もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

カシュガルを去る

カシュガルを去る 

 

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郊外の家畜バザールから老城青年旅舎に戻り、中庭で少しの間時間をつぶす。今晩は夜行なのでチェックアウトは朝出掛けに済ませてある。知った人間がいないので出発までひとりでぼうっと過ごした。此処はいわゆるユースホステルらしいホステルで、短い滞在だったがいろんな国の人と話ができた。あれこれ思い出しながら、出発の時間を待つ時はいつも感傷的な気分になるものだ。

時間が来たので、預けていた荷物を受け取り、宿を出た。「次は何処へ行くの」と僕に尋ねた時の受付のお姉さんの表情に、あ、見覚えがあるなと思った。

もう10年も前のことになるが、やはり北京で泊まっていた青年旅舎をチェックアウトする時に同年代の姉さんが同じような顔をしていたのを思い出した。何故か今でも忘れられない。

   -----次はどこに行くの
   -----東京の家に帰るんだ
   -----そ~~お、東京なの、、、

意識的に表情を消したままに大袈裟に振りかぶった様は明らかに、東京なんていいわね、とでも言いた気な素振りだった。会話を続けても良かったのだが何て言っていいのかわからずにさよならした記憶がある。その時の女性の表情が目の前の彼女に重なってみえたような気がした。

まあこちらの勝手な想像なのだが、単に職務上旅人を見送る気持ち半分、うらやましさ半分だろうと思った。ユースホステルで働いているぐらいなのだから旅をするということに関心が有るか若しくは好きなはずだ。ただ、自由に旅立ってゆく旅行者を毎日見送る気持ちは、どのようなものなのだろう。実際のところは多忙でひとつひとつの感想など持つことは無いのだろうが、それでもたまにはふっと素の感情を出すことはあると思う。それは旅行経験者とそうでない人では幾らか違ってくるだろう。自分の過去の記憶と重ね合わせて旅の幸運を祈るか、あるいは何時かは自分もこういう旅をしようという気持ちになるか。あれこれ想像するのは楽しい。何よりこのような生の感情に接すると、違う国の人であっても親密な気持ちになる。目の前の彼女が旅というものに肯定的な気持ちを持っていることは確かなことで、4日という短い時間ではあるがその中の付き合いで僕には判っていた。

 

 

今夜は夜行列車でウルムチを目指す。中国の列車は始発駅だと出発30分前にならないと改札が始まらず、だだっ広い待合室で待っていなければならない。実はこの時間が結構緊張するのだ。改札の数は少なくそこに大量の人民が殺到するので列の後ろの方に並ぶとやたらと時間が掛かり、車内に着いた頃には大きなバックパックを置く場所が既に無かったりする。そんなことを気にしながら改札を待つのはストレスになり嫌なので、この時だけはいつも自分は人民であると思い込み、改札が始まれば人民たちと同じ様になりふり構わず先を目指す。

硬卧の車両は古く2階建て。そのせいか寝台は3段ではなく2段だった。2段×2層=計4段ということになるのか? これは中国では始めての経験だ。室内には上舗、下舗しかないが、それでもベッドまわりが幾分ゆったりしているように思えた。始発なので定時に出発。いつもどおり雑然として騒がしく夜行列車の出発の余韻に浸るどころではない、昔ヨーロッパで散々乗った夜行列車の出発とは大違いだなあと思ったが、それだからこそ中国は面白いのだ。以前だったら夜の静かな出発の雰囲気が好きだったのでイライラしていたかもしれない、自分も旅ずれてしまったなあ、と窓に映る自分の姿を見ながら静かに笑う。

夕食はビスケットで簡単に済まそうと考えていたが、蓋飯(ぶっかけ飯、10元)の車内販売が廻ってきたので一つ選んだ。肉とみえた塊は実は固めの豆腐で本当の肉はちょびっとしか入っていなかった。そうと知れば目の前の飯が妙に割高な代物にみえてきたが、こんな質素な料理でも味付けはこれぞ中華料理としか言い様のないものだった。量は多くないが満足できた自分の舌には、多分バイアスが掛かっているのだろう。