もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードです。

亜青寺へ行く

亜青寺 ヤチェンガル・アチェンガル  Yarchen Gar

 

 

朝7時前は宿の入口に鍵が掛かっているので、老板を起こして開けてもらいまだ暗い町へ出る。川蔵路と清河街の交差点にバスが3台停まっていた。1台は亜青・昌台行き。もう一台は喇荣・色達行き、もう1台は失念(理塘だったと思う)。前者2台は隔日出発ということを聞き出した。今日は亜青に行くバスに乗る。運転手は7時50分発、11時着と言っていたが実際には8時15分頃に発車した。自分以外は全員チベタン、それもほとんどが僧侶で亜青寺に行く人だった。

途中峠越えがあったがここはショートカットのトンネル工事中で非舗装、いずれ見ることができなくなるのが惜しいほどの壮観だ。その前後は安定した舗装道路で車はすいすい進む。降雪で凍結した道路を徐行運転したせいか亜青到着は12時頃だった。気候の良い時期であればやはり3時間そこそこで着くのではないだろうか。

 

 

湾曲する川沿いに密集する亜青寺のピクチャレスクな僧房、ここに居る人は皆尼僧であり、その中に男性旅行者が入っていくと咎められる。実際橋を渡ってすぐに後ろから気の強そうな顔をした女僧さんに強い口調で何か話しかけられたので、ぐるっと周りを川沿いに歩くだけで中には入らない意を示したら納得したようだった。でも少し川沿いに歩いたが特に面白くなかったので、すぐにもう一つの橋を渡って北側の丘に上ることにした。

ここは瞑想小屋が点在する場所で、僧侶が男性女性問わず腰を下ろして眼前に広がる光景を見下ろしていたりする。彼等に混ざりしばらく下界を眺めていた。写真を撮ろうとしたが全景が納まらないので丘の頂上まで更に上った。

 

すこし息苦しかった。それもそのはず、この地の標高は富士山頂上より高いのである。でも、もう大分慣れた。中国に入って以来高地に上がったり下がったりの連続だが、高山病の症状も現れず旅の体になっている。出発時より体重も10kg以上減り心身共に好調なのである。日本で生活していると実はこうはいかない。仕事をしている時のほうがこんなキツイ条件で旅している時よりかはるかに不健康であると感じる。これは精神的なものが一番の理由なのだろうか。いや食事も睡眠も相変わらず不規則だった。

そんなこと下界を眺めながら丘の上で考えていた。日本に帰ったら別の職種に変えるなど、何か考えた方がいい。不真面目に生きてきたわけではないが、人生も中盤に差し掛かり、別の生き方を探しても良いのかもしれない…。

 

不思議というか何と言うか非常に強い印象を与える光景だ。普通に人が住んでいるこの様な形態の町はこれまで何度か目にしたことはある。しかしそれとは違って我々とは少し価値観の異なる人々が宗教的な目的の下にこのような形態をとり、それでも同じ人間が生活をしていることに違いは無い。

 

帰りは乗合の白タクが待っていたのでこれに乗り帰る。3時頃出発で空いた道をすっ飛ばし2時間15分で甘孜に着いた。宿に帰っても昼間見た光景が忘れられずに、しばらくの間少し興奮していた。観光客が全くいなかった訳ではないが、自分を含めて3組程度だったろうか。それほど歓迎されている雰囲気でもなく、気分的にも少し距離を置き静かに見届けるくらいがちょうど良いのだろう。

 

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キンという金属の様な風切音が聞こえてきそうな標高4,000mの寒空の下、僧房が姿を現す。男性のいる区域はこの外側(写真左奥~)に拡がっている。

 

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 【移動】

甘孜→亜青寺 中型バス 隔日朝8時頃発 40元 
       バスの運行の無い日は乗合タクシー有り
亜青寺→甘孜 乗合タクシー 午後3時頃 45元

☆甘孜~亜青間はバスが隔日運行、無い日は乗合が利用できる(旅行時)