もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

ラホール再訪

アムリトサル→アタリ→国境→ワガ→ラーホール

 

前日キッチュなボーダーセレモニーを観たのと同じ場所を、今日は一人で国境越え。

 

アムリトサルのバススタンドからローカルバスにて国境近くの小さな町アタリヘ。ボーダーまではまだ距離があるのでサイクルリキシャーに乗り換える。ほぼ一本道でのどかな田園風景が続く。

 

十数年前にインド側で悪徳警官の賄賂攻撃に苦労したことも今や昔の話だ。新しく大きなカスタムの建物ですべての出国手続きは旅人のアドレナリンを上昇させることなく静かにスムーズに終了した。
パキスタンのカスタムもかつては小さな建物で行われていたが現在は小奇麗な建物でこれまた問題なく入国手続が行われる。当時は外国人旅行者が多かったせいかアルコールの持込に神経を尖らせていたことなど思い出した。


手続を済ませ建物の前で最寄りの町ワガまで行く車を待っていたところ、やって来たのは遊園地などで走っている電動自動車だったのには思わず笑ってしまった。ワガのバス乗場まではすぐだがその先ラホールまでの乗合ミニバスは今は運行していないというので、ラホール市街までタクシーを他の客と割り勘して利用した。距離があるので金額は少し高かったが宿の目の前まで乗せて貰えたのは助かった。

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ラホールには特別な思い入れ、やりたいことは無い。一つだけあるとすれば博物館で断食する仏陀像を見ることだけだ。前回、滞在最終日に行こうとしたら休館日だったのだ。到着翌日に早速博物館を訪れた。思ったほど大きくないが迫力はある。他の展示物も良いものが多く見応えがあった。ただここに限らずパキスタン内の名所には多くが500ルピーの外国人別料金が存在する。以前はそんなものなかった。そんな無粋なことをする印象はなかったのだが…。

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ラホールフォートとバードシャヒーモスクでは脅威の写真攻めに逢う。これには驚いた。最初一人が一緒に写真を撮ってくれとやってきて数枚撮って去っていくと、実は周りのパキスタン人はその機会をずっとうかがっていたようなのだ。次から次へとまあ途切れずに集まるは集まる、結局20分近くその場所に立ち写真を撮られ続ける羽目に。有名人って大変なんだなあという感想。いや、僕は有名人ではないですけど。なかには自宅へお茶にさそってくれた人もいた。両方で最後にはもう飽きるほど写真攻めにあって少し疲れた。でも話してみれば皆ひとが良く、それほど嫌な気分は残らなかった。

 

 

 

博物館を見て楽しい旧市街を散歩して、まあその位しかする事は考えていなかったのだが、実は、以前宿泊したYWCAの近辺はどうなっているのか気になっていた。前回旅行後に出版された本からは特に記載は無くなり、行った人の話も聞かない(そもそもパキスタン自体に人が行かなくなった)。近くにいるのだから行ってみよう。おぼろげな記憶をたどりながら、宿からは歩いて10分位だった。隣接するカルテックスのガソリンスタンドが眼に入ってきた時には胸が高まった。

そして、なんと…昔ながらにYWCAはありました。といっても道路に面しているのは鉄の扉だけなんだけど。その扉に貼り付けられたYWCAの切文字と上方に掲げられた看板。鉄扉に小さな穴があったので内部を覗いてみると、荒れ果てているのではという予感は外れ、きれいに整地された地面や草地があった。ただそこに使用感や生活感は読み取ることはできなかった。奥の方にあった汚いドミの建物や、ライダー達がテントを張っていた中庭、夜遅く到着したが空きベッドが無くその上で一晩寝させてもらった卓球台やら何やら昔を思い出させるものはその小さな穴からは何も見えなかった。宿泊施設としては使われていないうえYWCA自体としての機能も残っているのだろうかと思わせるような感じだった。ただ入口周りもきれいに掃除されているし人の手から離れているという雰囲気でもない。事務所としては使われているのだろうか。

 

それで十分だった。既に十年以上の年月が流れている。跡形もなく消えていたとしても不思議ではない。時間が経つにつれ色々なことを思い出し、心にジンと来た。かなりの物事を忘れていたが、実は本当に楽しい思い出が心の奥隅のほうに仕舞ってあったということなのだ。今回たまたま同地を再訪したおかげで蘇って来たが、それらは本来なら自分自身ではもう既に開ける事ができない類のものなのだ。時が経てば大抵の思い出は忘却の彼方に積み重ねられ、ひっそりと消えてゆく。それを防ぐ手立ては日記を詳細につけたり写真を取りまくる位しかないのだろうが、結局は運命に抗うことはできないということ、真面目に考えれば考えるほど悲しくなってしまう。良いことも悪いことも、すべての異国での思い出を失いたくはない。

 

その後当時通ったネット屋や美味しかったパン屋、ミルクシェーク屋などを探したが、もちろんそれらがそのまま存続しているとも思えなかったし、大体の場所を憶えてはいたのだが、シェーク屋以外は何も収穫は無かった。シェーク屋にしてもはっきりとは記憶に無くこの辺りだろうとうふんだ場所にそれらしき店があっただけのことだ。それでもいい。こうやって再訪できて昔の思い出とともに楽しんでいることに今回は十分満足している。

 

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ラホールの安全な安宿として知られたYWCA。 かつてここを目指したバックパッカーは多かった。