もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

'99アジア その2 インド1

この当時はデジカメなど無かったので当然ながら銀塩カメラを持っていった。そういえば銀塩なんて言い方当時はしなかった。カメラはカメラでしかなかった。ただ僕はフィルムは最初からリバーサル(スライド用)フィルムを使っていた。家に簡単なスライド映写機があったため、せっかくだからということで使用してみたら気に入り、結局フィルムを使っていた間はほとんどリバーサルを使っていた。意外と外国でも入手は容易かった。というか何故だか日本では普及していなかったのだ。

カメラは一応2台持ち。この時は PENTAX の ME とフジの TIARA-ZOOM だった。もともと ME Super を持っていたのだが、旅行前にチェックしたところ不具合が発見。出発3日前にあわてて中古の本体だけ入手したものの、フィルム1本も取りきらずにカトマンズでレンズとともに盗難にあってしまった。馬鹿。

 

■インド1

バンコク)→カルカッタ→バラナシ→(ネパール)

 

バンコクからは当初カトマンズへ飛ぶつもりでいた。バンコクカオサン通りにある旅行会社で安価なビーマンのフライトチケットを確認したところ、キャンセル待ちの状態だった。たいてい空きが出るのでとれますよ~※ということだったので、予約して出発前日にとりに行ったところ、今回は空きが無いとのこと!。文句を言っても仕方ないので2日後のカルカッタ行きに変更して差額は払い戻してもらった。時間に余裕はまだある。観光ビザはマルチだったので、陸路でネパールに移動し再びインドに戻るルートをとることにした。

 

f:id:pelmeni:20170713124059j:plain

インド最初の地はカルカッタだった。その時のことは以前ここで少し書いた。空港から街に着くまで眼にした光景はなかなかの衝撃だった。一国の大都市の空港なのに周囲には建物以外全く何も無い。2005年利用時にはロータリーができていた。2012年にはシャトルバスが運行されていた。今行けば何の疑問も持たずに利用するだろうが、昔のことを思い出すと感慨深い。

まあカルカッタに関してはあらゆる人があらゆる感想をあらゆる場所で述べているので、僕がここで話してもしょうがないなあという気がする。それらと全く大差無しです。

今でも印象に残っていることといえば、1)社会インフラのボロさ、2)あまりに多くの人々が無秩序に街に溢れ返って多くの所で混乱が生じている、3)カースト社会内での人々の立ち振る舞い、4)昼間は猥雑だけど夜間は照明が乏しいせいか余計なものが見えずに街に美しささえ感じた、5)サトシは絶対日本人だ、といったところだろう。ハウラー駅構内の至る所で床に寝ていた大量の人々は2005年再訪時には追い払われ一人もいなかった。ほとんどが裸電球だった街中の照明も今はだいぶ白色の蛍光灯に置き換えられてしまった。

インドを自由に旅行するということは、言い換えれば、考え得る限りの様々な感情と常に戦い続け、時にはそれらに呑みこまれながら混沌の中に身を置くということだ。右や左、上や下、表や裏、白や黒、陽と陰、有と無… 本当に振れ幅が大きく全てが含まれる感情を否応なしに(強制的に)持たざるを得ない。これは、全てが予定調和的でたいていは物事が収まるところに収まってしまう日本の生活とは対極にある経験だ。旅行しかしていないのに、初めから直ぐに感じとった。

ただカルカッタは場所柄他のインドとは少し違いヒンドゥー的な宗教感が少ない。もう少しマイルドで都会的ごった煮感と幾許かの洗練さすら感じるのだ。

それでもまあインドであることに違いは無く、インド的な洗礼を一気に受けたことは事実である。

 

f:id:pelmeni:20170710194031j:plainヴァラナシで一緒だった二人 元気だろうか

 

インドらしくないカルカッタから最もインドらしいヴァラナシへと移動した。

後に盗まれるカメラに入っていたフィルムにはチェンマイの寺院とカルカッタでの半分位とヴァラナシのガンガー、特に早朝ボートから撮った日の出や対岸、沐浴をする人々など。

ガンガーはインド旅のハイライトではないか。おかげでそれは僕の記憶の中にしか存在しない。今となっては苦笑いするしかない思い出だ。そのせいだけでもないのだろうが、印象は強烈だ。狭く薄暗いベンガリートラを早足に過ぎる多くの人やらジメジメしてゴミにまみれた石畳やらが色々な種類のモノが、まぜこぜになった臭いと共に目の前に甦ってくる。まるでつい先日訪れたかのようだ。後年他にも同じような聖地には訪れているのだが、やっぱり最初の体験というものが一番強く記憶に刻み込まれたようで、直接のボディーブロー、今でも少し効いてます。

まあ思い出したくなったら、YouTubeでTV版深夜特急でも探して観ることにしています。あの時出ていたみやげ物売りの少年には実際に会いました。確かTVのギャラで兄貴が店を出したとか言ってたけど、本人はまだ川で同じように売り子をしていました。

 

 

※MPツアーの森さん談。MPツアーも既に店閉めしたらしい。時は流れる。

 

'99アジア その1 タイ

昔の旅の写真があがってきました。

この旅は、その前年の旅行中に出会った長期旅行者に感化されて僕が初めて企てた長旅でした。フィルムをスキャンしながら日記帳を読んでいると当時の記憶がまるで昨日の事のように起ち上がってきます。すっかり忘れていたことを思い出したり、完全な思い違いが発覚したり。でも自分で言うのもナンですが、記憶力が良いせいか結構リアルに思い出せます。その場に居るかのように楽しめました。そういえばと段ボール箱の奥から引っ張り出してきた当時の日記帳には、思いの外几帳面に多くの事が書き記してあってびっくりしました。

 

 -----何もかも、みな懐かしい  沖田十三

 

旅行時期;1999.1~6 半年弱

旅行地域;タイ、インド、ネパール、パキスタンウズベキスタントルクメニスタン、イラン、トルコ

 

■タイ 

訪問地;バンコクチェンマイ、スコタイ

 

f:id:pelmeni:20170710193944j:plain

アジアの旅の始まりはバンコクから。アジアの水に慣れるにはちょうど良い場所でした。それまで旅したヨーロッパと比べるとまあ何て無秩序でとりとめが無いのだろうと思いましたが、当初のその感想が時を隔てた現在のアジア全体に対する印象とほぼ変わっていないのが、なんだか面白いです。

後で多分言及しますがカメラを盗まれたのでチェンマイの写真はほとんど残っていません。まあ残念ではありましたが、今となってはこれも旅の思い出の一つです。

スコタイ遺跡の静謐さには強い印象を持ちました。この静かな雰囲気に当時の僕はアジアの神秘を初めて感じ取ったというわけです。

 

f:id:pelmeni:20170706161517j:plain

 

 

 

昔の写真をパソコン上に復活させる

 

デジカメが普及する前は旅行にはもちろんフィルムカメラを持って行ったのだが、フィルムスキャナーなるものに興味を持ち2000年頃から購入してきた。当時はニコンキヤノンミノルタから数種類ずつ発売されていたが、フラットベッド式と違い元々高価な物だったため一番安いクラスのものしか買えず、画質も満足できるものではなかった。まだネットオークションで気軽に中古を、なんて時代でもなかった。一眼のデジカメにスライドデュープ用の装置を付けて複写したりしてみたが何かしっくりいかなかった。そのうちにVueScanなどのフリーソフトで画質が向上することを知り、やがてサードパーティー製のソフト(これは金額をとる)でまあまあ満足できる結果となった。この組み合わせが揃ったのは2,3年前だったが最初のうちは手探りでやり方をおぼえ、ようやく昨年の暮れぐらいから本格的にスキャンを始めた。といっても暇な時に時間をみつけてやっているのでいつ終わるのだろうか。数えたことはないが多分2000枚以上はあるはずだ。全部スキャンしたいのはやまやまだが、古いスキャナなので終りまでは物理的に耐えられないのではないか?

 

フィルムスキャナ;ミノルタ DiMAGE Scan  Elite 5400
スキャナソフト; LaserSoft Imaging SilveFast SE8

 

ソフトが優秀。細かい設定ができるので結構思い通りの絵にすることができる。ゴミや傷の除去能力も優秀だ。ただ機器的には古く、遅くて音もうるさい。もしかしたらどこか劣化しているかもしれない。基本的に画質調整は必須で時間が掛かってしまうのは致し方ないところだろう。メーカーからアマチュア向けのきちんとした35mmフィルムスキャナが発売されていない今となっては、これで何とかやっていく他はない。(なおこのソフトは汎用品ではなく機種毎に対応したものなので、壊れたら同製品を探してくるしかないのです。)

 

 

 

 

結局行かなかった所1 〜 ’91中国

 

 

長旅をしていると、大抵は予定通りにはいかないものです。大まかにルートぐらいは決めていたり、ビザの関係で縛りはあったりするのだけど、たまたま巡り合せが悪かったり、気が向かなかったり、理由は色々ですが結局行かなかったなあ(行っとけば良かったなあ)という場所が幾つも発生しています。昔のことを思い出しながら、そんなこと懐かしがったりしています。

 

 

当時は大学生でした。1991年の春休みの旅が僕の最初の海外旅行でした。ヨーロッパを高校時代の友人と1ヶ月弱旅したのですが、91年冬といえば、時代は、そう、湾岸紛争の時でした。現在と違ってインターネットで簡単にエアチケットを購入できる訳ではなく、数ヶ月前に大学生協で予約して説明会なるものに出席したのも、今となっては遠い思い出です。

 

湾岸紛争は簡単に終わりそうもなく、友人はビビって僕に電話してきた。

 -----なあ、やっぱ中国にしようぜ。
 -----いや、俺は一人でも行くから。

彼は歴史好きだったので、そんな電話を掛けてきたわけ。結局予定通りヨーロッパに飛び立ったのだが、最初の滞在地ロンドンで湾岸紛争は休戦となり旅は問題なく終えることができた。(コインロッカーが全ての駅で利用不可だったのは痛かったが)

 

ここで行き先を変更していたなら、その後の僕の人生に影響はあったのだろうかと時々思います。何せ暫くの間は旅あっての人生でしたから。中国に行ったほうがよかったのだろうか?

この数十年の間、中国ほど変化の大きかった国はありません。旅先で出会った旅に関しては少しばかり先輩な人達は皆「80年代は今とはぜんぜん違ったよ」とか「どんどん変わって行くから早く行ったほうがいい」などと口を揃えて言うのです。

でも僕自身中国に関心はありませんでした。日常生活からなるべく離れた経験というものに気をとられていたためアジア自体に眼が向いていなかったのです。ヨーロッパ、南米、旧ソ連や中近東あたりに関心がありました。アジアはせめてインド。

また個人的には当初美術・デザインの分野に目的があり、後になって旅をすること自体に関心が移りバックパックを背負うようになったので、普通の人とは少し違うかもしれません。

まあ中国とは関わりが薄かったのです。

 

今となってはその選択は必ずしも間違ってはいなかった思います。後にだらだらと中国を旅するようになりその良さを実感しましたが、これこそは他の地域を旅した後の比較として僕の中に成り立つ気持ちです。人の良さ、親切さとか、食事の美味しさとか、緑にあふれた田舎の風景とか、漢字が理解できるとか… 皆、前述した非日常志向の若い頃には本当には理解できない種類の事柄でしょう。

 

でもやっぱり、当時中国に行っていたらどのように感じていたのだろう。もっと薄汚れた町に質素な服を身に纏った人々が生活をしていた、現在の中国とは違う所謂もう一つの世界にぜひとも触れてみたい(触れたかった)という欲望が時々湧きあがってきます。今が今だけにね。もちろん無い物ねだりであることはわかっています。それも含めこの国には興味はつきません。

 

 

これまでの訪問国

 

 

f:id:pelmeni:20160713040143p:plain

 

これまでの訪問国を世界地図上で塗りつぶしてみました。今回通ったところは7、通算で101カ所となりました。図上では日本が含まれナゴルノ・カラバフが含まれていません。プラスマイナス1ずつ、差し引き0で計101です。ナゴルノ・カラバフだってイェレバンの事務所に行きビザを購入したのだから上記に含めてもいいでしょう!!…?

 

 

※こちらのサイトを使いました ↓ 

matadornetwork.com

 

 

 

 

 

 

トラベル2015-2016まとめ

 

帰国して一息ついたところで、前回にならって今回も旅をちょっとだけ振り返ってみる。
この記事には多分適宜手を加える予定。

 

●インド
主な訪問地 
  ラダック シュリーナガル ダラムシャーラー アムリトサル
強く印象に残っている場所
 ・レー周辺のゴンパ

パキスタン
主な訪問地
  ラーホール、ハラッパ遺跡、フンザ
強く印象に残っている場所
 ・カリマバード
 ・パスー周辺
 

●中国

主な訪問地 
  新疆ウイグル、甘粛、香港、山西、四川、雲南
強く印象に残っている場所他
 ・人民観察(中国全土)
 ・家畜バザール(カシュガル郊外)
 ・兵馬俑西安
 ・平遙古城
 ・麦積山石窟
 ・亜青、喇荣のゴンパ
 ・成都昆明 街歩き  
 ・元陽梯田

 

●東南アジア
主な訪問地
  ベトナムカンボジアバンコク
強く印象に残っている場所他
 ・事有る毎にボろうと試みるベトナム
 ・バクハーのサンデーマーケット
 ・プレアヴィヒア寺院遺跡

 

今回のベスト・プレイス
 ☆中国人民ウオッチング(中国各地)
次点
 ・ラダックのゴンパ
 ・フンザ全域
 ・カシュガル活畜交易市場
 ・ラルンガルゴンパ
 ・四川料理
 ・少数民族(中国南部〜ベトナム北部)

 

通算157日 

滞在国(国と地域)7 うち新規 1カ国(ベトナム

 

 

 

帰国

f:id:pelmeni:20160713011414j:plain

エアアジアX  バンコク・ドンムアン→成田
AirAsiaX  XJ0606  DMK - NRT

 

久しぶりのドンムアン空港。10年振りだ。あの時は確かシェムリアップまでの片道フライトを利用をした。インディアンエアラインの半年オープンの往復チケットで帰国したのもこの空港からだった(これが一番安かった。でも復路は結局使用せず)。現在の新しい国際空港が開港して以来ご無沙汰している。特に変わったという印象はない。中国人旅行者が多いのは春節の時期のせいだろうが、長く中国を旅してきた後でこれまた耐性がついているせいか気にならない。当時は此処の待合ロビーの床に直接痰を吐いている人民がいて驚いたものだ。10年経ち対外的には少しは民度が向上したようにみえる。

 

 

f:id:pelmeni:20160713011430j:plain

機内食はチケット購入時に予約。これがエミレーツだったりするとワクワクモノなのだが、エアアジアでは特に期待も何も無い。鶏肉、糯米。量も少なく軽食程度でしかない。6時間も乗っているのだから何かは食べなければならないわけで、スナック菓子持ち込んで食うよりはまあマシだろう(笑)。こんなに狭い空間の更に窮屈なシートに押し込められても、やっぱり機内食というモノを体が自然と希求しているのだ。不思議と言えば不思議。旅の体になっているんだなあという感想。

 

何度目の帰国だろう。いつもそうなのだが、長旅をしていると、帰国というのはたまたま日本国への入国に過ぎず、多少は他の国よりは長く(あるいは自由に好きなだけ)滞在できるだけではないかという気がしてしまう。まったく完全なる勘違いであって、精神が酷く冒されないうちに早く直して社会復帰しなければならない。さもなければその後の人生に悪影響が甚だしい。

 

 

f:id:pelmeni:20160713011938j:plain

 

ともあれ、無事帰国。長旅もこれでお終い… のつもり。

旅の終わりを実感するのはもう暫く経ってからだろう。

しかし寒いなあ。そうか今2月なのか。