フンザ2
今朝の一枚
初日に訪れたが閉館時間1時間前なのに既に閉まっていたバルチットフォートに満を期して出かける。ところが入口には非情にも「CLOSED」の表示。訝しがりながら敷地内に入ると、先日も会った自称ガイドが教えてくれた。昨日の地震による影響を専門の技術者が調べることになったので、安全性が確かめられるまで閉館だと言う。ガーン、それなら昨日来とけばよかったと後悔しても後の祭り。彼によれば多分20日間くらいは掛かるのではないかという。多分の話だから正確なところはわからないが、いずれにせよこの数日のうち、滞在中に再開することはないだろう。何かうまくいかないことが多い気もしてきた。天気も良いし洗濯でもして気を晴らすか。
翌日はガネシュとアルチットを廻ることにした。坂道を下りながら、帰りはまたその分上らなければならないのかと考えると少し気が重い。
弟たちも撮ってね!
ガネシュはかなり古くから人が住んでいる町で、主な住民はシーア派だ。カリマバードはイスマイリア派の町でモスクからアザーンを流さないので、聞こえてくるのはガネシュのモスクかららしい。
この町の中に古くからの集落があり、その一角に小さなモスクが4つ集まっている。
そこからアルチットまで歩く。この町もカリマバードより古い歴史を持っている。中央アジアのイスラムらしく細い路地が入組んだ集落があり、アルチットフォートはきれい修復されている。入場料はちと高いがガイド料込みである。いろいろ親切に教えてくれた。
カリマバードやアルチットでは日本のODAによりインフラが整備されている。町中では標識を幾つか目にする。この地の人の多くが日本人に好意的である理由の一つだろう。はっきりとそのことを挙げて感謝を述べる人もいた。もちろん有名な長谷川氏の功績もその中に含まれるだろう。
そのハセガワスクールの先のほうをブラブラ歩いていると、小さな女の子に呼び止められ家に招待された。何でもこの家では古くからの日本人の友人がいるということで、日本人に特に親近感があるそうだ。僕が呼びとめられた時も最初は、Jaapaneeese?! と尋ねられた。その近辺では新しくきれいな家でお茶をもらったり干し杏やナッツ、林檎!をいただき、2時間ほど楽しいおしゃべりをさせていただいた。この家だけでなく、町で会う小さな子供でもみんな結構上手い英語を話す。イスマイリア派の人は教育熱心で就学率も高く、識字率が9割以上だということを今まで多くの人の口から聞いている。そういえばアガ・カーン基金はパキスタン北部での活動だけでなく、国境を越えてタジキスタンでも病院や橋を作っていたことを思い出した。イスマイリア派というのはイスラムの宗派の中でもあまり表に出ることは無いが、独特なコミュニティを持っているようだ。まだ知らないことが多いなあ、と改めて思う。
父親と長兄はカナダで仕事をしているらしい