のローレルオイルの割合に因るとのことでした。割合の大きい方が香りが強く値段も高いのです。と言われてもよくわからなかったので、上から2番目のクラスの物を2kg買って中央郵便局から日本の実家に送りました。この石鹸使ってみましたが、女性が何故あんなに喜ぶのか今でもよくわかりません。嫌いじゃないですけど。

 

 

砂漠の一本道を南下しハマに向かいました。この町は楽しい。

 

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町中を緩く流れる川に大きな水車が幾つも掛かっています。町の中心部にある物は周りが公園になっていて、人々が傍らで楽しそうに見上げています。夕方あたりから人が集まり始め暗くなると多くの人出で賑わいます。単純な物でも動く物には大人子供を問わず心惹かれるということですかね。実際本当に飽きません。そして音をたてて回る水車の横で行き交う人を眺めながらアイスクリームを舐めるというのが、この町での一番の楽しみでした。大きくはない町ですが水車の存在だけで人を呼べるほどです。

かたかたかたかた…

 

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中世十字軍時代の城塞 クラック・デ・シュヴァリエ

途中ホムス乗換でハマから日帰りで行くことができます。マッシブで力強くいかにも城塞といった形態で有名です。よく目にする全景写真を撮るためには少し離れた高い所を探さなければなりません。帰り際にまとめてそんな写真を撮ろうと考えましたが、何だか面倒になって停まっているバスにさっさと乗り込んで帰ってしまいました。よって此処は部分的な写真だけです。

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城塞自体は話題にのぼるほど面白い物とは正直思えませんでした。半ば遺跡に近く、もう少し細かいディティールがあれば良かったのに、というのが個人的な感想です。暑い所では想像力を要求されるものに対してはなかなか気が乗りません。ただ西洋人にとっては歴史的に意味のある場所なので多くが行きたがります。日本人がインド辺りで仏教や釈迦ゆかりの地に特別な感情を持つのと似たものでしょうか?。立地は最高で眺めは良いので、気分は晴々としますが… 

 

帰りのバスで、アレッポで同じ宿に泊まっていたイタリア人男性二人連れに再会し、一緒にハマまで帰ることになりました。腹が減ったと言うのでホムスのバスターミナル近くで軽食に付き合いました。

此処ではバスの乗換をしただけなのでこれが唯一の記憶であって、その後は長い間忘れていました。後年再びその名を耳にしたのは内戦のためです。この街が反体制派の拠点だったために戦闘が起こり、市街戦により荒れ果てたホムスの状況を報道により知ることになりました。もう憶えていませんでしたが車窓から眺めたであろう街並みが破壊され、何処かですれ違ったかもしれない人々の身に降りかかった大きな不幸が、揺れる映像の向こうに確かにありました。こんな状況は当時の記憶とは全く結び付きません。現実の世界で起きている事であっても他人事の様にみえてしまうのが嫌でしたが、現在の自分とは隔たりが大き過ぎてどうしようもありません。 

おかげで本来であれば忘却の彼方へと去っていたはずの記憶が幾つか呼び起こされたのは事実です。でもそれは残念ながらあまり嬉しいことではありません。できれば別の種類の話、懐かしく思い返すことのできる話であって欲しかった。