もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

雑誌旅行人、その他

  

先日ヤフオクを眺めていると雑誌旅行人のとあるバックナンバーが目に入った。それは1999年の長旅から帰国後に僕が送った情報が欄外に載った号だった。同じ内容が旅行人ホームページ上の旅行人ノート追加情報の欄にてしばらくの間見ることができたせいか、そのうち買おうと思っていたままいつの間にか忘れてしまっていた。
気がつけば十余年、ようやく僕のもとにやってきたというわけ。ひとつひとつの情景がよみがえってくる。懐かしいとしか言い様がない。

 

そんなついでに蔵前氏の著作「あの日、僕は旅に出た」も入手。
旅に出たきっかけから旅行人創刊~休刊までの氏とその周辺の個人史といったところだ。これもいろいろ懐かしい。

 

懐かしい懐かしいとばかり言うのは、最近は旅行に出てもその存在を気に留めなくなっているからだ。以前は随分と世話になったものだが、既に刊行されていないのだからそれもいたしかたない。この前の旅行でも旅人同士の会話で話題に上ることは無かった。

初めてその薄い雑誌を知ったのは表紙が二色刷りの頃だから、96-97年頃だろう。
旅好きであれば一読するだけで多かれ少なかれ心を奪われてしまうような誌面だった。素朴だが衒いの無い作りだったと思う。

旅人が欲しがっている物は常に金と情報だ(笑)。
金のほうはともかく、当時はインターネットの普及が始まった頃だが今思えば雀の涙ほどの情報しか得られず(それでも目を皿にして探し回った記憶がある)、日本にいる間はもっぱら書籍や雑誌が情報源だった。
その後のインターネットの普及はここで言うには及ばないだろう。

氏本人も事あるごとに言っていることだが、何といっても現地の生の情報が一番である。でも、以前なら旅先の薄暗いドミでこっそりと教えあった情報が、今は自宅のお茶の間にいながら手に入るのだ。情報にアクセスするための時間や空間は地球上では一元化されつつある。そういう意味では、本の中でも触れているが旅情報を供給する雑誌としての役割は終ったのだ。

 

この分野に限らず情報提供という名目において雑誌という媒体はその役目を終えつつある気がする。僕の専門分野でも2000年あたりから紙の媒体としての情報誌は次々に姿を消した。

個人が発表しネット上にアップされた情報は無数にのぼる。玉石混合だし古い情報がそのまま残るのは難点のひとつだが、本人にとって有用な情報なら長く残るということは利点にも転ずる。雑誌ならこうはいかない。どのバックナンバーに必要な記事がに載っているかを探し出し、それを古本屋やネットショップで探し回らねばならない。ネット情報なら検索で一発だ。いまや地上のたいていの場所ではスマホさえあれば必要な情報は手に入る。旅行情報なんて特に容易に手に入る類のものだ。

ただ、季刊に移行後の特集記事には月刊時には少な目だった書き手の息遣いが感じられる文章が多かったと思う。それだけでも存在価値はあったと思うのだが、いろいろあって蔵前氏本人が幕を引くことになった。この期間の僕はちょうど仕事に没頭している時期で旅の事など眼中に無い状態だったため良い読者でなかったことが悔やまれる。(その特集に既に行ったことのある地域が多かったせいもある。ポルトガルコーカサス、イエメン、インド、ルーマニアビルマ、旧ユーゴ、シベリア鉄道…みんな印象深いところで僕の中では記憶は未だ鮮明だ。)

 

思えば今世紀最初の10年間は、社会、特に情報処理に関わる分野での変わり様は本当に著しいものだ。その前の10年、バブルがはじけた後もこれほど生活のスタイルが変化した訳ではなかった気がする。

こんな世の中になるとは初めて旅に出たころは夢にも思わなかった。必要な時は国際電話で飛行機のリコンファームしたんだよ。出来初めの頃ネットカフェはよくサイバーカフェと呼ばれていた。インドのジャイプールであまりの回線の遅さに文句をいったところネカフェ店主はこの街には回線が「4本」しか来ていないなんて言い訳しやがった。あのライアンエアに初めて乗ったのはもう12年も前のこと。フィルムカメラはデジカメになる。小容量のSDカードが一杯になる度にデータを町中でCD-ROMに焼いていたなんて今は昔。カメラは高性能かつ軽くなったもののスマホやらタブレットやら小型ノートパソコン…荷物が軽くなる気配はない。幾つかの地域で争いが終わり、また別の地域で争いが始まる。その間隙をすり抜けて旅人は旅を続ける。インドの街中でも裸電球より蛍光灯がついに主流になった。

 

俺も歳をとるわけだ。

 

かつて所有していた旅行人のバックナンバーもほとんど手放し、今は書籍化された傑作選2冊のみがが書棚に置かれている。長旅に携帯して砂埃や手垢にまみれた旅行人ノートとコピーは押入の段ボール箱に仕舞われている。決して短いとはいえない旅の時間は確かに旅行人と共にあったわけで、この愛おしい時間を記憶の片隅に留めておくためにもこれは捨てずにとっておくつもりだ。

 

まあ旅人生を終えたつもりはないけど…

 

余談)実際のところは旅行人よりロンプラの方に多大に世話になっていたりして(笑)