もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

ダラムサラまできて

ダラムサラまできて

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ダラムサラまでやってきたものの正直この先どちらに行くか迷う。マナリ方面まで足を伸ばすか、それともアムリトサルへ急ぐか。インドの次にはパキスタンが待っているので気持ちは後者に傾きつつあるが、まあこの2、3日のうちに決めればいいだろうと気楽に考えているうちに、その2、3日はあっという間に過ぎていく。

スリナガルからジャンムー経由でここまで一緒に来たイギリス人のロッドは、昨日ダライラマが車に乗って寺院に到着したその時運よくその場に居合わせたそうだ。(僕が寺院に行ったのはその前日) ということは、今日は彼は居るのだろうか。もし寺院に行けば運がよければ姿を見掛けることができるかもしれない。もちろん寺院に居ても見ることができない可能性は大きいし、忙しい人だから既に居ないのかもしれない。寺院に行ってみようかどうしようか。まあスケジュールを確認するのが先だろう。そんなこと悶々と考えながらきれいなカフェのソファで時間だけが過ぎてゆく。久しぶりのまともなブラックコーヒーとレモンチーズケーキなんぞ目の前にあると、甘党のカフェイン中毒者はおいそれとは席を立てないのである…

  

滞在しているホテルは簡素な安宿だがロケーションは最高だ。西向きの斜面に建っていて、どの場所、部屋からでも日没の美しい時間を味わうことができる。

いつもその時間には戻り、部屋前の廊下で手摺にもたれて静かに霞んでゆく下界を眺めていたりするのだが、先日は上階のテラスでロッドと一緒に過ごした。彼は話をしていても、1/3は何言ってるかわからず、1/3は推測しなければならないようなロンドン訛りの早口で、なおかつチェルシーFCのファンでスキンヘッドで数珠を首から下げ”シャンティ”を連発する御仁なのだが、日没後の30分は静かに自分の世界にひたりこのビューティフル・モーメントを味わうことのできる感性を持ち合わせているのが始めは何だか不思議に思えたが、時間がたつと何だかしっくりしてきた。実は彼はダラムサラを20年ぶりの再訪だという。

 

  ---当時はね、2年ほど香港のバーで働いていたんだ。イギリス時代だったから簡単に働くことができた。

  ---あの古い空港の頃?

  ---おおっ! そうだ、あのクレイジーな空港だ。離着陸時に席から窓の外を覗くと住民の生活が見えるんだよ、そんなところってあるかい?

  ---ははは、鉄道の旅じゃあないんだからねえ。でも確かに懐かしいよあの空港は。

 

僕も初めて旅に出てから既にかなりの年月が経った。今でも印象に残っている多くの場所が取壊されたり無くなったりして、実はその存在がもう記憶の中にしか残っていないなんてことに気付き、愕然とすることが度々ある。再びお目に掛かりたいと願っても昔の記憶に縋るしか術が無いことは、本当にもどかしい。そういう場所がだんだん増えつつある。

ただ、それは旅先に限ったことではない。あ~、もう若くはないという証拠でもあるね(笑)。

 

日没後の薄暗がりのなかでロッドと短い会話を交わした後、少しの間無言になり、そんなことを考えていた。

彼も失われた場所の記憶を思い出し遠い眼をしている様にみえた。多分そうだろう。二年もの間働いていたのだから、僕なんかよりずっと濃密な記憶が蘇ってきたのではないかな。

 

やがて別の話題の会話が始まるが、やっぱりなかなか聞き取れない。ちょっと顔にそんな素振りを出してみるが、彼はお構いなしだ。イギリス人って基本的にそういうタイプの人間が多い気がする。

そんな彼ともじきに別れなければならないのは残念に思う。