もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードです。

テッサロニキ

テッサロニキ



うっかり忘れていた。アンゲロプロスは幾つかの映画をテサロニキでロケしている。YouTubeで確認した。「永遠と一日」。これは観ている。夜のバスの場面が印象的だったが、これはテサロニキらしい。映像は昔のバスの車内で切符売りが机を前に座っている(どこかの国にこんなバスあったな)。暫しの間見続けた。孤高の存在だった彼が突然あんな死に方で世を去ってしまうなんて残念な事このうえない。いまだに信じたくない、というのが本心だ。ゴダールが死んだら、ようやくくたばったかなんて憎まれ口をたたくだろう。魅入ってしまい魂まで持っていかれそうな映画というのは、そうさらさらない。



テッサロニキは普通の都会である。アテネ以上に普通の都会である。古い建物と近代的な建物が入り混じって適度に雑然としている。ヨーロッパ的な趣はあるものの、残念ながら美しい街並みとまではいかない。ただ、ローマやビザンチンオスマントルコ時代の遺構が、絶妙に街中へばら撒かれている。これは面白いところだと思う。2、3日の間足を棒にして歩き廻るのも楽しいかもしれない。
怠け者の僕はもう一日の半分くらいしか歩かない。その代わりにカフェでひと休みどころではなく数時間(笑)。意外と都会な街なのだから、頑張って観光に走らなくとも、ゆっくり構えればいいじゃん。見てみろよ、ギリシャ人はみんなそうしてるぜ。そりゃそうか。スケジュールなぞ無い旅なのだから、必要ならその分滞在を長くすればよいだけのことだ。

好みの店をみつけてそこで何度も食事をとるなんて、実際やってみると、とても気分がいい。店の親父も喜んでくれる(こういう時ギリシャ人はとても愛嬌がある)。
彼らの日常と僕の非日常が接する時間と空間には、いつもながら不思議な感覚を覚える。
数日後には去らなければならないことはわかっている。でも、根無し草のような旅の時間の中で、たまには腰を落ち着けた時間を過ごさないと、何と言うか、感覚が疲弊してしまう。あらゆる事象が目の前を過ぎ去ってしまうことに慣れきってしまい、じっくりと物事に拘ったりつかみ取ろうとすることができなくなっていることに気付くのだ。もちろんそれでもよいのかもしれない。普段から多くの時間を無為に過ごしているのだから、そうなってしまうのが自然なのかもしれない。
ただ、そんな時間ばかりが続くのならば何のための旅なのだろうと思う。  



夕方、海辺に出てみる。広い空が刻々と色を変えてゆく。それは見事な光景だ。多くの地元っ子と一緒に変わり行く様子を眺め続ける。日が沈み、星が一つ二つ見え始める頃、僕はその場を去る。話し相手でもこの場にいれば、しばらくの間は緩やかな風に吹かれながら、この場にとどまり、ひとときを過ごすだろう。でも今は一人なので手持ち無沙汰を感じる。
少し人恋しい気分になったので、大通りの方へ歩き出し雑踏の中に紛れ込むことにした。大きな街では、一人でも長い時間を過ごすことができる。みなそうして生活しているのだから。



そんなこんなで、僕は旅先でも都会が好きなのだ。あれこれ考える雑念の多い時間が好きなのだろう。


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