もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

アルティンアラシャンへ

徒歩でアルティンアラシャンへ




寒々しいビーチに積もった雪を踏みしめただけに終わったチョルポンアタを一晩で発ち、カラコルにやってきた。町の広さの割には高い建物は見当たらない。遠くの山並みも美しく、僕はこの町ののんびりとした雰囲気がすぐに気に入った。

チョルポンアタの宿で知り合った韓国人のミンスと宿で再会し、2人でアルティンアラシャンに行くことに決めた。泊まっていた宿ヤクツアーホステルのマネージャー、ヴァレンティンに尋ねたところ、オフシーズンだが宿はやっている、電話しておくよ、アクス近くでマルシュを降りそこから10km徒歩で4時間だ、という。車が通りかかればヒッチでもすればいいかという軽い気持ちで、荷物をまとめそそくさと出発した。

マルシュを降りて歩き始めたのが11時半頃。それは少し遅かったかもしれない。積雪の残る道は山合いに入ると陽が隠れてしまう。もう既に冬でそもそもの太陽の位置が低い。2時頃には寒さを感じ始めていた。雪化粧の静かな風景は美しいが、あまり鑑賞する余裕は無かった。
勾配が徐々にきつくなり、この先どれだけ歩くのだろうという不安が次第に大きくなってくる。ヴァレンティンはああ言っていたが、ガイドブックには14km徒歩5-6時間と載っているのだ。(結局ガイドブックが正しかった)

あたりは暗くなり始め疲労も積み重なって来た頃、遠くに一軒の建物が見えた。近くの看板にアルティンアラシャンの文字が見える。ようやくたどり着いた。看板の前で撮影をする。ミンスと喜ぶ。最後の方は道を間違ってたどり着けないのではないかという不安を二人とも感じていたのだ。結局休憩を含め徒歩5時間強たっぷりとかかった。その間出会った車といえば逆方向に下りてゆくトラック3台のみだった。ここは冬はキツいね。

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やっと着いた!!



ヤクツアーのゲストハウスはソ連時代は測候所だったと冬季管理人のヴィタリーは教えてくれた。彼は2年半ほどタイはパタヤの旅行会社で(ロシア人相手だが)働いていたのでまあまあの英語を話す。
まずは暖をとるためにペチカ(かまど?)の近くの席に招いてくれた。昼食をほとんどとっていなかったのでチャイとパンとジャム(これが美味)を出してもらい、その後温泉へ。

既に外は暗い。マグライト片手に雪の野原と河原を5分ほど歩き丸太で組んだ小屋に着く。小屋は数件ありヴィタリーは一番奥の湯が41-43℃でお勧めというのでそこに行った。(実際もう1-2℃高くてもよかったかな。)
ここはそもそも電気が通っていない場所なので、すべてが真っ暗。2人分のライトを照明として適当に置き、湯につかる。男性が2人だけなんて考えたら妙なものだ。
長湯をしたせいで湯あたりしてしまい暫く気分が悪くなった。
でもまあ、温泉ってたまに入る分には気持ちのよいものだ。

体が温まったせいか、帰り道はそれほど寒く感じなかった。綺麗な星空だ。


(※真っ暗だったので温泉の写真はありません)


帰ってきて夕食。ラグマン、ジャガイモの炒め物、チャイ。
その後3人で話をする。
ヴィタリーは不思議と富士山の高さ3,776mを正確に知っていた。ミンスが何故キルギスにはレーニン像が残っているのか尋ねた。博物館にもソ連時代の展示が多いという。僕もまたこの国のロシア、ソビエトに対する幾許かの親和性を感じていたので尋ねる。彼によれば、ロシアが来る前はキルギス人はきちんとした社会を持っていなかった。現在の国や社会、人々の生活の基礎を築いたのはソビエト連邦であるから排斥する意識は今でも少ないという。そしてキルギスウズベキスタンの違いへと話は進み(ウズベキスタンではキルギスと違いナショナリズムが起きたという)、その後ヴィタリーは南北朝鮮の分断について東西ドイツを例に挙げ聞き込むが、背景が違うとミンスは答え説明するが理解していたのだろうか。

この建物の照明は台所と食堂の心許ないLEDライト(昼間に蓄電した太陽電池にて作動)だけしかなく寝室は真っ暗。夜は話が尽きたら眠りに入るしかない。いや、蓄えが尽きると灯りは自然と消えてしまうようだけど…




翌朝の朝食は8時と伝えたがヴィタリーはそんな早い時間に起きる必要は無いという。
で、やはり疲れていたせいか、起床は9時過ぎになり食事は結局10時。
チャイ、パン、ジャム、グレーチカ、目玉焼き。
温泉にもう1度行ってみようかとも考えたが、そうしたら出発できそうもないことは容易にわかることだ…

近所を少し歩き11時半にヴィタリーに別れを告げる。
彼は帰りは1時間早く歩くことができると言うものの、我々はその言葉を信じていなかった。でも足取りは速く本当に4時間で下まで歩ききることができた。陽はまだ高く雲ひとつ無い青空。空気は澄み日差は暖かく、最高のトレッキング日和だった。なんだか昨日とはまったく違う風景が目の前に展開しているようだった。一度通ってきた道で後どのくらいの道程が残っているか大体わかるせいか、気分がとても楽だった。


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朝日に輝く温泉郷

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管理人ヴィタリー

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猫と戯れるミンス

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仲の良い兄妹に下界への帰還を祝福される




※帰り掛けに話して意見が一致したこと。お互い独りだったらここには来なかっただろう…





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【宿泊】
Karakol; Yak Tours Hostel シングル300KGS
Altyn Arashan; Yak Tours Camp ドミ250KGS (+夕食200朝食150KGS) 温泉は200KGS