エチオピアの中では特別な雰囲気を持つ町である。もともとはイスラムの独立した都市国家で、この地方の交易の中心地として繁栄した。アラブ人やエジプト人、インド人など多くの商人がこの地を訪れた。やがてエジプトに征服され、その後エチオピアに併合された。
大小合わせて350以上もの道と80以上ものモスクが、壁で囲まれた狭い旧市街の中にひしめき合っている。今まで色々な国で見てきた典型的なイスラムの町の作り方なので、まった・でっす・ねっ、といった感じで思わずニンマリしてしまった。
この町はアルチュール・ランボーがイエメンのアデンから移り住み、病を得てマルセイユに還り息絶えるまでのしばらくの年月を貿易商として過ごした場所でもある。最初はコーヒー豆を扱う駐在商人だったが、後に独立して色々手広く範囲を広げ、当時のエチオピア王侯には武器まで売りにいった。
ただし現在あるランボー資料館は、彼の住居跡ではなくインド人商人が後年建てた木造住宅である。なので、アデンの様に当時の建物がそのまま残っている(宿になっていて宿泊できた)といったファンタスティックさは無いが、建物自体は良いものだ。
今回はガイドを雇うことにした。前夜のハイエナショーの案内と併せて350ブル(約1,850円)というのは微妙な値段だ。最初は一人で歩き回るのでと断ったのだが、少し話をして頼ってもいいかなと思い始めた。
結果的には、まあまあ良かった。でも積極的に良かったと思えるほどでもない。良かった点としては、一人では通らないような小道や脇道を使って効率的にいろいろな所を案内してくれたところ。抜け落ちたところはまずは無いようだった。また地元の人たちと一緒にだらだら過ごすチャットタイムを組み入れてくれたこと(チャット代は微妙にたかられたが…笑)。彼の話す英語も僕にとっては判りやすかったのも幸いした。見掛けからは信じがたいがフランス語も話す奴だった。
ただし説明内容は普通だったものの、現地で教えてもらったり質問したりを繰り返すのと、一人でガイドブック片手にまわるのとでは、同じ内容でも理解の仕方が違ってくるだろう。その時の情景と共に記憶に残っているので、やはり正解だった。
後になり振り返ってみれば、歩く早さから説明の理解まで、終始僕のペースに合わせてくれた親切なガイドだったと思う。
時にはガイドに頼るのも悪くない。
ただ、翌日に一人でもう一度歩き回ることにした。
結局のところ、僕には僕の一人旅のペースというものができあがっているのだ。半日程度で済ませたが、やはりこうしなければ気が済まないようだ。
狭い通りでも人であふれている。色とりどりの衣装と荷物。
ハラールの市場には、人々が近郊の村を朝出て売りに来るので、午前中遅くから午後に掛けてが、人も物もそろい活気付くという。確かに朝は、大きな荷物を抱え、時には頭の上に載せて、門をくぐり町中の方に上がってくる人が多かった。
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ハラールの人は1日のうちに3つのメンタリティを持つとガイドが教えてくれたが、本当だろうか?
午前中は親切で陽気、積極的。
昼前から昼下がりにかけては、一心不乱にチャットに熱中する。
午後から暗くなる頃にかけては、チャットの影響で、静かに自分の世界にひたり込む。
ガイド氏 まあまあイイ奴