もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'04南米 その8 ブラジル北上中

  

ブラジリアはあっけらかんとしていて、言われるほど悪い所ではないと感じた。何といっても、空が広い。

それはもちろん、ここが何もない高原にポンと置かれた現代の計画都市だからだ。街を構成する一つ一つの要素に歴史の重みはまったく無い。人の生活の営みや築いてきた社会の積み重ねなど微塵にも感じさせず、そのさらりとした爽やかさは、図面上では同じく整然とした都市でありながらも実際はインカの町を根こそぎ破壊した上に碁盤目状に拡げられたアンデスの植民都市のもつ重さ、ある種血生臭い過去に因る逃れようのない重さとは、全く真反対の性質のように思える。まだ地に足がついていない様な浮遊感すら感じられるのは、歴史や風土に根付くことなく理性と幾何学のみに基づく出自からみても当然のことだろう。

でもこれはこれで20世紀の到達地点。我々の時代の英知が作り上げた都市は100年、200年後にどのような評価を下されるのだろうか。

 

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新たなる計画都市は地球上何処でも何故か往々にして不評なのだが、あまり厳格さを感じさせないブラジリアを作り上げたルシオ・コスタとオスカー・ニーマイヤーは、生粋のモダニストでありながら、やはりブラジル人なのだ。

モダニストは人間の生活が主題となる空間を新しい思想や技術によって作り上げた。過去やそれに付随する諸々~古いオーダー(秩序)や形式的なスタイル、装飾は不要だった。彼らの時代のデザインの拠所、つまり純粋な幾何学モータリゼーションに沿ってつくられた潔くも生真面目な都市。そこに微妙な曲線が加えられる。それもコンパスで一律的に引かれたものでなく、人間の感性を幾許か通して手を使い巧妙に置かれた曲線を。微妙なカーヴの持つ微妙な優しさは、この地に立てば確か実感できる。体に直に語りかけてくる。伸びやかな造形と鮮やかな色彩は人間の感性を開放する。えー、生真面目なゲルマン民族等には難しい芸当ではないかな。

 

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もちろん50年代の限界もある。何時の時代でも人間ができることは限られており、後世の評価が当初からすれば思いもよらぬ軸で定められることもある。スペインの植民都市は自動車の無い時代故にヒューマンスケールに近い心地良さが有るが、そもそもは単に地形やその他諸々を無視して線引きされた入植地だ。個人的興味の尽きない中央アジアソビエトタウンも、建設の基礎であった共産主義体制は既に無いが、住民は大きく育った街路樹の下を漫ろ歩き、無駄に広い公園で自由に寛ぐ。でも都市ってそういうものだろう。人々が街に集まり住み込んで生きてゆく。その生きられ方によって街は如何様にも姿を変え得るだろう。今目に映る街がそのまま変わらず続くこともなければ、この地に永存する保証もない。

一通り歩いたが、街の持つスケール感にブラジル人の生活習慣やリズムがあまりマッチしていないようにみえた。大きな骨格はともかく細部は自分たちで作り込んでいくしかない。多分変わってゆくのだろうけど、もしかしたら乖離したままかもしれないとも思う。この世に生まれ落ちまだ四十余年。時間の経過は必ずあるべき地点へと収束させてくれる。何処へ?それはブラジルの神のみぞ知ること。

ブラジリア、よくつくったな、というところが正直な感想だった。今以上に歩道の木陰が欲しいところだが、これは都市計画というよりは行政の問題だろう。日差しが強過ぎるんですよ、この街は。

 

 

 

さらに北上する。今日も夜行バス。

旧都サルバドールへ。 

 

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クリスマスが近いのだった。でもここでは真夏! 可哀そうに例の暑苦しい服装を纏わなければならないようだ、やっぱり。

 

レシフィ

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後に2014サッカーワールドカップ、日本×コートジボワール戦が行われた街。当時はあまり治安が良くないので気楽に歩きたい雰囲気ではなかった。しかしブラジルって人が多いなあという感想を持った。まるでアジアみたいに、どこもかしこもごちゃごちゃ混みあっている。

近郊のオリンダという町は美しかった。こちらは人影もまばら。

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f:id:pelmeni:20190211030212j:plain遠くにみえるのがレシフィの街

 

 

この頃の移動はすべて夜行バス。数日おきに夜をバスのシートで過ごす。基本的に快適なので無問題なのだが…、いや違う、思い出した。軽い坐骨神経痛を発症していた模様。早く行くところまで行かなくては。

f:id:pelmeni:20190211042258j:plain途中停車の町の混み合うバススタンド

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この辺りまでくると人口密度は低く、町と町はかなり離れている。いつ外を見ても同じような風景が続いていた。見慣れない植生も気になるのは最初だけで、そのうち関心が無くなった。南米旅ではいかにして延々と続く退屈な時間を凌ぐかというスキルも学ぶことができる。時々、急にあらわれる人の住む集落を目にして少しびっくりしてしまったりするが、逆に現地の人からは、そんな時のバスの中の東洋人の顔はどのように見えているのだろうか?

 

 

28時間!かけてサン・ルイへ。フランス風の名前だがポルトガルっぽい町。

ここまで上がるとさすがに暑い。赤道も真近だ。おかげで炭酸ばかり飲んでいる。アンタルチカかコーラのどちらか。屋台のガラナ(本物)ジュースも美味かった。

 

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タイルのきれいなサン・ルイの町並み。この町は見所が多く、その割には程よい広さ。溢れる陽の光と青い空と海。飽きがこない。連日の強い陽ざしのおかげで首筋が真っ黒に焼けて自分の首ではないみたいだ。どこかで鳴っている楽し気な音楽と陽気なブラジル人。リラックスできるところだ。ハードスケジュールの合間の小休止みたいな滞在。再び映画を観る。「エクソシスト・ビギニング」。これはまったくバスの中で暇つぶしに見るような代物だった。

 

そして、ブラジル旅のハイライトに向けて、ベレン行きのバスに乗る。もちろん夜行、というか14時間、腰がそろそろ…(泣)