もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

モロッコへわたる・イスラムの国へようこそ

アルへシラス→タンジェ


旅行中何が嫌だって、朝起きて雨の降る音が聞こえることくらい嫌なことはない。
特にそれが移動日だったりすると、一日の初めから憂鬱な気持ちになる。

愛想の良い宿の管理人家族に挨拶をして、薄暗い雨雲を見上げながら港への道を急ぐ。
それほどひどい降りではないのでバックパックがびしょぬれになることはないだろう。今回の旅行は飛行機の移動が多く、その度にバックパックカバーを被せているので汚れてしまい、できればあまり人目につけたくはない。一度洗う必要がありそうだ。

大通りに面した入口まで宿から歩いて10分もかからないので助かったが、実は奥のターミナルの建物までは敷地内を更に歩く。チケットは前日購入してあり準備は万全。でもそういう時に限り出発が遅れたりするものだ。
天候が悪いせいか、ただただ怠慢なせいかは知らないが、30分以上過ぎても乗船できない。まあ、その程度のことを気にしてはいけない。



海はかなり荒れていた。海上は雨だけではなく意外と風も強かった。おかげで船は揺れる、揺れる。
気分悪くなっているひともちらほら。
船内で行われる入国手続きを済ませた後は甲板に出ていた。多少雨に濡れようが、外を眺めていた方が気分は悪くならない。でも、船はものすごく傾いていた。

途中から揺れはおさまり、やがて平和にタンジェ到着。
港の新しいターミナルに着くが市街地からは40km離れている。シャトルバスは無料ではなく金をとられた。
フェリーのチケット代金が以前の情報よりかなり安価になっていた理由が、これでわかった。
新しい港ができて航海距離が実質的に短くなった分フェリー代も下がり、その後のバス代は行き先に合わせて各々が普通に支払うようになったということ。以前のようにタンジェ市街までの一括料金ではなくなったのだ。

新市街にあるバスターミナルから旧市街までは少し離れているのでタクシーにて移動する。タンジェの新市街は一見南欧の街と変わらない。
目指すは安宿 Hotel Mamoura 。でも、グラン・ソッコまでは来たものの、その後の行くべき方向が全く分からん。

そんなときに現れた一人の親父。手招きをして細い路地に導いてくれる。
実はこの時点で彼を信用してはなかったのだが、無意識のうちに足が反応して後をついていった。
いつもそういう訳ではないのだが、その場の勘のようなものが働いたのだろう。

果たして、彼は僕をホテル・マモーラに連れて行ってくれた。
そのうえ、よくいる輩のように小銭を要求することもなかった。
彼はホテルのロビーで腰を下ろししばらく休んだ後、無言で町に出て行った。ほんとは欲しかったのだが言いそびれてしまったのかもしれないなど想像はしてみたが、結果的には彼の善意に甘えた事となったので、一応心の中で感謝した。まあ、世話になったことは確かなので、言われたら幾らか渡そうとは考えていたけれども。



実は「タンジェ」という名前を多少警戒していた。
かつて大学生の頃ヨーロッパを旅行していた時分、タンジェという名前にはヤバい響きがあった。スペインから簡単に足を延ばせるものの、一度足を踏み入れたら容易な場所ではない悪徳の都として名を馳せていたからだ。ウザいモロッコ人の国の玄関口として旅人を手荒く歓迎していた、確かそんな評判があった。

だからホテルまで連れて行ってくれた彼を信用していなかったわけで、暇そうにブラブラしている男性が、大きな荷物を背負った知らない外国人旅行者に近づくなんて、何か下心無しにはありえない。「ここ」では、そう考えるのが自然だ。

しかし、、、、あまりにも多くのところでいわれているモロッコ人のウザさは確かにそのとおりなのだが、それ以上に親切なモロッコ人が普通に多くいることもまた事実である。(その後すぐに判ったよ…)
僕が出会った最初のモロッコ人は、幸運にも後者ということになる。


ひととおり町中を散策した後小さな食堂で夕食をとった。
モロッコ名物タジン鍋、それもフィッシュダジン。美味しかった。店の親父とも何故か話が弾んだ。

イイところじゃないか。
結構構えて到着したタンジェだったが、思ったより気分良くモロッコ初日を過ごすことができた。


彼らのこの人懐っこさや親切さは、そう、肌が憶えている。

イスラムの国へ、再びようこそ。


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